紅瞳の秘預言 98 強攻

 海上に着水している、3機のアルビオール。出撃の時を待つ1号機の中で、アッシュはじっと空を飛ぶ都市を見上げていた。
 ジェイドの知る『前の世界』では、この頃ルークは音素乖離による死の寸前だった。アッシュ自身はそのルークとの間で大爆発が進行しており、彼もまた音素乖離の症状が酷くなっていたと言う。
 互いに自らの終わりが近いと認識していた2人は、あの都市の中で剣を交えた。結果勝利したルークがローレライの鍵を携えてヴァンの所へ赴き、アッシュはルークを先に行かせるために神託の盾兵と戦って……死んだ。

 その後、ヴァンを倒して死んだルークの身体を乗っ取って、俺は生き返った。
 それを悲しんで、ジェイドは自らの身を滅ぼしてまでルークの幸せを願った。

 だから、今がある。

 『夢』で見た光景と、ジェイドの口から語られた『前回の顛末』を重ね合わせるように思い出しながら、真紅の焔はそっと目を閉じると座席に身体をもたせかけた。自分を伺うようなナタリアの気配は、視覚を利用せずとも容易に拾うことが出来る。

「アッシュ?」
「……心配するな。柄にも無く緊張しているだけだ」

 唇の端を少しだけ上げて答える。自分はルークのように満面の笑みを浮かべることは出来ないけれど、この小さな動きをナタリアはちゃんと認識出来た。

「私もですわ」

 だから、ほんの少し顔をほころばせる。それをアッシュも感じ取ったのか、瞼の下から碧の瞳を覗かせた。

「珍しいな」
「私だって、緊張くらいしますわよ」

 今度は頬を膨らませた。民の前では毅然とした態度をとっているナタリアだが、こうやって仲間内では自身の感情をきちんと表に出してくれる。それが、アッシュには嬉しくて仕方が無い。
 神託の盾にいたときは、もう二度と見ることが出来ないのだと思い込んでいたのだから。
 一瞬だけ目を細めてからアッシュは、視線だけを少し離れた席に座っているサフィールに向けた。ある種の確認のために、声をかける。

「ディスト。『前回』はどう展開したんだ? お前はジェイドから細かく聞いているんだろう?」

 名を呼ばれたサフィールはもちろん同乗者であるアニスやシンク、そしてナタリアもアッシュの顔に視線を集中させる。操縦者であるギンジだけは計器と窓の外を交互に見つめていたが、ほんの少し意識がこちらに向けられていることは分かる。
 もっとも、アルビオールの操縦者たちに『記憶』を知られたところで大して問題は無いだろうが。

「もちろん。『今回』の参考になりそうでしたからね」

 そして、そう言った心配りをすることをあまり知らない銀髪の譜業使いは、平然と眼鏡の位置を直しながら頷いた。うっすら浮かべた笑みは、この中では自身のみが持つ知識をひけらかすことへの優越感からか。

「発進前のアルビオールを目がけて、レプリカホドが体当たりして来たんだそうです。その勢いで海上に落下したホドに、貴方たちが対空砲火を避けながら突入したんだそうで」

 右手を空中で滑らせて、レプリカホドの動きを『再現』して見せるサフィール。仲間しかいないせいか顔を隠すことをやめているシンクは、長い前髪を軽く掻き上げた。

「ふーん。そういや、あんたやアリエッタはいなかったんだっけね。僕はあの中で戦って死んだそうだけど」
「私はレムの塔でぶっ飛ばされた後、マルクト軍に捕まったらしいです。何だかんだで生き延びたみたいですねえ」
「アリエッタはその前に、あたしと戦って死んじゃってたんだっけ。大佐の『預言』を疑うつもりは無いけどさあ、さすがにこれは信じられないかなあ」

 ジェイドが語った『前の世界』の物語。サフィールは自身の顛末に呆れ気味に肩をすくめ、友人となったアリエッタの『最期』を言葉にしたアニスは頭を振った。だがシンクは、「そうでも無いでしょ」とアニスの台詞をやんわりと否定する。

「あんたがずーっとモースのスパイやってたら、可能性はあったと僕は思うね。モースはほんとに、導師のこと人間扱いしてなかった部分あるし」
「ま、それもそっか。今のイオン様がアリエッタのイオン様じゃ無いってこと、あっちのアリエッタは知らなかっただろうしなあ」

 頭の後ろで手を組んで、アニスはシンクの言葉に納得したように溜め息をついた。『この世界』では後戻りが出来なくなる前にアリエッタもシンクも、そしてアニスも救われた。だから、『もし自分たちが救われなかったら』と言う状況を想像することが出来ないでいる。
 そしてそれは、頬に手を当てているナタリアにも言えることだ。

「ネイス博士もアリエッタも、『前の世界』ではずっとカーティス大佐と敵対しておられましたものね」
「ほんと、私ってどこまで行っても馬鹿ですよねえ。ジェイドを喜ばせたい一心だったのかも知れませんけれど」

 さすがに、彼女の指摘にサフィールは頭を抱えた。ジェイドの説得によりこの場にいる自分だからこそ、ただただゲルダ・ネビリム復活のためだけに周囲を……ジェイドすら省みること無く突き進んだ『前の世界の自分』の愚かさに思い至ることが出来る。少なくとも、説得されるまでの自分は全く同じ思考を持っていたのだから。

「それで20年からの仲違いか? 本当に馬鹿か」

 ある意味サフィールの暴走の被害者と言えなくも無い、真紅の焔。彼は呆れたように腕を組み、横目でサフィールを睨んでいる。反論の余地も無いのだろう、科学者はふるりと肩を震わせるだけにとどめた。

「ですね。その点では私は、ジェイドの『記憶』には感謝してるんですよ」
「感謝はしても、そこに頼り過ぎちゃ駄目なんじゃ無い?」

 どこか突き放したような口調は、シンクにとっては普通のものだ。それが分かっているから子どもたちは彼をたしなめることも無く、素直にその意味を汲み取ることが出来る。

「そうですわ。既にユリアの預言とも、カーティス大佐の『記憶』とも世界は違っているのです。どちらにも囚われること無く、私どもは進んで行かなくてはならないのですわ」
「そうだね」

 強い口調でナタリアが紡いだ言葉に、緑の髪の少年はつまらなそうな……否、当然と言う表情で頷く。
 だけど。

 だけど、死霊使いだけは今でも『前の世界』に囚われている。
 みんなでヴァンをぶっ飛ばせば、あいつだって解放されるはず。

 そうじゃなきゃ、嘘だ。

 真紅の瞳に救われた少年は、心の中だけでぽつりと呟いた。


 くおおおあああああああああああ!

「!?」

 突如、空を切り裂くような甲高い声が響き渡った。風防越しに空を振り仰いだ一同の目に入ったものは、自分たち目がけて突き進んで来る空中都市の姿。

「っ! 緊急発進します!」

 凍りつく一同の中にあって、ギンジだけは即座に動いた。滑るように水上を走り始めたアルビオールが、程無く空へと舞い上がる。ほとんど遅れること無く2号機、そして3号機も同様に飛び立った。

「くっ!」
「しばらくしゃべらないでくださいよ!」

 座席にしがみつくアッシュたちに怒鳴りつけ、ギンジは操縦桿を巧みに操作する。都市の巨体をひらりと交わし、アルビオールたちは邪魔するものの無くなった空中を走る。
 その彼らを守るように、翼を持つ魔物たちが周囲を舞っていた。アリエッタの『友だち』であるフレスベルグやグリフィンが、彼女とその仲間たちに危険を知らせる警報を放ったのだと言うことを人間たちは、やっと気づいた。

「フレス、グリフ! ありがとねー!」

 やっと姿勢が安定した1号機の中でアニスは、彼らを代表して礼の言葉を叫んだ。


「ありがとう!」
「みゅみゅ、助かったですの、ありがとですのー……ふらふらですのぉ」

 一方、2号機の中では魔物の言葉を理解出来るアリエッタとミュウが嬉しそうに手を振っていた。が、アリエッタの方はともかく小さなチーグルはティアに身体を支えて貰っている。急激な発進で、軽く目を回しているようだ。

「はー、びっくりしたあ」

 長い髪をがしがしと掻きながら、ルークは肩をすくめる。半ばずり落ちかけた座席に腰を戻し、緩過ぎた故にあまり意味を成さなかったシートベルトをきっちりと締め直した。
 そのルークをちらりと横目で伺いつつ、ガイはどこか楽しそうに青い目を細める。視線の先は、操縦席にいるノエルだ。

「それにしても、君はよく反応出来たね。ノエル」
「空を飛んでいると、時々魔物たちが警戒して鳴くんですよ。さっきの鳴き声はそれよりももっと切羽詰まってましたから」

 ずっと前を向いているからこちらから表情を伺うことは出来ないけれど、声の調子からしてノエルはきっと楽しそうに微笑んでいるのだろう。自分もフレスベルグたちも、オールドラントの空を行く同志である。その彼らが危険を知らせてくれたことで彼女は、音機関の翼が彼らの仲間として受け入れて貰えたように感じているのかも知れない。

「なるほどなあ。アリエッタ、フレスたちに頼んでくれたのか?」
「アストン、危ないかも知れないから。でも、みんな一緒にいたから」

 ノエルの言葉に納得したように頷いて、ガイは視線を窓に張り付いているアリエッタに移した。彼が投げかけた問いに、少女は満面の笑みを浮かべてこっくりと頷く。

「ありがとな、アリエッタ」
「うん」

 くしゃりと髪を撫でてやったルークにも、アリエッタはその無邪気な笑顔で答えてみせる。そして、視線を窓の外に移した。その目が鋭く細められるとほぼ同時に、ジェイドが口を開く。

「さて、ノエル。上手く避けてくださいね。対空砲火が来ますよ」
「覚悟はしています。任せてください、ホドまでちゃんと送り届けます」

 ノエルの力強い答えの言葉にほんの少し頬を緩めてジェイドは、少し息を吐いた。


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