紅瞳の秘預言 99 双闘

 アルビオール2号機を降り立った仲間たちは、アッシュたちとは別の通路を駆け下りていた。こちらはガイが先頭を務めており、ジェイドはルークのすぐ横を走っている。
 広間で彼らを待っていたのは、決戦装束を纏いレプリカ兵士たちを従えたリグレットだった。その姿を目にして立ち止まった一行の中にあって、ティアが彼女の名を叫ぶ。

「リグレット教官!」
「やはりお前たちか。どうあっても、我らとは分かり合えんと言うことだな」

 ティアを見据え、リグレットは溜め息混じりに答える。だがその表情に、戸惑いや悲しみは見られない。ヴァンに心酔している彼女は、とうの昔に覚悟を決めているからだろう。

「そうで無ければ、私たちも貴方も今ここにはいません」
「確かにな」

 自分と同じように心を決めたティアの表情に、満足気に頷く。リグレットにとってティアは愛する人の妹であり、大切な教え子だった。その少女が今や、自身を殺すためにこの地を踏んだ……敵対してしまったことは残念だったけれど、こうやって目の前に現れてくれたことで自身の手で引導を渡してやることが出来る。それが、心の何処かで嬉しくてならないのだろう。
 ふと、リグレットの視線が青い服の軍人に移った。その途端、彼女の表情は一変する。冷たく嘲るような、憎むような眼がジェイドを、真っ直ぐに射た。

「死霊使い。私はずっと、お前を殺したくて仕方が無かった。あの時、総長のご命令が無ければ殺していたのに」

 端麗な顔を苦々しげに歪めながらリグレットが発した言葉に、ルークは思わず肩をビクリと震わせた。
 あの時。
 ジェイドがヴァンに囚われ、操り人形同然にされていた時。
 彼が生きて皆のもとに戻れたのは、ヴァンが殺さないように命じていたからなのだと言う。そうで無ければジェイドは、仲間の所に帰って来なかった。
 『前の世界』の、自分のように。

「そうでしょうね。グランツ謡将が世界に絶望したのは、フォミクリーがきっかけだったでしょうから。私を捕らえた目的もフォミクリーだったのに」

 だが、ジェイドは口元を少し緩めただけでほとんど表情を変えなかった。
 自身が憎まれるのは当然だったから。彼の人生を絶望に変えたのがフォミクリーであるならば、その技術を生み出した自分に憎悪の念を持つのは当たり前だ。
 彼だけで無く、『死霊使い』ジェイド・カーティスに憎しみを持つ者は世界に多数存在している。だから、今更感情を持つには至らない。

「けれど、私は後悔するつもりはありませんよ。開発するきっかけになった願いは叶いませんでしたけれど、その代わり私には良い子どもたちが出来ましたから」

 故にジェイドは、そう答えた。今彼が生きている理由が、そこにあるから。
 イオン、シンク、フローリアン、ゲルダ……そしてルーク。
 『我が子』に未来を贈るために彼は5年の月日を駆け戻り、そして今ここにいる。

「民を殺し、街を滅ぼし、死者をも辱めた『死霊使い』ならではの言葉だな」
「その罪は、私が1人で負えば良い。世界の全てを呪うようなものではありません。それが分からない辺り、グランツ謡将もまだまだ若い」

 リグレットの嘲りの言葉を正面から受け止めて、ジェイドはまたほんの少しだけ微笑んだ。
 罪なんて、今更拭いきれないほどに背負っている。このまま、死ぬまで持って行けば良い。
 贖罪など出来る訳が無いし、その贖罪に子どもたちを巻き込むつもりも無い。
 だから、リグレットに殺されるわけにはいかないのだ。

「俺はホドの出身だけど、ヴァンデスデルカの企みに乗るつもりは無い。あいにく、そこまで世界に絶望しちゃいないんでね」

 ジェイドの思いを途切れさせたのは、剣を鞘から引き抜きながらのガイの言葉だった。呪いの力で一度はジェイドに刃を向けた彼だが、それでもこうやって肩を並べ、共に戦うことは出来る。
 リグレットは一度ガイの顔を見つめ、僅かに眼を細めた。そこにどのような感情が籠っているのかは、外からでは分からない。そのままの表情で彼女は、桜色の髪の少女に視線を移す。

「なるほど……ならば、アリエッタはどうなのだ?」
「アリエッタは、イオン様のお願いを叶える。預言は無いけど、みんなが笑って生きていける世界にする。だから、リグレットの言うことは聞かない」

 ホド消滅の折に発生した大津波。それにより滅んだフェレス島の生き残りであるアリエッタは、胸を張ってそう答えた。故郷を滅ぼされたことよりも、イオンが望んだことを叶える方が彼女の中では強い。それはきっと、『アリエッタのイオン』もそう望んでいたのだと彼女は思っているからだろう。
 少女にはひとつだけ頷いて、最後にリグレットが視線を止めたのはルークの上だった。この場にいる、個を確立した唯一のレプリカに対し彼女は、あくまでも人を見る目では無く物に対する視線を向ける。

「レプリカルーク。お前は、総長の望んだ世界でも生きていける。安心して、大人しくローレライの鍵を渡せ」
「断る」

 故にどこか傲慢な響きのある彼女の言葉を、ルークは一言で切り捨てた。ぴくりと眉をひそめたリグレットに対し、朱赤の焔は一度仲間たちの顔を見渡して、それから再び口を開く。

「ヴァン師匠の造りたい世界に、俺の仲間たちはいない。アッシュにとっての俺みたいに、同じ顔をした違う誰かだ」

 オリジナルとレプリカは、同じ姿をしているけれど違う人間。
 ジェイドと共に旅をするようになってからルークは、そして仲間たちは、何度もジェイドからそのことを教えられた。だからアッシュも、イオンとシンクも、そしてフローリアンも皆、自分が『自分と言う人間』であることを自覚して生きている。
 ずっと空っぽだったシンクがジェイドの手を取ったのも、自分が自分であって他の誰の代わりでも無いのだと言うことを彼から教わったから。
 だから。

「俺は、俺の仲間たちと一緒に生きていきたい。だから、ヴァン師匠を止めに来た」

 ルークはルークと言う1人の人間として胸を張り、答えた。その答えを聞いてリグレットは、満足そうに笑みを浮かべる。
 これで、何の迷いも無く殺し合える。

「では、私は総長の望む世界のためにお前たちを倒そう。レプリカルーク、お前の中にあるローレライの宝珠を総長に捧げるためにも」

 両手に譜業銃を構え、銃口を向ける。彼女の背後で兵士たちも、各々剣を構えた。どこかぎこちない仕草なのは、恐らく彼らがフォミクリーで生み出されたばかりのレプリカ兵士だからだろう。

「それは出来ません。この子たちのためにも、貴方にはここで退場していただきます」

 凛とした、ジェイドの声が響く。アリエッタが僅かに後方に下がり、代わりにティアが前に出る。そうして彼らもまた、己の武器を構えた。ジェイドも珍しく、槍を実体化させている。

「教官。お覚悟を」
「出来るものならば、やって見るが良い!」

 ティアの言葉に答えてのリグレットの叫びに応じ、兵士たちが走り出した。刀を抜こうとするガイを軽く制し、ジェイドが一歩前に踏み出す。その全身を、音素の光がきらきらと取り巻いているのがはっきりと見えた。
 『この世界』に来てから、ジェイドは幾度と無く音素たちに守られている。今でもジェイド自身に全く自覚は無いけれど、この複製の都市においてもその守護は働いていた。
 彼が命じれば、音素たちはその力になってくれる。それはきっと、世界が彼に味方しているから。
 今はヴァンの中にあって眠っているローレライもまた、彼の思いに同調しているから。
 始祖ユリアが、世界の滅びを望んでいないから。

「邪魔をしないでください。風塵皇旋衝!」

 一度くるりと回転させた後、ジェイドは槍を床に突き立てる。瞬間、彼を取り巻いていた音素たちが風の形を取りレプリカ兵士へと襲いかかった。激しい風の余波が、リグレットの視界を遮る。

「くっ!」
「よし、行くぜ!」
「おう!」

 その風が収まる前に、ジェイドの両脇からルークとガイが飛び出した。その横をかすめるようにティアの投げナイフが飛び、銃を構えようとしたリグレットは銃身でそれを受け止める形になる。

「銃は撃たせません!」

 杖で兵士に牽制をかけながら、ティアが叫んだ。続けて譜歌を歌い始めた彼女の周りで、第七音素たちがメロディに合わせ踊る。

「みんなを守って! バリアー!」

 『友人』や『兄弟』を連れていないため白兵戦に不向きなアリエッタは、後方から仲間たちを守るための譜術を放つ。剣を振るい兵士たちを薙ぎ倒して行く2人の青年を覆うように、光がふわりと舞った。
 そうしてジェイドは、真紅の瞳に獰猛な笑みを湛えつつ呟いた。その言葉を聞き取れたのは、ジェイド自身だけかも知れないけれど。

「死んでください、リグレット。私も、すぐに行きます」


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