紅瞳の秘預言 100 活路
自身は戦闘能力の低いサフィールは、子どもたちからは一歩引いたところで戦況を観察している。その姿を見てか、神託の盾の武装を纏った兵士たちがジリジリと近づいてきていた。
兵士たちの動きはどこか単調なもので……故に、サフィールはふんと鼻を鳴らしつつ手を掲げる。ぱち、ぱちと弾けている音素たちをその手に纏い、ボソリと呟いた。
「レプリカ兵士ですか。全く、第七音素の無駄遣いをして……殺されるために生み出される、この子たちにも失礼だとは思わないんですか」
つまらなそうな顔をしたまま自身に向かって来る一群を見つめていた銀髪の学者は、頃合いと見て取るやすっとしゃがみ込み手のひらを床に思い切り叩きつけた。
「狂乱せし地霊の宴、ロックブレイク!」
同時に完成した詠唱に従い、床がばきばきと音を立てて盛り上がり砕ける。その衝撃に突き上げられ、兵士たちはあっさりと足元をすくわれた。砕けた破片が身体を直撃し、数人が動けなくなってその場にうずくまる。
「ラルゴと直接やったら負けちゃいますからねえ。雑魚の数減らしくらいはしておかないと」
薄い唇に笑みの形を取らせ、サフィールはとんと床を蹴って後ずさった。その後を、動くことの出来る兵士が瓦礫を乗り越え、なおも迫って来る。
そこに、サフィールを庇うようにシンクが飛び込んだ。小柄な体格を生かし、低い姿勢で足元の死角から兵士の喉元を突き上げ、胸を破る。
「言っても聞かないだろうけどね、邪魔すんじゃ無いよっ!」
叫びながらなおも、生命を狩って行く。だが、手の先であっさりと音素乖離して行く複製体の感触に、少年は顔をしかめた。
自分のように己を確立することの出来たレプリカと違い、この兵士たちには恐らく自我を芽生えさせる時間すら与えられなかっただろう。ただ命じられるままにこちらに剣を向け、振りかざすのみ。
ジェイドの知る『前の世界』では、もっと多くのレプリカが生み出されたと言う。うち1万もの生命が、オールドラントを守るために音素と化して消えた。ルークが死した後も、恐らく生き延びたレプリカはいただろう。そのうちどれだけが、イオンたちやルークのように己を確立することが出来たのだろうか。
そして、ヴァンが望んだ世界に放り出されることになるレプリカたちも。
「んな世界をユリアが望んだっての? 冗談じゃ無い、自分の先祖馬鹿にしてさ!」
吐き捨てるように叫びながら床に手をつき、シンクは両足をくるりと振り回した。弾き飛ばされた兵士たちの手から剣を蹴り飛ばして、そのままひとりふたりと胸を打ち抜き音素に帰して行く。
サフィールやシンクが討ち漏らした兵士には、ナタリアが正確に矢を突き立てる。目を逸らさずに真っ直ぐ、自身が手に掛けた生命の昇華を心に刻みながら。
「私は、ここで立ち止まるわけにはいかないのです。……ごめんなさい」
目を閉じてはいけない。見届けなければならない。
愚かな争いの中で骸すら残さず消えて行く彼らを、覚えていられるのはきっと自分たちだけだから。
だからナタリアは、迷うこと無く次の矢を弓につがえた。
レプリカ兵士をサフィールたちに任せ、アッシュとアニスは2人がかりでラルゴに向かっていた。
「ラルゴっ!」
「ふん!」
大きく振り回された鎌の刃に触れて、真紅の髪がぱらりと空に舞う。だが次の瞬間踏み込んだアッシュの剣の先が、とっさに身を傾けたラルゴの頬当てをかすめた。
「ちっ!」
くるりと回した鎌の柄でアッシュを殴りつけようとしたラルゴだったが、その企みはトクナガが伸ばした爪によって妨げられた。ぐいと押し戻されそうになり、獅子王は足に力を入れて踏みとどまる。
「甘いってーの! アッシュはやらせないからねっ!」
「済まん、アニス!」
譜業人形の背中から叫んだ少女の名を呼び、アッシュはラルゴの動きが止まった隙にするりと抜け出した。一旦距離を取り、剣を構え直して再び床を蹴る。
「おら、まだまだ行くぜ!」
「おっけー、どんどん行っちゃうよー!」
アッシュの叫びに、ひらりと譜業人形に身を翻させたアニスが答える。鎌の刃を巨大な爪が払い、懐にまで潜り込んだアッシュが剣を突き込む。追い打ちをかけるようにトクナガが繰り出す連打に、上手く動くことが出来ない。どうにか鎧で耐えてはいるものの、確実にラルゴのほうが分は悪かった。
「く、うっ」
2人の即席とは思えないコンビネーションの巧に、ラルゴは少しずつ押されて行く。だがそれでも、男の目に宿る戦意が鈍ることは無い。
子どもたちがヴァンを倒すことで世界を救いたいと考えているのと同じように、ラルゴはヴァンに従い今の世界を滅ぼすことで世界を救いたいと考えているのだから。
「俺は……その程度で、倒されぬぞ!」
故に、獅子の名で呼ばれる猛将は吠える。既に兵士のほとんどを昇華させられながらもその気迫は、焔と彼を取り巻く子どもたちを一瞬引かせた。
「分かってますよ、そんなこと!」
その中にあってサフィールだけは、音素を操る詠唱を紡ぎながら叫び返した。ジェイドよりも音素を操る技術において劣ることを自覚している彼は、だから音機関を用いることをためらわない。武装として腕にはめている小型の音機関から、風の音素を刃の形にして射出した。残った兵士たちが程なく、音素に解けて空に消える。
「そうだね……行くよっ! アブソリュート!」
ぶるりと一度頭を振るって気を取り直し、シンクが音素に命を下す。水の音素たちは自ら氷となり、ラルゴの足元をすくうように槍の形を取って盛り上がる。がり、がりっとラルゴの鎧が削れ、ばきんと音がして額を覆っていた兜の一部が剥がれ落ちた。
「良いぞ、小僧ども」
額から一筋血を流しながら、それでもラルゴは凄絶な笑みを浮かべた。大鎌をぐいと突き出したその全身を、炎の音素がごうと取り巻く。彼もまた音素に愛され、その力を借りることを許された戦士なのだ。
「本気で行くぞ……業火に呑まれろ! 紅蓮旋衝嵐!」
「わっ!?」
「え、ちょっと!」
振り回される刃と共に、音素が炎となって舞い上がった。反応が遅れたシンクと、まさか自分のところまで届くとは思っていなかったらしいサフィールが巻き込まれて弾き飛ばされる。
「おおおおおおおっ!」
「ちっ!」
振り下ろした鎌の狙いは、真紅の焔。彼に襲いかかるように、巨大な炎の渦が生まれた。
咄嗟に飛び退いたアッシュだったが、服の裾が炎に触れてじりっと燃える。ちっと舌を打ち、サフィールの譜術が産み出した瓦礫を盾にするように駆け出した。
炎の渦が力を失い、消える寸前。シンクとサフィールの元へ、トクナガを盾にして防いだアニスが駆け寄った。
「2人ともだいじょぶっ!?」
「熱いじゃ無いですか、まったく……っ」
「さすが黒獅子ってとこだねっ……もうちょっとなのに」
譜業人形が壁になり、爪を閃かせて2人を守る。その向こうで、アッシュは瓦礫を足場に低く飛んだ。
「おら、まだまだだぜ!」
「上手く避けた、と褒めておこうか!」
剣と鎌がぶつかり合い、がぎ、と耳障りな金属音がした。ぎりぎりと力のせめぎ合いが始まるが、どう贔屓目に見てもアッシュが不利であろう。
無論それは、アッシュ自身が一番良く分かっていた。
「私から逃れられると思ってはいないでしょうね……降り注げ、聖光」
「な、に」
だから彼のこの行動は、ナタリアが天を射る時間を作るための囮だ。
彼女は、進んでこの役割を受け入れた。
「アストラル・レイン!」
音素が宿った矢が、宙に放たれる。その光は空で分裂し、文字通り雨のように黒獅子へと降り注いだ。その中に身を晒し、ラルゴは少しだけ歯を噛み締める。
無念。
その言葉は胸の奥にしまい込んだまま、巨体はゆっくりと力を失った。
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