紅瞳の秘預言 100 活路

「受けてみろ……ホーリーランス!」
「く……きついっ……」
「きゃあ!」

 リグレットの澄んだ声と共に、光の譜術が発動する。顔を庇うように腕を交差させたジェイドと、彼の背後にいたアリエッタが打たれて跳ね飛ばされた。

「旦那、アリエッタ……くっ!」

 光で目が眩んだところに重ねるように撃たれた譜業銃の弾が、2人のもとへ駆け寄ろうとしたガイの肩をかすめて消えた。ルークはリグレットを挟んでジェイドたちとは正反対の位置を取ってしまっており、レプリカ兵士たちを相手にしているせいもあって近づくに近づけないでいる。

「魔を灰燼と為す、激しき調べよ──ヴァ・ネゥ・ヴァ・レィ・ヴァ・ネゥ・ヴァ・ズェ・レィ」

 そこへ、ティアの声がメロディを紡いだ。次の瞬間降り注いだ幾筋もの雷が、兵士たちの身体を撃ち貫く。リグレットは反射的に身を翻し被害を防いでいたが、次の瞬間歌の正体に気づいて目を細めた。

「第5の譜歌、か……既に、全ての譜歌を会得しているのだろうな、ティア」
「ええ。そうで無ければ、ローレライを解放することなんて出来ないもの」

 杖を構え直し、リグレットと相対するティア。睨み合う2人をちらりと視界の端で伺い、ぱんと肩を払って宝剣ガルディオスの柄を握りしめたガイは、生き延びた兵士の腹を横薙ぎに切り裂く。その後ろをルークが、ジェイドたちのもとに走り寄っていた。

「ジェイド! アリエッタ!」
「私は大丈夫ですから、アリエッタを」
「すぐ終わるよ。応急処置だから」

 焼けた腕を見もせずに微笑むジェイドは、視線こそ投げないまでもリグレットや残存の兵士たちを警戒している。それが『ルークに危害を加えられないため』であることを、朱赤の焔は薄々感づいている。
 ……だから、わざわざルークはジェイドのところに来たのだ。自分がそばにいれば、ジェイドは周囲に気を払ってくれる。そうで無ければきっと、ジェイド自身への攻撃よりもルークへの攻撃を防ぐためにこの人は、身を投げ出すから。

「癒しの力よ……ファーストエイド」

 ジェイドの腕に手を添えて、そっと詠じた。第七音素たちは喜んで、青い布に覆われていた腕を癒す。その感触に、レンズの奥で真紅の瞳が見開かれた。

「ルーク、貴方」
「やっと、治してやれた。ジェイドが怪我するの、嫌だったから」

 ほっとしたようなルークの笑顔に、ジェイドは言葉を失った。
 きっとこの少年は、自分を庇ってこの軍人が青の軍服を血で染めたあの日からずっと、心にわだかまりを持っていたのだろう。だからこそ彼はそれからの旅の中で剣を覚え、同時に音素の操り方を覚えて来たのだ。

 やはり私は、貴方を傷つけることしか出来なかった。

「ありがとうございます、ルーク。アリエッタもお願い出来ますか」
「おう、任せとけ」

 心の声を押し潰して笑顔を作ったジェイドの言葉に、ルークは大きく頷くとすぐに立ち上がった。桜色の髪を持つ少女を抱き上げる少年を確認して、軍人は視線を敵に向ける。刹那、声を張り上げた。

「避けなさい!」
「助ける、力をっ……!」
「光の欠片よ、敵を討て! プリズム・バレット!」

 ジェイドの声に重なるようにアリエッタの苦しそうな声、そしてリグレットの叫びと乱射の音が鳴り響く。ほんの一瞬でもアリエッタの詠唱が遅れていれば、前線にいたガイとティアは恐らく、蜂の巣にされていただろう。

「く、助かった、っ」

 水の守りに衝撃を吸収され、ガイは一瞬だけ顔をしかめただけで床を蹴った。残った兵士たちを薙ぎ払い、音素に帰して行く。ティアも投げナイフを引き抜き、リグレットと彼女を守る兵士たちに叩きつける。

「ふん! まだ動きが遅いぞ、ティア!」
「1人なら致命的だけど、私には仲間がいるもの!」

 リグレットは銃身でナイフを弾き飛ばし、逆の手に持った銃でティアを狙う。だが、あまりに距離が近すぎるせいかリグレットがトリガーを引くより早くティアは身をかわし、杖の先端でその銃を叩き落とすことに成功した。

「旋律の戒めよ──死霊使いの名の下に具現せよ」

 そうして、凛とした詠唱が響いた。傷を癒された手を差し伸べ、ジェイドは音素たちに命じる。
 あの敵を、撃て。

「ミスティックケージ!」

 眩しい光が、空間全体を包み込む。レプリカ兵士は全て音素に帰し、残されたリグレットも強烈な音素の嵐に翻弄される。これが、『死霊使い』として名を馳せたジェイド・カーティスが持つ、恐るべき譜術の力。
 それでもリグレットは、倒れるわけにはいかなかった。ここで自分が倒れれば、『死霊使い』の力はヴァンへと向けられる。それならばここで、止めなければならない。

「ま……だっ!」
「教官っ!」

 ティアの悲鳴混じりの叫びに、はっとしてリグレットが振り返る。次の瞬間、鮮血が飛び散った。


 ぼろぼろに砕けた鎧の破片が、そこかしこに散らばっている。床に倒れ込んだラルゴのそばに、ナタリアは静かに寄り添っていた。
 ほんの少し視線を動かして、ラルゴはナタリアの顔を見上げた。その目が、やんわりと細められる。

「強く……なった、な、メリル」
「……はい。お父様」

 生まれたときに、本当の両親から貰った名前。その名で自身を呼ばれ、金の髪の少女は小さく頷いた。そうして、やっとのことで彼を本来の呼び方で呼ぶことも出来た。

「馬鹿者……こんな男を、父と呼ぶで無い」

 苦笑を浮かべながらラルゴは、微かに首を振る。だが、この少女が心の芯は自身に似て強情であることを知っているから、あまり強くは言わない。
 もう、言う権利も無いのだろう。世界を、娘ごと滅ぼそうとした男には。
 故に、せめて贈れるだけの言葉を贈ろう。

「……預言からもし本当に逃れられるものなら、全てを尽くせ。で無くば、我らが正しいことを証明することになる」
「分かっている。俺たちは、預言が絶対で無いことを証明して見せる」

 ナタリアを守るように立っているアッシュが、ローレライの鍵を握りしめた。サフィールは眼鏡の位置を指先で直しただけで、言葉を口にすることは無い。その横でアニスも、少し頬を膨らませたまま黙っている。

「この世界を、複製にすり替えるわけには参りません。だって」

 そうしてナタリアは、少し悲しげに微笑んだ。

「私の本当のお母様は、バチカルの海が好きだったのだと聞きました。複製された海では無く、古来からオールドラントにある海が」
「………………ふ。そうだった、な……」

 娘の言葉に、ラルゴはふうと深く息をつく。
 妻が人生の最後を選んだ場所は、この宇宙が自ら創り出した海だった。これから生み出されるかも知れない、人が造り出した海では無い。

 なあ、シルヴィア。俺は、お前に会えるか?

 青い水平線を思い出しながら、ゆっくりと男は目を閉じた。


「……私はただ、あの人の力になりたかった」

 ティアの膝の上に抱き起こされて、リグレットはぽつり、ぽつりと語る。その胸元には、ティアの投げナイフが食い込んでいた。とくん、とくんと流れ出ている血が止まることは、恐らく無いだろう。

「預言に囚われた人間と世界の解放を、あの人は望んでいたから、だから」

 時折こふりと血を吐きながら、彼女は言葉を続けた。じっとそれを聞いていたティアは、ゆっくりと首を振る。

「兄が起こそうとしている世界の変革は、ただの滅びでしか無い。オールドラントが生まれ変わるのでは無く、オールドラントに良く似た世界が生まれるだけなんです」
「そうでもせねば……世界は、預言から逃れることは、出来ん」

 きりと唇を噛みしめると、その端からまた一筋血が流れた。だがティアはリグレットのその言葉を、努めて冷静に否定する。
 感情を必死に抑えて、きゅっと拳を握りしめて。

「大佐が、そうでは無いことを教えてくれました。ユリアの預言と大佐の預言は、違う終わりを迎えています。そして、私たちが今生きているこの世界での歩みも」

 教え子の言葉にリグレットは、力無くまぶたを開く。そうしてティアを見上げ、うっすらと微笑んだ。

「……役割を、違う誰かが担っているだけかも、よ」
「そんなこと、ありません……」

 ティアの否定の言葉は、どこか弱々しい。けれど、それではいけないのだと気を奮い立たせる。
 『前の世界』で死んで行ったルークの役割を担おうとする『違う誰か』なんて、1人しか思い当たらないから。
 今ガイやアリエッタ、そしてルークと共に自分を見守ってくれている、真紅の瞳を持ったあのひとしか。
 そんなことをさせないために、自分たちは今まで戦って来たのだ。

「私たちは、皆で未来に行きます。兄にも、邪魔はさせません」

 だから少女は、その思いを力強く言葉に紡いだ。毅然とした表情は、彼女が初めて外殻大地の土を踏んだ時とは似て非なるものだ。
 あの時はただただ、兄の野望がどんなものかも分からないままがむしゃらにそれを止めようとしていただけ。
 今のティアは、ヴァンが何を考えているかを理解してなお、その野望を止めるために戦っている。
 リグレットの目には、そんなティアがどこか眩しく見えた。けれど、彼女は。

「ヴァンは、強い、わよ」

 そう言って、自慢気に微笑んで見せた。あくまでも、自身が選んだ道が間違っているのでは無いと、そう信じて。

「知っています。だけど、私たちは負けない」

 そして、ティアはしっかりと頷いた。自分たちが選んだ道は間違ってなどいないのだと、そう師に伝えるために。

「……どちらが、勝つのかしらね……ふふ、ヴァン……」

 愛しい人の名を呼んだ後もほんの少し唇は動いたけれど、それは声になることは無い。そうして、リグレットはかくりと首をうなだれさせた。


「行くぞ。ナタリア」
「……はい」

 優しく肩に置かれたアッシュの手を、ナタリアは自身の手で包み込んだ。

「行こう、ティア」
「そう、ね」

 恐る恐る差し伸べられたルークの手に、ティアは自身の手を添えた。

 そうして、少女たちは立ち上がる。

「参りましょう。私どもには、やらねばならぬことがあるのです」
「行きましょう。私たちは、ここで立ち止まっているわけにはいかないわ」

 最後の戦いは、すぐそこだ。


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