紅瞳の秘預言 101 決戦

 大きな上り階段が、青い空の下へと導いている広間。ルークたちとアッシュたちは、ほぼ同時にその空間へと足を踏み入れた。そうして、互いの姿に気づく。

「ルーク!」

 最初にナタリアが、嬉しそうに幼なじみの少年の名を呼んだ。朱赤の焔は軽く手を上げて、肩に空色のチーグルを載せたまま駆け寄って来る。少女を取り囲む仲間たちも、少年を追う仲間たちも、誰ひとりとして脱落した者はいない。そのことに自然、皆の表情が綻ぶ。

「ナタリア、アッシュ! 良かった、みんないるな!」
「当たり前だ。こんなところでやられている訳にはいかん」

 弟の笑顔を見て、真紅の焔は軽く肩をすくめる。その横で銀髪の学者が、紅瞳の譜術使いへと駆け寄った。

「ジェイド! 大丈夫だったんですね?」
「はい、サフィール。貴方こそ」
「私は平気ですよ。ちゃんと逃げますから」

 穏やかに笑みながら答えてくれる親友に、サフィールは思わず出来もしない力こぶを作って見せる。その背中を軽く平手で叩き、シンクがガイにちらりと視線を向けた。

「1人で逃げんじゃ無いよ、ったく。……シグムントの剣は鈍っちゃいないようだね」
「何だ、知ってたのか。お前さんも、腕はなまって無いんだろ?」
「当たり前じゃん」

 かつて呪った相手と、呪われた相手。奇妙な縁を持つ2人は、互いの拳をこつんとぶつけ合う。その横をかすめるように通りすぎて、アニスはアリエッタに抱きついた。

「アリエッタぁ! 無事で良かったあ!」
「アニスも、良かった!」

 一度ぎゅっと強くお互いを抱きしめた後、2人の少女は身体を離してにこっと微笑み合う。同じようにティアとナタリアも、互いの手を重ね合わせてほっとひと息をついていた。

「ティア、よくご無事で。……リグレットがいたのでは無いのですか?」
「どうしてそれを……ラルゴがいたのね?」
「ええ」
「そう。……大変だったわね」

 少し顔を俯かせたナタリアに、ティアは吐息に紛れさせて言葉を紡ぐことしか出来なかった。だが、金の髪を揺らしてナタリアは顔を上げる。

「もう、心は決めていましたから。それにティア、貴方も苦しかったのでは無くて?」
「私も、決めていたから」

 2人はお互いに笑みを交わし、己の心を短い言葉にして吐き出した。
 自身の父と、決着をつけてきたナタリア。
 恩師との戦いを、終わらせたティア。
 最後の戦いに向けて彼女たちは、自らの中に一区切りをつけることが出来たのだ。

「……あら?」

 そうして一安心したのか、ティアの視線がルークの肩にしがみついているミュウに移る。
 ほんの少しとは言え和やかな空気の中にあって、聖獣の仔だけは小さく身体を震わせていたから。

「ミュウ、大丈夫?」
「あら、どうなさいましたの?」
「こいつ、さっきからこうなんだよなあ。ほらしっかりしろ」

 ナタリアも視線を向け、思わず頬に手を当てた。ルークは肩を軽くすくめ、明るい青色の頭を撫でてやる。全員の視線が集まる中で、チーグルの仔は小さな身体をさらに縮め涙ながらに訴えた。

「みゅみゅ……だってだって、この先に怖い怖い力を感じるですの。だから、ボク……」
「……ああ」

 ミュウの言葉に、皆は納得したように頷いた。無論彼らも、階段の上……青空の下で自分たちを待っている男の気配を感じなかったわけでは無いのだ。

「そうだな。分かるよ……この先にヴァン師匠がいる」

 代表して、ミュウの主である朱赤の焔が頷いた。そうして、これから自分たちが向かう先をきっと睨みつける。
 ミュウの言う『怖い怖い力』、その気配が持つ圧力が強く感じられる。だがルークは、そして仲間たちは、それに怯むことは無い。
 その先に進むために、ここまで来たのだから。

「このまま進めば、もう後戻りは出来ないんだな」
「必要ありませんよ。総長をやっつければ、それで終わりなんですし」

 ぽつりとルークがこぼした言葉を耳に止め、サフィールがくすりと微笑む。彼に腕にしがみつかれながら、ジェイドは軽く肩をすくめた。

「確かにそうですね。もともと我々は、グランツ謡将を倒すためにここまで来たのですし」
「ヴァン総長、世界を壊そうとしてる。アリエッタは今の世界に、壊れて欲しくない。ママもみんなも死んじゃうから」
「ヴァンは、世界を壊して造り直さなければ未来は変わらないと信じている。そのために、自分の中にローレライを封じ込めた」

 ぬいぐるみを抱きしめながらアリエッタが拗ねたように頬を膨らませ、アッシュはちっと舌を打ちながら言葉を紡ぐ。苦笑を浮かべつつガイは、微かに見える青空と同じ色の瞳を細めた。

「でも俺たちは、俺たち自身が努力すれば未来は変えられるって知っているぜ。旦那が見て来た『前の世界』は、少なくともそうだったもんな」
「おまけにあたしたちは、大佐の知ってる未来とも違う世界を作って来られたもんね」

 自身の隣に立つ、桜色の髪の友人を見ながらアニスが頷いた。
 『前の世界』では生命を賭けて戦った間柄である2人が、『この世界』では仲の良い友人として並んでいられる。
 それだけでも、世界は確実に違っている。
 第七譜石に刻まれた未来とも、ジェイドを縛り付けている未来とも。

「うん。後は、ヴァン総長を懲らしめるだけ。早く出してあげないと、ローレライがかわいそう」
「全く、ヴァンも分かって無いんだよねえ。ローレライが消滅したら、そのローレライの分の第七音素が不足する。それを補充するために、世界のバランスは崩れちゃうじゃ無いか」

 頭の後ろで腕を組み、アリエッタやアニスの顔をちらりと伺いながらシンクがぶつくさ呟く。小さく溜息をついて、ミュウの頭を撫でてやりながらティアが言葉を続けた。

「そうすればきっと、第七音素で結合されたレプリカの世界はひどいことになるわ……兄さんのやっていることは、世界の未来を悪い方に変えることなのね」
「ですが、グランツ謡将はそうならないと信じていますわ。そして、私どもの努力が無駄であるとも」
「お互い、相手の主張を受け入れられないところまで来てしまっている。どちらかが倒れなければ、もう終わらない」

 胸元でナタリアが拳を握り締め、唇を噛む。アッシュはその拳を自分の手で包み込み、言い聞かせるように呟いた。

「……だな。で、作戦は打ち合わせ通りで?」

 仲間たちの表情をくるりと見渡して、金の髪の青年は自分よりも年かさの2人に視線を向ける。彼に頷いてみせたのは、銀の髪を持つ譜業使いの方だった。

「ええ。あちらもそうそう、おかしな手には出て来ないでしょうしねぇ」


 ケセドニアの宿。出撃を翌日に控えた一同は一室に集まり、ヴァンと対峙した時の作戦について『経験』のあるジェイドの話を聞いていた。

「……まあ作戦も何も、基本は力のぶつかり合いでしょうね。ただ、総長の中にいるローレライをどうにかしないとなりませんが」
「第七音素だからな。こちらの攻撃が当たったとしてもすぐに回復出来るだろうし、下手すると超振動を使って来るかも知れない」

 アッシュが顎を撫でながら、ふむと思考を巡らせる。兄の言葉に、ルークがきょとんと目を丸くした。

「え、師匠1人で?」
「ヴァンとローレライ、でしょ? あんたたちがやるのと要領は一緒だよ。疑似超振動の類だと思うけど、かなりの威力は覚悟した方が良いよね」

 つまらなそうに頬杖をついているシンクだが、その説明は的確なものだ。「なるほど」と頷いた朱赤の焔から視線を戻した先で、ジェイドもまた少年の説明に満足気に頷いている。そして、説明に戻った。

「こちらが有利になれば、恐らくグランツ謡将はローレライの力を使って来ると思います。ですが、それは私たちにとっても好機と見て良いでしょう」

 ジェイドの説明に理由はほとんど紡がれていないが、そのことに子どもたちが不満を持つことは無い。それはつまり、彼が『前の世界で経験した』ことが理由となっているからだ。
 ヴァンは、ジェイド自身の口から『前の世界』の話を聞いて知ってはいる。だが、状況自体はどちらの世界でもさほど変化が無い。人の思考と言うものも、そうそう変わるものでは無い。
 アリエッタやサフィール、シンクがルークたちの側についているのはひとえに、ジェイドがその状況を変えようと努力した末の賜物なのだ。だが、それでもラルゴやリグレットを変えることは出来なかった。


PREV BACK NEXT