紅瞳の秘預言 101 決戦

 ジェイドの『記憶』を知ってなお、ヴァン・グランツは自身の計画を変えなかった。だからもう、最後の決着を付けるしか『終わらせる』方法は無い。そして、そのためには己の身に封じた意識集合体の力を使うことに躊躇いは無いだろう。
 だがそれは、ジェイドが『経験した前回の戦い』でもあったこと。故に彼は、ある程度の対処法を知っている。そうしてその理由を、ナタリアは少し考えて思いついた。

「眠っているローレライを起こさなければならないから、ですかしら」
「ええ」
「なるほどねえ。意識集合体の力を、人間1人で押さえ込むには限界があります。こちらから刺激してやれば、ヴァン総長が制御出来なくなるってことですか」

 王女の答えを肯定したジェイドの後を引き取り、目を細めつつサフィールが答えた。理由が分かれば、こちらからその状況に持ち込むことも容易くなる。
 それが出来るのは、ヴァンと同じ太古の血を引く少女。

「ティア。貴方は、機会があれば大譜歌を歌ってください。最初はローレライは眠らされていると思いますが、大譜歌であればその目覚めを促すことは可能です。出来ますね?」
「ええ」

 紅の瞳で見つめられ、ティアはしっかりと頷いた。戦いの中で、終わった後のユリアシティで、彼女はユリアの譜歌を必死に習得し続けた。
 それに、第七の譜歌ももう、彼女の中にある。

 兄さんと、大佐が歌ってくれたから。

「ジェイド、どうせなら貴方も歌っちゃいなさいよ。歌えるんでしょう?」
「え?」

 不意に掛けられたサフィールの一言に、全員の視線が彼とジェイドに向けられた。その中で思わず眼鏡の位置を直し、ジェイドはレンズの奥で目を瞬かせる。

「ですが、私が歌っても意味はありませんよ?」
「私が聞きたいんです」
「ディスト、てめえなあ……」

 不思議そうに首を傾げる幼なじみに対し、空気を読めていないとも思える答え。真紅の焔が思わず眉間にしわを寄せたのも、致し方の無いことだろう。
 だが、サフィールはそれ以外の答えもちゃんと用意していた。細い指で空に円を描きながら、楽しげにそれを提示して見せる。

「それに、ローレライは貴方のことも気に掛けていたんでしょう? ちゃんと譜歌を歌って、ここまで来ましたよって知らせなくちゃいけません。ティアだけに任せておくつもりですか?」
「あ、そうだよな」

 途端、ルークが顔をほころばせる。自身はローレライと幾度か言葉を交わしたことがあるけれど、その中で第七音素意識集合体は紅瞳の譜術士のことを案じていた。

「ローレライはずーっと、ジェイドと話が出来なくて寂しそうだったんだ。だから、歌だけでも届いたらきっと喜ぶよ」
「……」

 『我が子』の翠の瞳に見つめられて、ジェイドは一瞬だけ言葉を失った。しばし見つめ返して……そうして、ふっと表情を緩める。

「……そうですね。結局、ここまでお待たせしてしまいましたし」

 終われば、代償を支払わなければなりませんから。

 音として紡がれない言葉を、仲間たちが聞くことは出来ない。だから目の前にいてもルークは、ジェイドの心を読むことは出来なかった。


 階段を登り終えた先は、青い空の下。広々とした空間は壁も無く、その中央でじっと目を閉じ正座しているヴァンの他に動くものは何も見えない。
 ゆっくりと目を開き、彼は敵である一同の姿を視界に収めると薄く笑みを浮かべた。ゆるりと立ち上がるその様は、まるで世界を統べる王のようでもある。

「やっと来たか。待っていたぞ」
「お待たせしました」

 ほんの少し身を引きながら、それでも笑顔を崩さずにジェイドが答えた。深層意識の中に残された傷が未だに残っているのだろう、と自身の背後に彼を庇いながらシンクは思う。

「よくぞここまで辿り着いたな、アッシュ、ルーク」

 少年には目もくれず、ヴァンは2人の焔をまっすぐに見つめている。右手を差し伸べ、軽く手招いた。

「お前たちがローレライの落とし子だと言うのなら、あれをこの身に宿す我が元へ来い。星の記憶を消滅させ、滅びの預言を覆すために」
「断る」
「お断りします」

 ほんの数カ月前であれば、僅かにでも躊躇したに違いない恩師の言葉。だが2人は、何の躊躇いも無く首を横に振る。
 そんなことをしなくても、預言を覆すことが出来ると知っているから。

「ユリアの詠んだ第七預言なら、既に覆されつつある。キムラスカとマルクトは手を組み、大地は本来あるべき場所へと帰った」
「ルークも、アッシュも生きてる。一緒に並んで、ここにいる」

 剣の柄に手を掛けたガイ、ぬいぐるみを抱きしめるアリエッタがその思いを言葉にする。だが、もうその言葉に籠められた思いがヴァンに届くことは無い。

「レプリカルーク。いずれ、複製体であるお前に居場所は無くなる。私の望む世界を生み出せば、そこにお前の居場所はある」
「居場所なら、もうあります」

 捨て駒とは言え自身を作り出した男の言葉に、ルークは毅然と反論する。何しろ彼は文字通り自分を『作った』だけで、言葉も歩き方も教えてはくれなかったから。
 その意味でルークはそれらを教えてくれたガイを『父親の1人』と認識しており、ヴァンを『父親』と認識することは無い。
 それに。

「確かに俺は、望まれずに生まれた子どもかも知れない。だけど今はこうやって、たくさんの友だちがいる。父上も母上もいる」

 ジェイドもいてくれる。

「レプリカだから、とかそんなんじゃ無いんです。俺はルークって言う1人の人間として、皆と一緒にこの世界に生きている。この世界に育てられて、こうやって生きている」

 胸を張り、複製体と呼ばれる少年は自分の思いを自分の言葉で語る。これもまた、ヴァンから教えられたことでは無い。少しはあるのかも知れないけれど、けれど彼はルークごと、この世界を捨てようとしているから。

「だから、貴方の望む世界なんていらない。居場所はもう、ここにある」

 ぽんと自分の胸元を叩いたルークの手のひらに、ほんの少し暖かさが宿る。少年の中に眠っているローレライの宝珠が、彼の思いに共鳴したのかも知れない。
 封じられているローレライ自身の思いとして。

「兄さん、人は変われるの。何も知らない子どもだった私も、『死霊使い』と呼ばれた大佐も、『死神』だったネイス博士も今こうやって、貴方を止めるために心をひとつに出来ている」

 ティアが、杖の先で床を叩きながら声を張り上げた。短いながらも世界の荒波の中を揉まれて来た彼女たちは、人が変わって行くさまを己の目で見ることが出来た。
 育ててくれた祖父も、キムラスカの王も、緑の髪の参謀総長も。
 それなのになぜ、自分の兄は変わろうとしないのか。

「考え直すことは出来ないの? 大佐の『未来の記憶』を知っているのなら、ユリアの預言が絶対のものでは無いことくらい分かるでしょう!?」
「だが、その『記憶』とてせいぜいが2年先までのものだ。愚かなオリジナルが、その後に星を滅ぼしたことは想像に難くない」

 ジェイドの『記憶』が持つ可能性を肯定する言葉を放ったティアに対し、ヴァンはその可能性を否定して見せる。
 確かにジェイドが持つ『記憶』も、第七音素の素養を持つ子どもたちが見た『夢』も、ヴァンが示した時点までしか自分たちは知らない。だから、『前の世界』がその先どうなったかを知るすべは無い。

「だからって、レプリカに世界を任せる? お前の言っていることは、オリジナルもレプリカも馬鹿にしてるんだよ。あくまでもレプリカを、オリジナルの代替物としてしか見ていないんだからな」

 家の名を冠する宝剣の切っ先をヴァンに突きつけ、ガイは厳しい言葉を放った。
 ルークはアッシュの代わり、今のイオンはアリエッタのイオンの代わり、レプリカ世界はオールドラントの代わり。ヴァンは全てのレプリカを、ただの『代わり』としてしか見ていない。
 だから、レプリカを『オリジナルと同じ姿を持つだけの別の存在』と理解している自分たちとは、その点でも相容れない。

「星なんて、いつかは滅びるんですよ。もちろん今すぐじゃありませんけどね。けれど貴方のやっていることは、わざわざその寿命を縮めるようなことでしか無い。何しろレプリカ世界は、オールドラントじゃ無いんですからね」

 苦々しげに顔を歪め、サフィールは譜術の詠唱準備を始める。譜術が不得手であることを自覚してはいるけれど、親友の願う未来を掴むためにはそんなことを言ってはいられない。
 その思いを感じ取りながらジェイドは、ヴァンに対し最後通牒とも成り得る言葉を紡いだ。『前回』は確か黒髪の少女が告げたはずだったけれど、『今回』はきっと自分が適役だから。

「私は、私の見た未来に縛られているのかも知れません。ですがグランツ謡将、ユリアの預言に一番縛られているのは貴方です」
「ははは、そうかも知れんな。ではカーティス大佐、どちらの預言による拘束力が上か確かめてみようでは無いか!」

 楽しそうに笑い、ヴァンは剣を振りかざした。と同時に彼の周囲を、音素の風が取り巻いた。
 交わることの無い道を進もうとする2つの思いは、互いを否定するためにこの場にある。


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