紅瞳の秘預言 102 運命
悠然と剣を振りかざすヴァンを取り囲み、ルークたちは各々武器を構えた。
相手はたった1人だが、しかし強い。そのことを、彼らは知っている。
アルバート流剣術を修め、数々の譜術を使いこなす歴戦の猛者。その体内にはローレライが封じ込まれ、彼自身の意思によりその力を使うことも出来るだろう。契約の証たる大譜歌をも会得している彼ならば、ローレライの鍵を手に入れさえすればその野望を果たすことも出来得る。
だが、それでは世界は滅ぶ。子どもたちの望む未来が、消えてしまう。
故に紅瞳の譜術士と彼に導かれた仲間たちは、それぞれがそれぞれの役割を果たすことを最優先とした。
『前の世界』でも戦ったことのあるジェイドが、子どもたちが皆生きて未来を迎えることが出来るように願っているから。
子どもたちもまた、ジェイドと共に未来を迎えることを願っているから。
だからもう、後戻りはしない。
「みんなを守って!」
「水気よ、盾となれ!」
アリエッタとナタリアが、同時にアクアプロテクションの詠唱を終える。シンクとアッシュの身を守るように音素が舞い踊り、2人は顔を見合わせて頷くと素早く駆け出した。
「堅固たる守り手の調べ……クロア・リュオ・ズェ・トゥエ・リュオ・レィ・ネゥ・リュオ・ズェ」
「サンキュ!」
そして、ティアの譜歌はルークを守る盾を生み出した。ちらりと少女の顔を見て微笑むと、朱赤の焔もまた兄たちを追うように床を蹴る。
「そら、そら、そらっ!」
身軽なシンクがいち早くヴァンのもとへと到達し、テンポ良く打撃を与えて行く。上手く剣で受け止めるヴァンの顔に余裕が生まれていることに少年は気づいていたけれど、それでも手を緩めることは無い。
「うおおおおおお!」
アッシュが剣をかざし踏み込んで来た瞬間、シンクはくるりと身を翻した。自身の軽い拳ではヴァンに傷ひとつ付けられないと踏んでいた彼が選んだのは、アッシュの刃がヴァンに届くまでの足止め役だったのだ。
がきっと鈍い金属音をさせ、ヴァンはローレライの鍵をも自らの剣で受け止めた。ぎりぎりと力同士がぶつかり合う中、彼はにいと唇の端を歪める。
「踏み込みが甘いぞ、アッシュ。そのような刃で、私を倒せると思うか」
「無理だろうな。1人なら」
だが、相対するアッシュもまた楽しそうに笑みを浮かべた。ほんの一瞬後、彼よりも明るい髪の持ち主が愛用の剣をヴァン目がけて振り下ろす。
「だけど、俺たちは1人じゃ無い!」
力任せにアッシュを押し戻し、ルークの刃を受け止めるヴァン。その、アッシュにも劣らない力強さに内心驚愕しながらも、彼は髪を切ることの無かった少年の言葉にふんと鼻を鳴らした。
「お前が数に入るか。成長したな、レプリカルーク!」
「レプリカだからって、他のみんなと違うわけじゃ無い!」
「だよね! ちょっと親が多いけどっ!」
ヴァンの膝を足場に飛び離れたルークと入れ替わり、シンクが低い姿勢で滑り込んで来た。そのまま右の足元からヴァンのこめかみに鋭い蹴りを入れ、剣を握っていない左手がその細いすねを捕まえる前に素早く距離を取る。
「貴様らに、親などおらんだろうに。音機関の胎で構築された複製体が!」
後頭部でまとめられた、ティアと同じ色の長い髪が揺れる。一瞬だけめまいを起こしながらも吠えたヴァンの声に応じ、音素が入り乱れて嵐となった。だがその嵐は、子どもたちに届く前に譜術障壁に遮られる。
「人んちの子どもを馬鹿にしないでくれます? 親ならいますよ、私やジェイドがね」
ジャケットの袖口から障壁を生み出す譜業装置を覗かせて、サフィールが冷たい笑みを浮かべた。その背後から狙いを定め、ナタリアは矢を次々に放つ。
「ルークやシンクを、レプリカたちを侮辱しないでくださいまし!」
「ち、小賢しいっ!」
ぶんと大きく振られた剣の勢いに、ほとんどの矢が叩き落とされる。だがそれをくぐり抜けた1本が、ヴァンの髪留めを破壊した。ばさりと広がった髪が、刹那彼の視界に死角を生み出す。金の髪の青年が素早く駆け寄ったことをヴァンが確認したのは、自身の腹を刀の切っ先が掠めた瞬間だった。
「いい加減にしろ、ヴァンデスデルカ!」
「ガイラルディアか!」
反射的に突き出された剣を、ギリギリのところでガイは避ける。ほんの僅か服の裾が裂けたのにちっと舌を打ちながらも、追撃を試みた。
「くくっ、後悔するのだな……滅びよ!」
その動きを、ヴァンは察知していた。左手を空に掲げ、素早くガイの胸元に当てる。そうして彼らの周りに、音素の竜巻を発生させた。
「なっ……」
「ガイっ!」
痺れたように動けないガイを見て、思わず焔たちが駆け寄ろうとする。が、次の瞬間ヴァンは音素の力を籠めて剣を床に突き刺した。
「星皇蒼破陣!」
「がっ!」
突き立った剣を中心に、巨大な譜陣が展開した。そこから溢れ出る光の圧力が、ガイを始めとしてルークたちにも襲い掛かって来る。
「……譜術障壁、展開っ!」
一瞬早く正気に戻ったサフィールが、全力で自分の前に譜術の壁を作り上げる。アリエッタがナタリアの手を引いて、その後ろに飛び込んだ。
「あーもー! ティア、シンク、こっち!」
トクナガの前方に譜術を放ち、圧力を軽減しながらアニスが叫んだ。名を呼ばれた2人は反射的に譜業人形の影へと走り込む。
だが、彼ら以外の仲間たちに光は容赦無く、圧力を叩きつけた。壁を作った彼らですらどうにか耐えるのに必死だったのだから、その威力は想像を絶するものだっただろう。
「ぐあっ!」
「わあああっ!」
「く……っ!」
2人の焔とジェイドがまともにその力を受け、跳ね飛ばされる。ガイだけはヴァンから近すぎたのか、すぐその足元に倒れ伏した。眩しい光はその役目を終え、音素たちとなって大気の中に拡散して消える。
「壮麗たる天使の歌声……ヴァ・レィ・ズェ・トゥエ・ネゥ・トゥエ・リュオ・トゥエ・クロア」
弾き飛ばされた仲間たちの中で、癒しを紡ぐティアの譜歌に反応したのかルークがいち早く気を取り直した。ぶるりと頭を振るうと、視界の端に青い色が掠める。
やっぱりか。
こんな時まで、全くもう。
泣きそうになるのをこらえて、振り返るルーク。そこにはやはり、床に叩きつけられそうになった少年を庇ったジェイドがいて。
「ジェイド!」
「大丈夫、ですね?」
「……ああ」
にっこり笑って頷いてくれた彼には、ルークも小さく頷いて返すしか無かった。そうして、剣を持ち直しジェイドを背に庇う。どうやらルークを受け止めて背中をしたたかに打ったらしく、彼の動きが少し遅かったから。
少年が視線を向けた先には、剣を持ち直したヴァンからほんの少し離れた場所でゆっくりと立ち上がるガイの姿があった。振り上げられた刃から逃れる術は、今の彼には無い。
「ガイ! 癒しの光よ、ヒール!」
「本気、出しちゃうんだからぁ……終わりっ! イービルライト!」
「ほあたぁ! あーたたたたたぁ!」
青年を守るためにナタリアが癒しの詠唱を、アリエッタが攻撃の光を放つ。それに沿うようにアニスがトクナガをヴァンのサイドに滑り込ませ、勢いに任せて殴りつけた。
「おら、邪魔だ! どけ!」
その腕からいつの間に掴まっていたのかアッシュが飛び降りて、剣を横に薙ぐ。身体のあちこちに傷が出来ていたが、この程度で子どもたちの戦意が失われることは無い。
「悪い、アッシュ」
「るせえ」
続けざまの攻撃を逃れるためにヴァンが飛び離れたことで、差し当たってガイへの集中攻撃は無くなる。そのことで礼を言う青年に対し、真紅の焔は僅かに顔を赤くしつつ目を逸らすだけにとどまった。
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