紅瞳の秘預言 102 運命

 詠師服を着ることが無くなっても相変わらず、黒を基調とした衣装の多いアッシュ。その背中を軽く叩いてガイは、ヴァンへと向き直った。

「ヴァンデスデルカ! 俺のシグムント流が何のために存在しているのか、知らないお前じゃ無いだろう!」
「無論。アルバートの血統、即ち我がフェンデを守るため」

 かつての主が放った問いに、ヴァンは即座に答えの言葉を紡いだ。
 アルバートとシグムント。太古の歴史の中に名を刻まれた2人の兄弟の流れは、今の世界においてフェンデとガルディオスの2家に繋がっている。
 ユリア・ジュエの血が2000年の時を経てフェンデと言う形で遺されたのと同様、兄弟の名は剣術の流派の中に遺されている。
 ユリアの血はセフィロトツリーの操作と、そしてローレライとの契約の証である大譜歌にその意味を持つ。
 では、兄弟の名を取った剣術もまた、残った意味があるはずだ。

「それだけじゃ無いぜ。ユリアの想いを守り、後世に伝えるためだ!」

 ヴァンの答えに軽く首を振り、ガイは言葉を加える。本当ならばホドに安置された第七譜石と、そこに籠められた彼女の想いを今の世界に残すために彼らの会得した剣術は存在したのだと、金の髪の青年は思う。
 だからこそアルバートの名を冠した剣術は、ローレライとユリアの想いを汲み取ることの出来る2人の焔へと伝わったのだろうから。

「ならば、私と言う形でそれは叶えられた!」

 だが、この男はそうは考えていない。自身の企みこそが遠い過去の願いを具現化したものだと、信じて疑わない。
 その証拠とも言える勝ち誇った表情で叫びながら、ヴァンはホーリーランスを放った。床を砕きながら突き進んだ光の槍は、だがサフィールが展開した譜術障壁にその方向をずらされて空に消える。

「荒れ狂う流れよ、スプラッシュ!」

 そうして、ジェイドが放った水の譜術がヴァンを押し流そうと試みる。激しい奔流はヴァンが構えた刃によって切り裂かれはしたが、その身に纏われた詠師服をズタズタに引き裂いた。

「ユリアの想いの具現化が貴方? ふざけたことをおっしゃる。私の知っている『前の世界』でも、そんなことはありませんでしたよ」
「だよね。ふざけんなって感じ」

 左の肩を手で押さえながら言葉を吐き出すジェイドに同調し、シンクが姿勢を低くする。床に手をつき、自らを弾丸として発射出来る態勢を整える。

「シンクめ、愚かな考えにかぶれおって」
「あんたの考えの方が愚かだからね! 1人で思い込んで1人で結論づけて、それで世界を巻き込んでっ!」

 ジェイドも、そうなんだろうけどね。
 だけどあいつは、僕の手を取ってくれたから。

 心の中の言葉は声に出さないまま、ヴァンの言葉をトリガーにしてシンクは弾かれるように飛び出した。剣を持つ手にまず一撃を与えることで刃の向きを逸らし、そこから矢継ぎ早に蹴りを繰り出す。

「歪められし扉よ!」
「今、開かれん!」
『ネガティブゲイトッ!』
「む、んっ……ぬう?」

 アリエッタが、アニスが自らの詠唱を重ね合わせ、シンクを援護する。それにはどうにか耐え切ったヴァンだったが、緑の髪の少年が飛び離れた先に視線を向けて目を見張った。
 青の軍人が立つ、その足元。少女たちの譜術が産み出した闇の譜陣が、彼に力を貸すべく音素をふわりと放っている。既にジェイドは詠唱を紡いでおり、薄い唇の端が僅かに引かれた。

「この重力の中で悶え苦しむが良い……グラビティ!」
「ごぁっ!?」

 詠唱の完了と同時に、ヴァンの全身を強大な重力が襲った。がくりと膝をつき、剣を杖がわりにすがりながら彼は数倍に増幅された自らの体重に耐える。

「ぐ、が……まだまだ……!」
「でしょうねえ」

 呆れたようなサフィールの軽い声が、苦しげなヴァンに答える。顔をしかめながら声のした方にどうにか視線を向けた彼の目に映ったのは、音素の光を纏う譜業使いと譜術士の姿。
 サフィールはともかく、ジェイドはたった今グラビティを放ったばかりだ。それでいて既に、次の術を放つ準備は出来ている。
 雪の故郷において彼が『譜術のバルフォア』と呼ばれる理由を、ヴァンは今この時初めて、本当に知ったのかも知れない。

「天光満つる処我は在り、黄泉の門開く処に汝在り」

 ジェイドが右手を掲げながら、言葉を紡ぐ。ヴァンを取り巻くように、地に譜陣が描かれた。

「出でよ、神の雷……これで終わりにしましょうか!」

 サフィールが右手を掲げながら、言葉を紡ぐ。ヴァンを包み込むように、空に譜陣が描かれた。

『インディグネイション!』

 金と銀の貴公子は、同時に手を振り下ろす。空の譜陣から地の譜陣へと、文字通り『神の雷』と言っても良いだろう凄まじい閃光が降り注いだ。

「ぐがあああああああああああああっ!」

 強烈な光の中、悲鳴じみた叫びを上げながらそれでもまだヴァンは倒れない。苦しいのか、両手を天に掲げながら彼は血を吐くように、絶叫した。

「ま、だ……ローレライよ、その力を私に貸せぇぇぇぇええええっ!」

 瞬間、彼を覆っていた光が消し飛んだ。音素たちが暴れ、ヴァンの周囲をめちゃくちゃに荒れ狂う。その光もまた、あっという間に消えて……いや、ヴァンの『中』に吸い込まれて行った。

「ごっ……おおおおおおおおお!」
「……っ、何っ!?」

 その場にいた全員が、ふらりとよろめいた。自分たちの中から何かが奪われて行くような、恐ろしい感覚に襲われて。

「何、この音素が吸い取られていく感じ……大佐!」

 身を抱えて屈み込んでいたティアが、はっと思い出したようにジェイドを振り返った。自分たちは知らないけれど、もしかして『2度目』であるジェイドなら知っているかもしれないから。
 そして彼は、ティアの願いに当然のように答えて見せた。

「グランツ謡将の中で、ローレライが暴走しているんです! 彼にも意識集合体の制御など、完全には出来ないと言うことですよ!」

 言葉を紡ぎきってしまってから、ジェイドは違和感にほんの僅か首を傾げた。だが、すぐにその疑問は氷解する。
 『前回』はルークを初めとした皆が動き始めるのが遅く、ヴァンはそれなりにローレライの力を使いこなすための時間を得ていた。その後も自分たちは後手後手に回り、その結果としてルークを死なせることになってしまったのだ。
 だが『今回』、ジェイドの『記憶』に基づく根回しがあったせいで、ルークたちの動きは『前回』よりもずっと早かった。故に、ヴァンがローレライを自らに馴染ませる時間が足りなかったのだろう。

「なぁるほど。つまりこれは……」
「ローレライ解放の、チャ〜ンス」

 ジェイドの言葉から素早く事情を理解したであろうシンクとアニスが、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべる。それはとても良く似た表情で、仲の良い幼なじみと見られてもおかしくは無い。互いに顔を見合わせたところで気づき、2人は一瞬目を見張った。
 そうして他の仲間たちも、2人が気づいた同じ事実にすぐ行き当たった。ヴァンがローレライを完全に制御出来ないまま表に出してしまった今こそが、意識集合体を解放する好機なのだと。

「ティア!」
「ジェイド!」
『はい!』

 ルークに名を呼ばれ、サフィールに呼びかけられて、2人は頷いた。とんと床を蹴り、ヴァンを挟むように広場の両端に自らの位置を定める。

「ぐお……ああああっ!」
「ヴァン! 正気が少しでも残っているなら聞け! ローレライがどうしててめえに力を貸そうとしなかったのか、その身で感じ取りな!」

 アッシュが雄叫びを上げ、ローレライの鍵を振りかざす。と同時にルークの胸元が光り、手のひらの上に宝珠が実体化した。
 2つの鍵が、共鳴するように交互に点滅を繰り返す。きっと鍵に籠められた太古の想いも、子どもたちに同調しているのだろう。

「師匠……いいや、ヴァン! 貴方は全部勝手に思い込んだだけで……ローレライの思いもユリアの思いも、まるで分かっちゃいないんだ!」

 ルークの叫びと同時に、2人の焔を音素の風が取り巻く。だがティアが、そしてジェイドが紡ぎ始めた大譜歌はその音を風に妨害されること無く、青い空に響いた。


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