紅瞳の秘預言 103 決着

 レプリカホドの最奥部で、その譜業機関は静かに稼働を続けていた。複製大地を黙々と創造し続けていたフォミクリー装置は、しなやかな指による操作でその役目を終える。

「……これで良し」

 最後のキーを押し込んで、ゲルダは小さく息をついた。小刻みに震えていた音機関が完全に停止したことを確認して、コンソールをぽんと叩く。

「お疲れ様。ゆっくり休んでね」

 そうして、中枢部に視線を向ける。自身と同じく、ジェイドの譜術フォミクリーによって生み出された機関を見つめながら彼女は、軽く肩をすくめた。

「音機関の止め方、覚えておいて良かったわ。で無きゃ、この大地ごと潰すところだった」

 ワイヨン鏡窟やレプリカのフェレス島に存在した音機関は、停止方法を知らなかったためゲルダは力ずくで破壊した。だがこのレプリカホドにある装置を破壊して停止させた場合、未だ構築中であるホドの大地にどのような影響が及ぶかは分からない。ジェイドやルークたちが未だヴァン一派との戦闘を終えていない場合、彼らへの障害となるかも知れないのだ。

「もうそろそろかしら。迎えに行かなくちゃ」

 動力源と繋がれた線を力任せに引きちぎり、黒と白の翼を閃かせながらゲルダはその場を後にした。ここからではジェイドたちの状況を知ることは出来ないけれど、音素たちが激しくざわめいていることは肌で感じられる。
 第七音素が荒れ狂っているから、きっとヴァンがローレライを利用しようとして暴走したのだろう。意識集合体を、その意思に反して使役しようとした報いだ。
 多分、『終わり』はもうすぐ訪れる。その後……彼は果たして、どうするのか。

「……大丈夫よね? ジェイド」

 『生みの親』の名を呟いてから、彼女はぞくりと背筋を震わせた。


「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁあああっ!」

 無防備に第七音素の嵐を巻き起こしながら、ヴァンが剣を大きく振り上げる。その手を目がけて、光を纏わせることで威力を増した矢が次々に放たれた。

「馬鹿なのは謡将、貴方ですわ! 預言は変えられるのだと言うことを知りながら、それでも自身の考えを変えることが出来ないのですから!」

 なおも矢を番え、ナタリアは思いの丈を叫んだ。
 ジェイドの『未来の記憶』を知ってなお、レプリカ計画を進め続けようとしたこの男にはもう、自身の思いは届かないのだと知っていても。
 自身の父にも、思いは届けられなかったのだから。

 ──トゥエ・レィ・ズェ・クロア・リュオ・トゥエ・ズェ

 青い空から、『友達』に力を貸すために舞い降りてきたフレスベルグ。『彼』の背に乗り、アリエッタはぬいぐるみを振り上げながら泣きそうな表情で叫ぶ。

「ヴァン総長、世界をいじめる! アリエッタの大事な人も、ママたちも、みんないじめる! アリエッタ、そんなの許せないっ!」
「くぉあああああああああああああっ!」

 ざく、と肉を裂く音と共にヴァンの肩から血が吹き上がる。だが、彼が口の中で言葉を紡ぐと共に傷は紡ぎ直され、そしてぼこりと盛り上がった。

「世界に傷をつけたのは、人間だろうがああああっ!」

 獣の雄叫びじみた声を上げながらヴァンは、それまでよりも太くなった腕を床に叩きつける。瞬間彼の周囲を守るように氷の槍が形成され、アリエッタとフレスベルグを弾き飛ばした。翼の魔物が少女を庇ったことは視界の端で確認出来たが、追い打ちを掛けるには至らない。

 ──クロア・リュオ・ズェ・トゥエ・リュオ・レィ・ネゥ・リュオ・ズェ

 その氷の槍を、身に纏った炎で溶かし尽くしたのはガイだった。速度を生かし、ヴァンが次々に放つ譜術を軽々と交わしてその目前へと接近する。

「お前の言うことも分からないわけじゃ無かったんだぜ……ヴァンデスデルカ。だけどな、人は変われるし、未来も変えて行けるんだ」

 左手に掴んでいる鞘で剣を受け止め、海の色の瞳を冷やして彼は己の思いを吐き出す。ヴァンと再会する前、そして再会した後も青年の心に宿っていた復讐の念は、ガイ自身が変わることで自然と溶けて行ったのだと。
 ガイを変えてくれたのは、無垢の状態で引き取られた朱赤の髪の子供。
 そしてその子を我が子と慈しみ、彼のために世界を変えようとした紅い瞳の譜術士。

「俺はルークと旦那から、そのことを教えて貰ったんだ」

 想いを込めた宝剣ガルディオスの一閃が、音素の壁ごとヴァンの腕を切り裂いた。

 ──ヴァ・レィ・ズェ・トゥエ・ネゥ・トゥエ・リュオ・トゥエ・クロア

 流れる旋律が、音素たちに力を与える。その音素の風を腕の音機関に纏わせながら、サフィールはタービュランスを放った。

「貴方はジェイドを苦しめた。貴方はジェイドを悲しませる。それだけで、私が貴方に刃を向ける理由は十分なんですよ」

 まるで子どものような、譜業使いの言葉。だがそれだけに、銀髪の彼が幼なじみの譜術士を長きにわたって思って来たことが分かる。
 彼が喜ぶと思ったから、様々な譜業を造り出した。
 彼の力になりたかったから、研究に協力した。
 彼が願ったから、朱赤の焔が死なないために尽力した。

「愚かな『死霊使い』の手先に成り下がるとはな。貴様はもう少し賢いと思ったのだが」
「私は馬鹿ですよ。ジェイドが私に笑ってくれたから、私はジェイドの力になるって決めたんですから。無論」

 譜術により切り裂かれたヴァンの全身は、だが徐々に治癒しつつある。血まみれのままにいと歯を剥き出して笑った彼に対し、サフィールが浮かべた表情は無邪気な、子どものような笑顔だった。

「貴方の野望など、完成させてやるわけには行きませんね」

 ──リュオ・レィ・クロア・リュオ・ズェ・レィ・ヴァ・ズェ・レィ

「……ねえ」

 サフィールの生み出した風の中を、シンクが駆け抜ける。勢いのままに蹴り出した足はすんでのところでかわされたが、少年は足の裏で床を叩いてくるりと自身の方向を転換させた。正面に、ヴァンの姿が来るように。
 そうして幼子は、自身を育てた男に対し今まで口にすることが出来なかった想いを吐露した。

「もし……あんたかリグレットか誰かが僕のことをぎゅっと抱きしめてくれたら、もしかしたら僕は今でもあんたの部下だったかも知れない」
「……ほう」

 髪を振り乱し、傷こそ塞がりつつも血にまみれた凄絶な姿のヴァンは、シンクの思いを聞いてもその笑みの性質を変えることは無かった。自らに敵対するものにのみ向ける、嘲りが混じった表情を。

「は、所詮は子どもだったか。幼いことを言う」
「実質2歳なんだし、親の暖かさなんて知らなかったからね」

 自分の拳が軽いことは分かっている。今のヴァンには、ほとんど通用しないだろうことも。
 だからシンクは、数の勝負に出る。自身に与えられた身軽さと言う武器を最大限に活かすには、それが一番だ。

「人の腕の中があったかいんだって教えてくれたのは、ジェイドなんだ」

 ぱしぱしぱしとリズミカルに拳や蹴りを繰り出しながら、少年は言葉を続ける。もう彼の心には届かないと分かっていても、それでも聞いて欲しいと思うのは……やはり、子どもだからなのだろうか。

「子どもっぽいって思ってくれて構わないさ! 僕は、あったかさを教えてくれたあいつと一緒に行くって決めたんだよ!」

 ──ヴァ・ネゥ・ヴァ・レィ・ヴァ・ネゥ・ヴァ・ズェ・レィ

 はあはあと息を切らしたシンクの細身の身体を、譜業人形の手がふわりとすくい上げた。交代、と言わんばかりに人形の背からウィンクを投げた黒髪の少女は、少年を背後に置くとヴァンに向き直る。

「もう、いい加減にしてよね! 大佐が、ルークが、アッシュが一所懸命になって作ろうとしてるのは、みんな笑って生きていける未来なんだ!」

 サフィールが友人のために、と彼女の持っていたぬいぐるみを改造して造り上げた譜業人形であるトクナガ。その手からせり出した鋭い爪は今や、アニスが願う未来を切り開くための刃となっている。

「なんで総長は、そうまでしてその未来を嫌がるの! レプリカたちに無理やり責任押し付けて!」

 アニス自身は小柄で非力だが、トクナガと言う存在を得ることでヴァンを相手に力比べすらも可能になっている。今もそう、トクナガの爪をどうにか剣で受け止めたヴァンの脇腹に、反対の手で拳を叩き込んでいる。

「全員が笑える未来など、手に入るものか! 貴様らもその手でラルゴを、リグレットを屠って来たのだろうが!」
「否定はしないっ!」

 その打撃すらも受け止めながら吠えたヴァンの言葉を、アニスは素直に受け入れる。確かに自分たちは、自分たちと対立した人々を少なからず手に掛けた。それを否定することはしない。否定すると言うことは、自身の考えを持って立ち塞がった彼らの思いを馬鹿にすることだから。
 だから。

「だから! 殺した人たちの分も世界を平和にしなくちゃ、あたしたちは進んじゃ行けないんだから!」

 少女の叫びと共に強く振り抜かれたトクナガの腕は、ヴァンの身体を跳ね飛ばしていた。


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