紅瞳の秘預言 103 決着

 ──クロア・リュオ・クロア・ネゥ・トゥエ・レィ・クロア・リュオ・ズェ・レィ・ヴァ

「ぐふ……これほど、とはな……」

 叩きつけられた身体を、ゆるりと起こす。どうにか立ち上がり剣を構え直したヴァンの前に進み出たのは、2人の焔たちだった。

「そうだ。俺たちはもう、てめえの手のひらの上で踊る人形じゃねえ」

 艶やかに整えられた真紅の髪をなびかせて、アッシュがローレライの鍵を突きつける。刃に纏わり付く光は、ローレライ自身から流れ出しているであろう第七音素たち。

「俺たちは、1人ひとりがそれぞれ違った人間です。貴方の操り人形でも、誰かの身代わりでも無い」

 断ち切られることの無かった朱赤の髪を風に遊ばせるルークの胸元で、ローレライの宝珠が穏やかに輝く。光がふわりと強まった瞬間、ヴァンの全身に痛みが走った。

「これ、は……」

 ローレライの鍵剣と宝珠。剣は第七音素を凝縮させる力を持ち、宝珠は第七音素を拡散させる力を持つ。そのことに思い至り、ヴァンはぎりと歯を噛み締めた。
 自身の身体は今や、ローレライの力と宝珠により崩れつつあるのだと。

「同じ未来を変えるのでも、俺たちとお前ではやり方が違う。……悪いが、てめえはおとなしく見てな!」
「師匠……ヴァン。これで、終わりにしよう」

 それに、子どもたちも気づいているのだろう。2人は同じ表情で、異なる顔で、師だった男を見据えた。

 ──レィ・ヴァ・ネゥ・クロア・トゥエ・レィ・レィ

 大譜歌が、終わる。その瞬間、焔の子どもたちは床を蹴った。

「うおおおおおおおおおおっ!」

 鏡のようにヴァンを挟み、まずアッシュが剣を振り下ろす。その刃をヴァンは、ぎりぎりのところで自らの剣を持ち上げて受け止めた。

「はああああああああああっ!」

 ほんの僅かに遅れ、ルークが剣を突き出す。空いた手で刃ごと掴み、ちらりと視線を少年に向けてヴァンは口元を歪めた。

「この程度、か?」
「そんな訳、」
「無いだろう?」

 ルークが、そしてアッシュが碧の色の目を細め、短い言葉を繋げて答える。直後、ローレライの鍵剣を押しとどめていた剣がばきりと音を立てて折れた。そのまま重力に引かれた鍵剣の刃は、ヴァンの胸をざくりと裂く。
 そうしてルークの手元で、宝珠の光が弾けるように膨れ上がった。その光はヴァンを包み込み、彼の身体を構成していた第七音素を空気の中へと解放して行く。

「くふぅ……ま、だ……」

 それでもなお、ヴァンは倒れない。自らの中には、ローレライが存在している。その第七音素は人には途方も無いほどの量であり、力である。例えローレライの鍵であっても、その全てを解放するなど、出来るはずが無い。
 この子どもたちには、自分は殺せない。

「貴方たちは、そこまでにしておきなさい」

 そんなヴァンの思考を止めたのは、独特のしゃがれた声だった。焔の子どもたちも、譜歌を歌っていた2人も、そして彼らの仲間たちも、ぽかんと目を見開いている。
 声が聞こえたのは、ヴァンの背後からだった。

「この男を殺すのは、私です」

 感情の無い、冷たい言葉を彼が耳にした直後。
 その厚い胸を、音機関によって形成された音素の刃が背中側から貫いていた。

「ごふ……っ」

 ほんの僅か間を置いて、サフィールはぐりと一度手を捻ると刃を消す。そうしてゆっくりと、ヴァンから距離を開けた。

「直接、心臓を狙わせていただきました。如何にローレライの力を使えようと、貴方の身体は未だに人間のままですからね」

 右手から外された音機関は、たった今付着した新鮮な血に塗れている。自らの腕を鮮血に染めてサフィールは、感情の含まれていない笑みをうっそりと浮かべてみせた。

「ふ……貴様はどこまで行っても、そのような真似しか出来んのだな」
「私だから、出来るんですよ。この子たちにはこんな真似、させられませんから」

 ヴァンの揶揄に、平然と答えるサフィール。胸だけで無く、口元からも赤い血を吹き出させながらヴァンは、それでもニヤリと笑う。

「私が敗れる……と言うことは、世界は、カーティス大佐の預言を選択した、のだな……」

 あくまでもこの男は、モースと違った意味で預言に縛られた思考しか出来ないのだろう。それ故の彼の言葉をルークは、「違うよ」と言う一言で否定した。

「世界は何も選んで無い。選ぶのは、俺たち人間だ」
「く、ははは……そうだな、お前も……人間、だな……」

 少年の言葉に、ヴァンは何かを吹っ切ったかのように頷いた。大きく広げられた手は、その指先からさらさらと光の粒になって散り始める。意識集合体をその身に宿した過負荷とローレライの鍵による音素への干渉、そしてサフィールが与えた最後の一撃は完全に、彼の未来を断ち切っていたのだ。

「良かろう、進め。お前たちが選んだ、未来への道を……!」

 最後にがはりと血を吐いて、ヴァンの身体は光に解けて行く。『夢』の中で見たジェイドの最期にも似たその光景を、その場にいた全ての瞳は最後まで己の内に焼き付けた。


 風に吹かれて、最後の光が空に消える。それを見送ってティアは、僅かに目を伏せた。

「終わった、のね」
「うん」

 ルークは小さく頷いて、戦が終わったことで駆け寄って来た空色のチーグルを抱き上げる。そのままティアのそばに寄り、ミュウと共に彼女の顔を覗き込んだ。

「ティア……」
「ティアさん、大丈夫ですの?」
「ええ、大丈夫。こうなることは分かっていたんだし」

 泣きそうな笑顔。ジェイドがよく見せているその表情に、ふたりは頷くしか無かった。ルークは何も言えずに、ミュウを彼女の胸元に押し付ける。

「みゅみゅ」
「ふふ。心配しなくて良いのよ」

 青い毛並みをふわふわと撫でてやると、ティア自身気持ちが落ち着くような気がした。確かに自分はたった今、1人しかいない実の兄を失った。けれどそれは、互いの思いをぶつけ合った結果。
 だから、残された自分たちにはこれからまだ、やらなければならないことがある。

「落ち着いてるみたいだな。『前回』みたいに、急いで逃げなくて良さそうだ」

 くるりと周囲を見渡して、ガイは剣を鞘に収めた。視線を向けたのは、彼とは対照的に真紅の瞳を持つ軍人。ガイの言う『前回』を、世界で唯一直接知っている人物である。

「そうですね。アッシュ、ルーク」

 ジェイドはガイに答えると、焔の子どもたちの名を呼んだ。トクナガを元のサイズに戻して背負いながら、アニスが呆れたように肩をすくめる。

「と、そっか。最後にもう一仕事あるんだよねえ」
「ローレライが、待ってるもんね」

 フレスベルグを空に待機させ、アリエッタがにっこり微笑む。彼らの視界の中で、2人の焔は同じ造形の顔を見合わせて同時に頷いた。

「分かってる。ローレライを、音譜帯に解放しなくちゃな」
「ヴァンが死んだことで奴とローレライとの契約は解け、ローレライはそれ以前の契約に従い再び地核に戻った。俺たちが鍵を使って、あいつを空に解き放つ」

 アッシュは言葉を紡ぐと、抜き放った鍵剣を掲げる。ルークはそこに、手の中で今は穏やかに光る宝珠を重ね合わせた。

「ずっと音譜帯に上がりたい、って言ってたもんな。ごめん、待たせた」

 剣と宝珠は融合し、次の瞬間2本の鍵剣となる。ひとつはアッシュの手の中に、ひとつはルークの手の中に、そこにあるのが至極当然のように収まった。
 2人の焔はもう、互いを見ることも無い。己がすべきことは、分かっている。
 大地と言う名の牢獄を、囚われた者の名を冠した鍵で開く。
 アッシュは、ルークは、自身の手にある鍵を同時に、床へと突き刺した。その場を中心に、光のラインが譜陣を描く。宝珠の煌きがそこに干渉して、ローレライを地核に封じ込めていた契約を解き放った。解放された第七音素たちが空間を踊り回り、地核で見た光景のように世界を虹色に染める。

「これで、全て終わりましたね」

 幸せそうな……それでいて空虚なジェイドの言葉が、空に響いた。はっと振り返った子どもたちの視線の先に、ひとりだけいつの間にか少し離れたところに佇む彼の姿がある。
 その足元には、解放されたはずの第七音素が規則的に並び始めていた。くすんだ金髪を音素の風に乱されるままに、ジェイドは言葉を紡ぐ。

「私とローレライの契約も、これで完了しました。私は彼に、代価を支払わねばなりません」
「ジェイド?」

 ルークに名を呼ばれたせいか、ふわりと……『夢』の中で消えた時と同じ幸せそうな笑みを浮かべたジェイドを中心に、巨大な譜陣が構築された。そうして、激しく第七音素が吹き上げられる。それは彼に近づこうと足を踏み出しかけたルークを、そして仲間たちを拒絶するかのようで。

「だから──ここで、お別れです」

 音素の風に長い髪を乱されながらジェイドは、ほっとしたように意識を閉じる。闇に沈む瞬間誰かに名を呼ばれたような気がしたけれど、それが誰の声なのかはもう、彼には分からなかった。


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