紅瞳の秘預言 105 回帰

 かつて、ホドと呼ばれた地が存在した海域。その複製たる都市は己のオリジナルが座していた場所に降り立ち、静止した。その周囲をキムラスカ、そしてマルクトの軍艦が包囲している。
 数刻前より、レプリカホドからの砲撃は停止していた。内部の事情が判明しないまま三国同盟軍はなおも警戒を続け、その砲口を複製の大地に向けている。アルビオール3号機は翼を持つ魔物たちを伴いながら警戒飛行を繰り返しているが、それを撃ち落とそうと言う反応も無い。
 その報告を受けてピオニーは、青い目を細めた。ジェイドの『記憶』を知る彼は、ホドでの戦いが終結したであろうことを悟ったのだ。第七音素を計測している班からの連絡は無く、つまりヴァンは倒れたのだろうと言うことが推測出来る。
 ひとまず、世界は救われたと見て良い。

「さて、問題はここからか」

 ポツリと呟いたのは、現在ジェイドの身の上に起きているであろう事象を推定してのことだろうか。
 青く晴れていた空は、時間経過と共に傾き始めた太陽の光を受けてほんの少しずつ色を変えて来ている。夜になる前に、彼らは戻って来るだろう。
 何人が、帰って来る?

「ユリア・ジュエは、悲しい結末を望んでいません」

 そんなピオニーの耳に飛び込んできたのは、決然としたイオンの言葉だった。振り返った皇帝の視界に入ったその少年は、まっすぐに彼を見つめている。
 金髪の皇帝にセフィロトで見た『夢』を伝えた子どもたちの1人である導師は、胸元の聖印を強く握り締めながら言葉を続けた。

「だから僕に自らの預言とは異なる結末を見せ、そうならないよう願ったんです。僕は、僕たちはより良い未来を掴むために心をひとつにしている。だから、大丈夫です」
「……そうだな。ローレライも、あんな終わり方を望んじゃいない」

 どこか追い詰められたように顔をこわばらせているイオンをしばし見つめ、それからピオニーは僅かに口元を緩めた。
 そうだ、誰もあのような終末を望んではいない。
 誰かを守るために、仲間の誰かが消えるなど。

「ルークやアッシュたちもそうだ。なら」
「ええ。大丈夫です」

 ピオニーの表情にほっと安心したのか、イオンもようやく表情をほころばせた。そうして皇帝の横に並び立ち、複製都市があるはずの方角をじっと見やる。

「導師、ピオニー皇帝」

 2人の会話を聞くとも無く耳にしていたインゴベルト王は、不思議そうに眉をひそめる。ジェイドや子どもたちの事情を知らないのだから、当然であろう。

「失礼ながら、何のお話をされておられるのですかな」

 自分より若い皇帝と導師の顔を見比べながら、王は問うた。ピオニーは少しだけ考えを巡らせて、それからゆったりと頷く。

「皆が全員帰って来たらお話しよう、インゴベルト王」

 世界は既に預言を離れ、自らの未来を自らで構築して行く方向にシフトしつつある。ならば、彼には知っていて貰ってもいいだろう。

「預言は変えられる、我らがそう確信したきっかけを」

 預言に縛られない未来を掴もう。そう、皆が願ったきっかけとなった、あの人が胸の中に秘めていた『前の世界の記憶』を。
 彼の娘が、甥たちが、そして彼らを取り巻く仲間たちが心をひとつにし、今日この日まで辿り着くことが出来たその理由を。

 ジェイド。
 お前のおかげで、世界はより良い方に進むことが出来てるんだ。
 だから、帰って来い。

 ピオニーは言葉にせず、その想いを紡いだ。どうかジェイドのもとに届くように、と祈りながら。


「俺は、ジェイドのことを忘れたくない。忘れるつもりなんて無い」

 携えていたローレライの鍵剣。その切っ先を第七音素のみで構成された焔につきつけて、朱赤の髪の少年はそう言い放った。焔に包み込まれた、意識を失ったままの軍人に向けて言葉を投げかける。

「俺は忘れない。契約なんか知らない」
「そうだな。ローレライ、てめえが何と言おうともこの記憶はやらねえ」

 ぐしゃりと前髪を手で掴むようにしてから、アッシュも鍵剣を構えた。2人の焔の動きに釣られるように、仲間たちも次々に戦闘態勢を整える。その中で、緑の髪の少年がぺっとつばを吐きながら言い放った。

「最悪、ヴァンが考えてた同じことをやらかさなきゃいけないかもね」

 ──我を滅ぼすか?

「そのくらいしなくちゃ、ジェイドが消されるんでしょ? 覚悟は出来てるよ」

 ティアの声を借りたローレライの、どこか自嘲的な問い。シンクはにいと笑みを浮かべ、拳を握りしめた。

「……私はあの時、ジェイドよりもルークを選んでしまった。ジェイドに頼まれていたとは言え、ね」

 骨ばった指を軽く曲げ伸ばししながら、サフィールが吐き捨てる。自分がたった一度ルークを選んでしまったことでジェイドは囚われ、心を壊されてしまった。

「ですからもう、ジェイドを選ばないなんて言う選択肢は存在しないんですよ。世界よりも貴方よりも、私は私の大事な人を選びます」

 右手に音素を纏わせてサフィールは、殺意のこもった視線をローレライに叩きつけた。同じように音素を纏わせ始めたアリエッタと視線を交わし、同時に頷き合う。

「ジェイド、連れて行かないで」
「いくら契約とは言え、納得はいかないな。悪いけど、抵抗させて貰うぜ」

 鞘から刀を抜きかけたガイの前に、ほっそりとした腕がかざされた。はっと目を見開いた青年の前で、腕の主である少女がまっすぐに焔を睨みつけている。

「そこまでしなくても良いわ。私が兄と同じようにローレライと契約して、彼を私の中に封じる」
「ティア、貴方……グランツ謡将でも、完全に押さえ込むことは出来なかったのに!」

 弓に矢をつがえていたナタリアが、驚いて声を上げる。けれど、ティアは既に決意を固めているかのように表情を変えることは無い。そうして、決然と言い放った。

「そうすれば少なくとも、私が死ぬまで大佐には手を出させないで済むもの」

 ──……。

「ローレライ。どうにかならないのですか?」
「みゅみゅ。ローレライさん……」

 意識集合体が口ごもってしまったことを悟ったのか、ナタリアとミュウがその名を呼ぶ。ゆらゆらと揺らめく炎には、どこか戸惑いの色が見えるようにも思えた。ルークには、それが分かる。
 ならば。

「とにかく! ジェイドは返して貰うからな!」
「ルークっ!?」

 ティアの声にも耳を貸さず、剣を振りかざしながらルークは炎の中に飛び込んだ。ローレライが戸惑っているのなら、その中に囚われているジェイドを助け出す好機は今しか無い。


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