紅瞳の秘預言 105 回帰

 瞬間、光景が変化した。セフィロトで『夢』を見たときの感覚が、ルークの中に蘇る。

「今度は、何だよ!」

 悲鳴にも似た叫び声を上げてしまってからルークは、そこが何度か『夢』で見たレムの塔の頂上であることに気がついた。『前の世界』でジェイドが音素乖離した最期の場所だから、よく覚えている。
 既に、アッシュたちの姿は無かった。ジェイドが死んだことで、肩を落としながら塔を降りてしまったのだろう。その代わりそこには、人型の炎が揺らめいている。たった今ジェイドを捉えていたのと同じ炎は、即ちローレライの具現化した姿に違いない。
 その手の中に、柔らかな光の塊があった。
 それは、見ようによっては誰かが、己の身体を抱え込んで眠っているようにも見える。
 そう、眠っている。
 全てをローレライに明け渡し、滅びたジェイド・カーティスが。
 正確には、彼が生まれてから滅ぶまで積み上げ続けて来た、記憶と感情が。

 ──なあ、ユリアよ。
 どうしてこの者は、自身の消滅も厭わずに契約を結んだのだろうなあ。

 恐らく光を見つめているのだろう、俯き加減のままぽつりとローレライは呟いた。彼の前には女性が立っていて、ジェイドであった光をじっと覗き込んでいる。

「それが、人を愛するってこと」

 ティアに似た、ユリアと呼ばれた誰かは悲しそうに微笑みながらローレライの疑問に答えた。それでルークは、彼女がローレライ教団の始祖であるユリア・ジュエなのだと気がついた。
 ティアの先祖に当たる人なのだから似ていてもおかしくは無いけれど、まるで鏡写しのように2人はよく似ている。2000年の時を経て、彼女の遺伝子がティアの中に宿っていることは確かだった。

「大切な人のために、自分をなげうってその人を守ろうとした。それだけこの人は、あの子のことを愛しているのね」

 彼女がそっと指先で触れると、微かに光が揺らめいた。いつだったか、眠っているジェイドの頬をルークは軽くつついたことがあった。あの時ジェイドは軽く身じろぎをしただけだったけれど、もしかしたらあの光の反応も同じことなのかも知れない。
 だって、おなじひとだから。

 ──親が子を愛するように、か。

 ゆらゆらと揺れながら、ローレライは問うように呟く。人ならぬ身であるローレライには、親子の情愛と言った感情は理解しにくいものであろう。だが、長きにわたり人を見て来た経験と、元は人であったユリアの言葉が彼に、その感情の端緒を掴ませたのかも知れない。

「そう」

 それが分かっているのかいないのか、ユリアはふわりと笑みを浮かべた。だが、その笑顔は一瞬の後に消え去る。

「ねえ、ローレライ」

 ──何だ?

 張り詰めた口調で自身の名を呼んだ聖女に、意識集合体は軽く首を傾げた。ユリアの視線はジェイドの光にまっすぐ注がれており、ローレライのそんなちょっとした仕草を目に止めることは無い。

「私はこの人に、フランシスのようになって欲しくない。ましてや、皆から忘れられるなんて」

 けれど、彼女の放った言葉はローレライをしっかりと捉えることが出来た。表情など無いはずの彼の『顔』が、どこか嬉しそうに笑ったことをルークは理解出来たから。

 ──我もだ。
 あのような契約を交わしておいて何だが、我はこの者に未来を生きて欲しく思っている。

「うん、分かってる。ローレライは、この人のお願いを叶えてあげたかったのよね」

 ここでやっと、ユリアの表情が再びほころんだ。それはまるで、友人の本音をようようにして聞き出せたと言う安心感。
 そしてローレライ自身もまた、本音を暴かれたことで諦めたのか素直な思いを言葉にした。

 ──あのまま、この者を散らしてしまうには惜しかった。
 この記憶を留め置くためには、契約を結ばねばならなかった。

「ローレライも、ジェイドのことを気にしてくれたんだ」

 ルークは、思わず言葉を口にしていた。そうして、ふと気づく。
 己や第七音素の素養を持つ子どもたちに語りかけて来たローレライは、ずっとジェイドを気にかけていたでは無いか。
 自らの声が届かないことを嘆き、『譜眼の主』を何度も思いやって。
 ジェイドがルークの出自を最初から知りそのために方々へと働きかけていたように、ローレライもまた最初からジェイドとの『契約』を知り少しでも未来が良くなるようにと動いていたのだ。

 ──我の主体を、この者が戻る時間へと移す。
 再び地核に封じられる故、あまり深く関わるわけにも行くまい。
 だが、それでも僅かなりとも力にはなれよう。

「私も一緒に行くわ。預言に振り回される世界なんて、もうたくさん。一度くらい、無理を通してみたい」

 珍しく積極的な提案を示したローレライに対し、ふんと鼻を軽く鳴らしてユリアは力強く頷いた。こんなところはティアや、ヴァンにも受け継がれたのだなあとルークは思う。

「それとね、ローレライ」

 ティアにはあまり見られない、砕けた笑顔。そんな表情を浮かべて聖女は、もう一度ジェイドの光に指先を触れさせる。ゆっくり撫でると、ほんの少しだけ光が強まったようにルークには見えた。

「貰った物をどうするかは、貰った貴方が決めることよ」

 そして、悪戯っ子のようにぺろりと舌を出しながらユリア・ジュエは、答えを紡ぎ上げてみせた。


「……ローレライも、本当はジェイドのこと、心配してくれてたんだな。だから、俺は」

 呆然と、ルークは呟いた。既に周囲の光景は現実のものに戻っており、少年の目の前には自失状態のジェイドが佇んでいる。
 ローレライがルークを弾き飛ばすなど、簡単なことだっただろう。けれど彼は、そうしなかった。
 理由は明白。

「………………るー、く?」

 たった今意識を取り戻したジェイド・カーティスを、今の世界で生かすために。

「一緒に帰ろう、ジェイド。イオンもピオニー陛下も、ジェイドが帰って来るの待ってるぞ」

 そう言いながらルークが伸ばした手の先から、ジェイドは逃れるように後ずさった。怯えるような表情は、ヴァンと相対したときと同じものだ。
 今のジェイドは、ローレライとの契約に心を囚われている。故に彼が発する答えも、そこに縛られたものでしか無い。

「……私は、帰れません」
「ローレライと契約したから?」
「……」

 ルークの問いに、ジェイドは目を伏せる。それは肯定の返事で、だからルークの背後で子どもたちは一斉に、声を上げた。

「大佐、消えないでよお! まだパフェ、一緒に食べてないじゃないっ!」
「いなくならないで! アリエッタ、納得行かない!」
「俺は、忘れるつもりは毛頭無えからな!」
「これで終わりなんて、そんなの納得出来ません!」
「旦那! 陛下やみんなを置いていく気じゃ無いだろうな!」
「フローリアンだって会いたがってるんだよ! しっかりしなよ!」
「カーティス大佐! どうかお戻り下さいまし!」
「ジェイド! 置いてかないでくださいよ!」

 自分を呼ぶ、仲間たちの声。
 答えたくて仕方が無くて、けれどジェイドには答えることが出来ない。朱赤の焔を殺したあの日に、そんな権利は失ってしまったから。


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