紅瞳の秘預言 Epilogue 未来

 ND2020も暮れようとしている、ある天気の良い日。
 バチカルの街外れ、かつて廃工場のあったエリアは現在、アルビオールの発着場及び整備場となっている。上層部へは専用の昇降機が整備され、国賓がこの発着場を利用する機会も多い。
 その発着場で、ルークはそわそわと青く晴れた空を見上げていた。丁寧に梳られた長い髪は背中で緩い三つ編みにされており、毛先の金がアクセントになっている。2年前に愛用していた白のコートでは無く、それなりに整った服装を纏っていた。

「あのねールーク、少しは落ち着いたらどう?」

 ルークの隣に位置を占めている緑の髪の少年が、呆れたように肩をすくめた。サングラスをずらすと、すっかり柔らかくなった瞳が覗く。彼もまた、略装とは言え整えられた衣服である。
 自分の名前を呼ばれたことに気づいて、朱赤の焔は慌てて振り返る。そこにシンクの呆れ顔を見て、少しばかりうろたえた。

「え、あ、悪い。でも何か、気が急いちまって」
「まあ、気持ちは分かるけどね」

 両手を振り回しながら言い訳をしようとするルークに、彼の『弟』とも言える少年は苦笑を浮かべつつ頷いた。髪を軽く掻き回しつつ、たしなめるように言葉を紡ぐ。

「あんた仮にも子爵様なんだから、少しは落ち着きなよ」
「あー、うん」

 シンクに指摘され、ルークは所在なさ気な表情になって少しだけうつむいた。
 子爵。
 世界を救った英雄として、ファブレ公爵家の『次男』として、ルークはインゴベルト王より爵位を賜っていた。『兄』であるアッシュも同じ爵位を賜っており、2人は共に『ファブレ子爵』と呼ばれる身分になった。
 ルークが爵位を受けたのは、レプリカと言う存在が普通の人間とかわりない者であることをキムラスカ王家の力を借りて世界に知らしめるためだった。キムラスカ・マルクト両国の努力やローレライ教団の教えにより減っては来ているけれど、この世界には未だレプリカ差別が残っている。だがルークや、自分が導師イオンのレプリカであることを公表したシンクは胸を張って生きていた。
 周りにいる仲間たちが、力をくれるから。

「あ、来たよ」

 うつむいたルークに代わって空を見上げていたシンクが、嬉しそうに顔をほころばせながら空の一点を指さした。釣られてルークも見上げると、遠くに小さな機影が見える。途端、朱赤の焔は慌てたように自身を改め出した。

「うわ、ほんと来た。なあなあシンク、俺変なとこ無い?」
「無い無い。出て来る前だって何度も鏡見てたくせに、何今更慌ててんの」

 ぱたぱた右手を振りつつ呆れたように声を上げながら、シンクはゆっくりと着陸するアルビオールを見つめている。やがて降りるタラップの上に、待っていた人の姿が現れる瞬間を見逃さないように。

「ほら、ルーク」

 焔の名前を呼び、彼の視線を飛晃艇に誘導してやる。程無く、タラップ上に、客人が姿を表した。
 艶やかに伸ばされたくすんだ金髪と、光が宿ったような金の髪と、そして月の明かりを映したような銀の髪。

「ジェイド! ガイ、ディスト!」

 それぞれの名を呼んで、ルークは一直線に駆け出す。張りのある少年の声は、少し距離のあったタラップまで届いた。

「やれやれ、やっぱりジェイドの名前が最初でしたねえ」
「ま、当然だよな。ルークだし」

 銀髪を揺らしながら譜業使いが、短い金髪を掻き回しながら伯爵が微笑んだ。2人に身体を支えられて立っている譜眼の主は、ふわりと真紅の瞳を和らげる。

「……嬉しい、ですね」
「だろ? ほら、行くぜ旦那がた」
「はいはい」

 ガイに促され、3人はゆっくりとタラップを降りる。既にそのすぐ下までルークと、彼を追って来たシンクは辿り着いていて、彼らが下りてくるのを今か今かと待っていた。
 かつり、と音がして客人たちはタラップを降りきった。ジェイドの手に握られた杖が立てた音に、子どもたちは自然と姿勢を正す。

「この度はお招きいただきありがとうございます。ガルディオス伯爵家当主ガイラルディア・ガラン、ジェイド・カーティス、及びサフィール・ワイヨン・ネイス。マルクト皇帝ピオニー9世陛下の名代として参りました」

 サフィールが一歩前に進み出て、一応は丁寧に礼をする。だが、堅苦しい行儀はここまでだとばかりにニンマリと、楽しそうに笑みを浮かべた。

「というわけで、ちゃんと連れて来ましたよ」
「うん。ガイもジェイドも、来てくれてありがとう」

 満面の笑みを浮かべて、ルークは大人たちの顔を見渡した。ジェイドに視線を固定すると、彼は穏やかな笑みのまま祝いの言葉を紡いでくれる。

「いえいえ。成人おめでとうございます、ルーク」
「おめでとう。お前さんもやっと大人だな」
「ほんとは後10年あるけどな」

 ガイの言葉に、ルークは苦笑を浮かべながら肩をすくめた。
 今日は、アッシュとルークが成人の儀を迎える日。
 ジェイドの『未来の記憶』の、その終結点とも言える日である。


 ホドレプリカが沈黙して数時間後。
 ケセドニアの空にアルビオールが姿を見せたのは、太陽がその姿を消そうとしていた頃のことだった。
 着水した飛晃艇が港に接岸し、タラップが降り、扉が開くのを、三国同盟の盟主たちはじっと息を飲んで見守っていた。
 最初に扉の中から姿を見せたのは、黒と白に彩られた翼を背に持つ女性だった。彼女はピオニーの姿を認めると、『生みの親』にも似た色の瞳を細めて見せる。そうして一度背後を振り返り、するすると港に舞い降りた。
 それからほんの少し間を置いて、複製都市に向かっていた子どもたちが次々に顔を見せる。最後に姿を現したのは2人の焔、そして彼らの肩を借りてどうにか立つことが出来たジェイドだった。

「……ジェイド」

 彼の名を呼べたことでピオニーは、それまで柄にも無くこわばっていた表情を和らげることが出来た。もしかしたら、もう帰って来ないかも知れないと心の何処かで思ってしまっていたからだろう。
 ジェイドが『未来の記憶』を持っていることを知ってから、ピオニーは親友がいつか己の知らぬところで生命を落としてしまうのでは無いか、と恐れていた。軍人である以上それは何もおかしいことでは無いのだが、そうでは無く。
 時間を駆け戻ってまで救おうとした朱赤の焔を守るために、当然のように生命を投げ出してしまうのでは無いか。
 少しでもその可能性を減らすために、皇帝は己の持つ権限を駆使した。ジェイドの研究がはかどるよう手配をし、雪山で目覚めたゲルダを自らの手駒とし、アスランを引きずり込んで彼のサポートを務めさせた。それでも不安が消えることは無かったけれど。
 その思いは、焔の少年を初めとした子どもたちから『セフィロトで見た夢』の話を聞かされたことで、より一層強くなった。救いはその子どもたちが、ジェイドを死なせたくないと言う思いを一致して持っていたことで。

 ありがとうな、皆。
 お前たちのおかげで、ジェイドは生きられる。

 言葉にも、表情にすら出すことは無くピオニーは、譜眼の主を取り巻く子どもたちに感謝した。
 ふと気づくと、ジェイドは自分を支えてくれている焔たちと何ごとか言葉を交わしていた。ややあってアッシュが、続けてためらいがちにルークが、彼からゆっくりと身体を離す。そうしてジェイドは、己の足で一歩、また一歩と進んで行った。

「……」

 それに気づき、ピオニーは自ら動かずにじっと待っていた。時折ふらつきながら、それでも誰にも頼らずにジェイドはようよう、皇帝の前に歩み出る。インゴベルト王やイオン、そしてここまでの旅を共にしてきた仲間たちは一言も言葉を発すること無く、2人をじっと見つめていた。

「……陛下。ジェイド・カーティス……任務、完了いたしました」

 複製の都市で、彼の身に何が起きたのかピオニーは知らない。だから、何故ジェイドがこれほどまでに疲れ果てた、しかし幸せそうな笑みの表情を浮かべているのかも分からない。敬礼をすべく挙げられた手が小刻みに震えている、その理由とて知らない。

「うん、よくやってくれた」

 故に皇帝は、そう答えるしか無かった。何があったのかは知らないけれど、少なくともジェイドは子どもたち皆と共にここに帰って来てくれた。その事実は目の前にあるのだから。


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