LAVENDER prologue BROTHER AND BROTHER
「初めてあいつの顔見たときなぁ、そりゃもう驚いた。少しばかり老けちゃいるけどよ、セシルそっくりなんだ……親父さんの名前なんて聞かなくたって、はっきり兄弟だって分かったよ」

 エッジがぽつり、ぽつりと告げる事実が、『祈りの間』に衝撃を与える。国を滅ぼされ、愛する者を奪われ、そのために憎んできた人物の正体と真実が明かされたとき、彼らには事の次第が全て理解できたのだ。

「……ワシらは、そのゼムスとかいう輩の手のひらの上で、兄弟同士の殺し合いに荷担していたというわけか」

 孤児であったセシルを我が子のように可愛がっていたシドが、額に手を当てて呟く。唇を噛みしめていたギルバートが、思い切ったように顔を上げた。

「でも、ゴルベーザは……セシルの兄君は、正気を取り戻したんでしょう? それなら……」
「甘いなー。ギルバートあんちゃん、まだまだ甘いって」

 ギルバートよりはよほど世間を分かっている、とでも言いたげにパロムは彼の言葉を止めた。年齢に相応しい悪戯っ子の笑みを浮かべたまま、少年は指をちちちと振ってみせる。

「そりゃ、エッジあんちゃんたちは実際に見てるから分かってんだろうけどさあ、オイラたちはあんちゃんから話を聞いただけだぜ。それで信じろってちと虫良すぎねえ? 第一、こっちはいろいろ迷惑してんだよ。な、じいちゃん」

 少年が長老に視線を向けたのに釣られ、ギルバートも視線を移す。ミンウはふと何かを思い出したかのようにゆったりと頷き、口を開いた。

「セシル殿が一人でミシディアを訪ねられたときも、儂らは疑うておったからの。彼の率いた『赤い翼』にクリスタルは奪われ、我らも手痛い傷を負うたが故に……疑いが解けたのは、セシル殿が聖騎士となられたからだ」

 ミンウの言葉を口を閉ざしたまま聞いていたヤンが、何かに思い当たったように顔を上げた。エッジに視線を投げかけると、気づいたのか青年も目を合わせてくる。

「エッジ殿。我らがとやかく言うよりも、まずは当事者であるセシル殿がどう考えておられるのか伺いたい。どうなのだ?」
「ま、そこだわな」

 予測されていた質問だったのだろう。エッジは微かに頷いたあと大きく溜息をついた。短く刈られた白い髪を掻き回してから、言葉を続ける。

「セシルもなあ、一応分かっちゃいるんだよ。ゴルベーザが自分の兄貴で、今までの悪事はゼムスに操られてやらされてたことだってのも。でもな……うーん」
「理性では理解している。しかし、感情がそこに伴わない、ということか?」

 彼にしては珍しく口ごもってしまったエッジに、ジオットが助け船を出した。悪い、と口の中でだけ呟いて、青年はその場にいる全員に告げた。自分たちが選んだ、その道を。

「ジオット王の言うとおりっつーか……セシルはな、まだゴルベーザのこと兄貴って呼べてねえんだ。それもあるし、俺らはゴルベーザを追っかけてお月さんに行くことにした。セシルに、兄貴を兄貴って呼ばせてやれるように」


 意識を取り戻したセシルの目に、黒鎧の青年が倒れている姿が映し出された。ゼロムスの唱えたメテオにより降り注いだ隕石群の直撃を受け、血まみれになって瓦礫の中に半ば埋もれている。
 一人ならば転移で逃れることもできた。しかし、彼はそうしなかった。
 自分が逃れれば、代わりに巻き込まれていたのはその場に意識を失って倒れていたセシルたちとフースーヤだったから。
 だから、彼は魔力の全てを以て彼らを庇い、そのダメージを全て一人で請け負ったのだ。

「──に、兄さんっ……!」

 無意識のうちにセシルが口走った言葉は、兄の耳に届いた。瓦礫の中から自分の身体が抱き上げられるのを、ゴルベーザは朦朧とした意識の中に感じ取っていた。
 手の中に握りしめたクリスタルが、まるでセシルの感情に反応したかのようにきらきらと輝く。ゴルベーザは力を振り絞り、セシルの手にそれをゆっくりと握らせた。

「……セシル、これを……お前が、使うんだ」
「えっ?」
「わ、たしには……使えなかった、が……お前なら、きっと……」

 反射的にクリスタルを握りしめた弟の手から、兄の手がずるりと滑り落ちた。はっと息を飲むセシルの腕の中でゴルベーザは荒く息をついている。おびただしい出血のせいで、元々白い肌が青いまでになっていた。

「兄さんっ、死なないで……!」

 とっさに、自らが使える数少ない治癒魔術を唱え始めるセシル。と、その口元に兄の手が伸びた。唇を押さえ、ゴルベーザはゆっくりと首を横に振る。

「魔力の、無駄遣いは……するな……それより、ゼロムス、を……」

 震える手が、最奥部を指し示す。この状況を茶番と判断しているのだろう、人の姿を失った悪心の権化はそこにゆらゆらと漂っている。まるで、やっと分かり合えた兄弟を嘲笑うかのように。

「青き星で……皆が待っているのだろう? 私の、ことは……構うな……」
「嫌だ、兄さん!」

 悪心の嘲笑にも、白い鎧が血で汚れるのにも構わず、弟は兄を抱きしめた。本来ならばセシルよりも大柄なはずのゴルベーザの身体が、今はセシルの両腕の中に収まるほど小さくなっているのは気のせいなのだろうか。

「大丈夫……そう、簡単に死にはしない」

 少し困った表情の兄になだめられながらも、セシルはその場を動こうとはしない。と、その肩にそっと手が触れた。悠久の時を生き、二人の青年にその生い立ちを伝えた伯父の、時を刻み込んだ手が。

「……伯父上……」
「フースーヤ……」

 ゴルベーザの視線を辿ったセシルに、フースーヤはゆったりと微笑んでみせた。セシルの反対側に回り込み、ゴルベーザの身体を自らの膝にするりと、ごく自然に引き寄せる。

「セシルよ、ゴルベーザは私に任せておきなさい。そなたはクリスタルの導きに従い、彼らと共にゼロムスを」
「……セシル」

 フースーヤの視線が、セシルの背後に伸びる。振り返った彼の視線の先にはローザと、そしてここまで共に戦ってきた仲間たちが揃っていた。

「ごめんね、大丈夫だった?」
「へっ、この程度でやられる俺様じゃないけどね」
「……無事のようだな」
「……みんな」

 友と、愛する人と、そして肉親の無事を確認してセシルはやっと微笑みを浮かべた。立ち上がり、表情をきりと引き締める。

「フースーヤ、兄さんをお願いします。これで、終わりにしますから」

 毅然と言い放った次の瞬間、クリスタルがまばゆく輝いた。


  竜の口より生まれしもの
  天高く舞い上がり
  闇と光をかかげ
  眠りの地にさらなる約束をもたらさん
  月は果てしなき光に包まれ
  母なる大地に大いなる恵みと慈悲を与えん

  されどつかの間の休息なり
  その月は自らの光を求めて
  さらなる旅に導かれん
  同じ血を引く者
  ひとりは月に
  ひとりは母なる星に
  時の流れがその者たちを引き離さん


「……ミシディアの伝説を、全て解読したものじゃ」
 朗々と文章を読み終えたミンウは、セシルにそう告げた。じっと聞き入っていたセシルは、軽く頷く。
「でも、もう二度と会わないとはありませんよね。可能性は低いですけれど……もし、いつか会うことが叶うなら、もう一度きちんと……感情に流されずに、当たり前に兄と呼びたいと思っているんです」
 ミシディアの風に髪を揺らしながら、純白の聖騎士は微笑んだ。


 二年の後、青き星をひとりの巡礼者が訪れた。
 髪の色から花の名で呼ばれた彼は全ての記憶を失い、世界を巡ることを望んでいた。
 彼が記憶を取り戻すまでには、それよりまたしばしの時が流れた後となる。

 その、罪の代償として。
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