LAVENDER 1.PRETTY DOLL
 その日、ドワーフ王ジオットは自ら部下を率いてバブイルの塔を訪れていた。その付近を震源とする地震が起こったため、原因の調査に向かったのである。王の一人娘であるルカ王女も、好奇心からか周囲の反対を押し切って同行している。

「ルカ! あまり皆から離れるでないぞ!」
「は〜い」

 父親の心配をよそにルカはあちらの地割れ、こちらの崖崩れとちょろちょろ見て回っている。王女付きの兵士がおたおたしながら彼女の後を追いかける姿を視界の端に収めつつ、ジオット王は調査を始めることにした。


「ふーむ、マグマは正常か。ガス爆発なども起こっとらんようじゃし、はて」

 半日以上調査を続けたが、原因はまったくの不明であった。ただ、少なくとも地の中に原因がない、ということだけは何とか割り出せた。頭を捻るジオット王に、部下のひとりがそっと挙手をして口を開く。

「王様〜、ひょっとしたらバブイルの塔自身が揺れたんじゃないラリか?」
「バブイルがか? なるほど……しかし、じゃとしても何でまた……」

 うーむ、と首をかしげる。と、そこへひとりの兵士が駆け寄ってきた。先ほどまでルカの後ろを必死で追いかけていた、あの兵士である。

「王様〜、ルカ王女を見失ったラリ〜!」
「そうか、ルカを見失ったか………………え?」

 一瞬、地底にはそぐわない冷たい風が吹き抜ける。次の瞬間、調査隊は上を下への大騒ぎとなった。

「探せーっ! 何としてもルカを捜し出すのじゃ〜!」
「ラリホー!!」


 その頃。
 当のルカ王女は……というと。

「あれ? 迷っちゃった?」

 バブイルの塔の二階で道に迷っていた。
 あまり城から出るチャンスのない彼女にしてみれば滅多にない冒険の機会だったのだが、ひとりではいかんせん不案内。何とか階段を見つけ出したまではいいものの、上がってしまってからは右も左も分からない状況に陥ってしまっていたのだ。

「参ったなあ、誰かいないかな……あ」

 きょろきょろ周囲を見回していると、壁の向こうにちらりと人影がかすめた。背格好は分からないが、少なくとも人の形だったような気がルカにはした。

「わーい、みっけ! ごめんなさーい、道案内……」

 心細いところで見つけた人影に、ルカははしゃぎながら駆け寄ろうとした。そして、その姿を確認した瞬間……小さな足はぴたりと止まった。

「……あ」

 小さなドワーフの女の子に、『彼』はゆっくりと視線を向ける。深紅の鎧をまとい、炎の力をその身に宿した人ならざる騎士。

「……ふ、フレイムナイト……!」

 慌てて身を翻したルカの背中を、ひゅんと風を切りながら長剣の切っ先がかすめた。ワンピースの背が破け、ドワーフ独特の黒い肌に血がにじむ。

「わぁん、助けて父上ー!」

 戦うすべを持たない彼女は必死で叫びながら走る。しかし、既に下に降りる階段をも見失ってしまったルカの幼い足はすぐ限界に達した。立ち止まり、へたり込んで荒い息をつくルカの背後に、ぞっとする邪気が忍び寄る。

「きゃ……ああああっ!」

 振り返った少女の目の前で、炎の騎士は剣を振りかざした。


 思わず目を閉じたルカの鼻先を、ふわりと柔らかな布がかすめた。

「……え?」

 邪気ではない人の体温を感じ、ルカが顔を上げた。その目に映ったのは、かつて見たことがある淡い色の髪。

「セシル、さん……?」
「氷の精、我に刃向かう者の進撃を押し止め凍えさせよ……ブリザガ!」

 髪の持ち主が放った氷の呪文が、フレイムナイトの身を貫く。次の瞬間炎の騎士は全身を氷の中に封じ込められ、そして砕けて崩れ落ちた。

「……セシルさん?」

 ルカがかすれた声で呟く。が、振り返ったその青年はルカのよく知っていた聖騎士ではなかった。彼よりも僅かに年かさの、恐らくは黒魔導士であろうその青年は、ルカの無事を見てとるとにっこりと微笑んだ。

「ああ、元気そうだね。よかった」

 セシルよりも低い声で言い、青年は自らが携えている道具袋の中からポーションを取り出して少女に手渡した。それからストールを一枚取りだし、ルカの肩にかぶせる。

「これで隠せそうだね。もう少し早く来てあげられたら良かったんだけど」
「いえ、あの、ありがとうございます……」

 真っ赤になりながら、ルカは一気にポーションを飲み干した。さほど深い怪我でもなかったようで、薬の作用によりあっという間に背中の傷は癒える。破れた服は、青年が掛けてくれた布で隠すことができた。

「ここは危ないよ。誰かと一緒に来たんだろう? その人のところまで送るよ」

 微笑みながら自分の頭を撫でてくれる青年の手を、ルカはそのままにしていた。危険な相手ではない、と彼女のあまり当てにはならない第六感が告げている。今はそれを信じよう、と少女は心に決めていた。

「あ、お願いします。塔の外まで父と一緒に来たんですけど、わたしひとりで勝手に中に入っちゃって」
「駄目だよ、お父さんを心配させたりしたら」
「はい、ごめんなさい」

 こつん、と青年の拳が少女の額を軽く叩く。叱られる理由が自分にあることはルカも理解しているのだから、素直に謝罪の言葉が口を突いて出た。そして、少女はふとあることに気づく。

「あ、あのー」
「ん? 何かな」

 アイテムを手早くまとめていた青年が、ルカの言葉にふと振り返る。少女の表情に僅かながら眉をひそめ、正面に向き直った。

「わたし、ドワーフの王ジオットの娘でルカっていいます。良かったら、あなたのお名前を教えていただけませんか?」

 そこまで一息に言ってしまってから、ルカははっとした。青年の顔にふと影が差したのを、少女の目は見逃さなかったのだ。だがその影は一瞬にして消え失せ、先ほどまでと変わらない明るい表情で彼は答えた。

「……私は、自分のことを何も知らないんだ。つい数刻前に目覚めたばかりで、今使った呪文をどこで覚えたのか、そもそも自分はどこの誰なのかも分からない。こんな答えで済まないね」
「あ、わ、わたしの方こそごめんなさい!」

 慌てて頭を下げるルカ。知らぬとはいえ彼の心を傷つけたに違いない、と幼心にそう感じたのだろう。そんなルカに、青年は優しく微笑んだまま言葉を繋ぐ。

「いや、構わないよ。……そうだ、ルカ王女。良かったら、私の名前をつけてもらえないかな?」
「え? わたしがですか?」

 不意の提案に、ルカは目を白黒させた。そして、続く青年の言葉を拾おうと気を取り直す。

「ああ。ここで目覚めて、モンスター以外で出会ったのは君が初めてなんだ。……お願いできるかな?」

 そう言ってしまって、青年は微笑む。ルカが一度訪ねたことのある地上最大の国、そこを統べる現国王と同じ色の髪、同じ光を保つ瞳で。
 ──そういえば、ローザさんが言ってたな。セシルさんの髪と瞳、何とかいうお花の色みたいだって。

「ルカ王女?」

 考え込む表情になったルカに、青年がやや遠慮がちに声を掛けた。その声ではっと我に返り、ルカは今自分にできる精一杯の笑顔を浮かべて、答える。

「じゃあ、『ラベンダー』。花の名前ですけど、どうかしら?」
PREV BACK NEXT