LAVENDER 1.PRETTY DOLL
 ルカが拾ってきた青年──『ラベンダー』の扱いに、ジオット王は頭を悩ませていた。娘の命の恩人であるからしてそう無碍に扱う気はない。かといって、唐突に出現した過去のない人物を何の根拠もなく信用するにはデータが足りなさすぎる。ジオット王もセシルとは面識があるし彼のことは信頼しているのだが、そのセシルとよく似た人物だからといって信用はできない。ましてや、彼が目覚めたのはあのバブイルの塔だというではないか。

「はてさて、どうすれば良いモノかのう」

 玉座に腰を下ろしたまま考え込んでいるのが性に合わないのだろう、うろうろと王の間をうろつき回っていたジオット王は、ふと窓から中庭を見下ろした。地底世界に順応し逞しく葉を茂らせている木の下で、ルカが花を集めて作った首飾りを『ラベンダー』に掛けてやっている様子が見える。穏やかな笑みを浮かべている青年の表情は、ジオット王が知る数少ないセシルの笑顔とそっくり同じ表情だった。

「やれやれ。……おや?」

 王の視線が城門に注がれる。門番と親しげに言葉を交わし、軽やかに城の中へと入ってくる緑の髪を持つ少女の姿がそこにはあった。「ふむ」と一つ頷き、決心の表情でジオット王は窓を離れると玉座に腰を下ろした。

「彼女に任せるのが、一番の得策かの」


 緑の髪の少女・リディアは、つい先ほど幻界を出てきたところであった。エブラーナに向かうために飛空艇を待つ間、ジオット王にあいさつをするために立ち寄ったのである。

「あ、リディアさんっ!」

 ルカが素早くリディアを見つけ、嬉しそうに笑いながら走り寄った。リディアは勢いよく自分の胸元に飛び込んできたドワーフの少女を、微笑みながら抱き留める。

「ルカ、久しぶり。元気そうでよかった」
「もちろんですっ。リディアさんもお元気そうで何よりです!」

 再会を喜び合う二人の少女を見比べながら、『ラベンダー』が立ち上がった。ルカがそれに気づき、リディアから身体を離した。

「あ、そうだ。リディアさんに紹介しなくちゃ」
「紹介? ……あ」

 自分たちに近づいてきた青年の気配に、リディアも『ラベンダー』に意識を移す。その瞬間、ほんの僅かながら彼女が動揺したのを青年は見逃さなかった。不思議そうな表情を浮かべながら、『ラベンダー』はルカに視線を投げる。

「ルカ王女、こちらの方は?」
「わたしのお友達。召喚士のリディアさんよ」

 二人の顔を怪訝そうに見比べていたルカだったが、気を取り直して二人の間に立った。彼女にしてみれば、友人二人を引き合わせる程度の感覚でしかない。

「ええと、この人は『ラベンダー』っていうの。バブイルの塔でわたしを助けてくれたのよ」
「ラベンダー?」

 紹介された名が意図したものではなかったのか、リディアは一瞬ぽかんとした。そのどこか呆けた表情のまま青年の顔に視線を向けると、彼もまたリディアを見つめている。

「リディア、と呼ばせていただきます。はじめまして」
「あ、は、はい、はじめまして」

 微笑みつつ頭を下げた『ラベンダー』に慌ててリディアも礼を返し、頭を上げたところで気を取り直したかのように笑顔になった。ルカの頭を軽く叩いて注意を促す。

「……それじゃ、あたしジオット陛下にご挨拶してきます。また後で」
「あ、はぁい」
「ええ、また後で」

 軽く目礼をして去っていくリディアの後ろ姿を視線だけで追う『ラベンダー』。ルカも同じように彼女を見つめていたが、ふと自分のそばに立っている青年を見上げた。

「リディアさん、何だかあなたのこと知ってるみたいね?」
「……そのようですね」

 どこかに心を置いてきたような返答をルカにしながら、青年はじっと立ち尽くしていた。


「ふむ。やはりあの地震の原因は、バブイルの塔そのものじゃったか」

 一通りリディアとの会話を終え、ジオット王は深く頷いた。リディアも同じように頷き、表情を引き締める。

「はい。バハムートによれば、空の彼方から何かの波動が落ちてきたそうなんです。それがあの塔に届いた衝撃で、大きな揺れが生じたんだと思います」

 リディアがドワーフ王城を訪れた、もう一つの理由。
 地底を襲った地震は、幻界にも僅かながらその影響を与えていた。そのため、幻界にいたリディアもその原因を探るべく、自らが契約を交わしている幻獣たちとのやりとりの中である程度の情報を入手していた。
 その中でも抜きんでて強大な力を持つ、幻獣神バハムート。彼はかつて、この世界の空に浮かんでいた人工の月に住まっていた。『月の民』により建造され、二年前に軌道を離れ空の彼方へと消え去っていたその月と『月の民』に関する情報を、バハムートは僅かながらその身に蓄え、また今以て伝えられていた。故に彼はリディアに、『月が消え去った彼方より飛来した何らかの波動』の情報を伝えることができたのだ。
 ──それは即ち、波動の出所は消えた月、ということ。

「報告ご苦労じゃったの、リディア。となると、問題はその波動の正体になるが……」
「それはバハムートも分からないって言ってましたけど……もしかしたら」

 そこまでを口にして、リディアは黙り込んだ。その困ったという表情に、ジオット王が顔を僅かに歪める。

「もしかしたら、何じゃな?」
「……あたしの推測なんですけど」

 ドワーフ王の促しにも、リディアの口は重い。眉をひそめつつも、ジオット王は中庭に視線を向けた少女の唇が言葉を紡ぐのをじっと待っていた。相変わらず仲良く話し込んでいるルカと『ラベンダー』を見下ろしながら、少女は言葉の続きを口にする。

「もしかしたら、彼……『ラベンダー』じゃないのかしら」
「きゃつか。……何か根拠はあるのかね?」

 月から飛来した波動。
 波動を受け止めたことにより揺れたバブイルの塔。
 塔の中から現れた、過去を持たない青年。
 状況証拠は少ないながらも、リディアの言葉を補強する材料になり得る。しかし、リディアの口調は他にも根拠があるように、ジオット王には思えた。だから、玉座から身を乗り出して先を促す。
 しばらく中庭を見下ろしていたリディアは、やがてジオット王に向き直った。先ほどまでの戸惑いの表情は消え、決心を固めた凛々しい表情に変わっている。

「あたし、彼のこと知ってます。会ったこともあります」
「何と!?」
「バブイルの塔からは、直接消えた月に行くことができたみたいなんです。その機能を逆に使えば、彼があの塔に出現することは可能です。記憶が無い理由までは分かりませんけれど」

 今度はジオット王が戸惑う番であった。リディアの言葉には自信が満ちており、また彼女の性格から嘘をついているとも思えない。その彼女が知っている青年とは、一体。

「……リディア。あれは、誰じゃ?」
「内密にお願いします。まだ、広めて良い時期ではなさそうだから」

 真剣な少女のまなざしに、ジオット王は頷いた。周囲に控えるドワーフ兵士たちに視線を巡らせ、さっと右手を振る。

「承知した。こらお前ら、内密の話だから席を外せ」
「ラリラリホー」

 どこか気の抜けるような掛け声と共に、兵士たちは一斉に王の間から出て行く。人気が払われた広い室内で、リディアは口を開いた。


 ふわあ、と聞けば伝染するような暢気なあくびが響いた。むにむにと自分の目を擦るルカに、『ラベンダー』はくすりと肩を揺らす。

「おや。王女、もうおねむですか?」
「ん〜……そうでもないんだけど……」

 言葉に反し、ルカの目はしょぼしょぼして動作も緩慢になっている。そのうち、並んで座っている『ラベンダー』の膝を枕にころんと横になった。見下ろす青年の淡い色の髪にそっと触れる。

「今日はちょっと、疲れちゃった〜……少し、寝るね〜……」

 言葉の終わりがたは、はっきりと聞き取ることはできなかった。穏やかな寝息を立てるルカの寝顔を見つめながら、『ラベンダー』は僅かな幸福を味わっていた。
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