LAVENDER 3.TENDER GHOST
「スカルミリョーネは思い出しても、儂のことは忘れておるんじゃな。都合のいい記憶じゃの」

 大地の精霊の後ろに立つ老人が、ふて腐れた表情で呟いた。『ラベンダー』の視線を受け、ぷいと顔をあさっての方向へ逸らす。
 確かに、青年はスカルミリョーネという存在を何故か知っていた。だが、老人の名も知らぬ彼は戸惑うしかない。

「……御老人。あなたも、私のことを知っていると……」
「とぼけるな!」

 迷いを隠しきれない『ラベンダー』の言葉に、老人が激高した。年齢にはそぐわぬほどの素早さで青年に詰め寄り、その胸ぐらを掴む。彼に向けた瞳には、殺気だけしかこもっていない。

「貴様は忘れても儂は! このテラは忘れぬぞ! 貴様が世界制覇などという下らん欲望のために多くの民を殺し、クリスタルを略奪したことを。エブラーナの城を、ダムシアンの城を魔物に襲わせ、廃墟と化したことをな!」

 老人・テラの言葉が、鋭い棘となって『ラベンダー』の心に突き刺さる。声を出すことも、息をすることすらできず青年は、テラの殺意を正面から受け止めるしか無かった。

「……私が、やったのですか?」
「アンナも……儂の娘も貴様に殺された! 儂も本来なれば、このようにしてはおれぬ身だ!」

 いつの間にかテラの両手は、青年の首に掛かっていた。枯れ枝のように骨張った指が、のど元に食い込んでいく。『ラベンダー』の抵抗はない……衝撃が大きかったのか、半ば放心状態に陥っているのだ。

「……リディアの言っていたことは……こういうことだったんですね……テラ、私は……」
「今更言い訳など聞かんぞ。どうせ何も覚えてやせんのだからな」
「……確かに、そうです……私は、自分が何をしたのか、覚えていません……」

 老人の言葉は、青年に重くのし掛かってくる。だがそれに反し、手の力が僅かに緩んだ。年老いた両手に自分の手を添え、『ラベンダー』はゆっくりと指をはがしていく。

「でも、だからこそ……私は、この世界を見て行かなくてはならないんです。過去の、悪しき心を持っていた自分自身が何をしたのか、この世界にどれだけの傷を残したのか」

 のど元には、鬱血の痕が僅かに残っていた。そこに手を添え、青年はゆっくりと言葉を紡ぎ出す。テラの視線が、ほんの微か色を変えたことには気づかないまま。

「だから、まだ、死ねないんです。死ぬことは、きっと自分の罪から逃げることになると思うから」

 まっすぐ自分を見返してくる青年の瞳。テラは彼と同じ髪、同じ瞳を持つ青年をその背後に見ていた。
 彼は憂いの表情を露わにして、ゆっくりと口を動かす。何かを訴えるように。

「──セシル」

 その名はテラと『ラベンダー』、二人の口から同時に発せられた。


「お話は終わりましたか? お二方」

 低い声が、その空間を支配した。同時に『ラベンダー』の首筋に、鋭い牙が突き立てられる。

「……ぁ」

 青年の反応は鈍い。背後から彼を抱きすくめる吸血種の女モンスターに体重を委ね、虚空を彷徨う視線は視点が定まっていない。ミスバンパイアの催眠術にかかってしまったのだろうか。

「スカルミリョーネ。もう良い、放してやれ」

 一瞬、その異様とも妖艶とも言える光景を見つめていたテラが、ゆっくりと首を横に振った。眼鏡を外した細い両目に、憂いの感情が宿っている。
 対してスカルミリョーネは、立ち尽くしたまま動かない。腕を組み、何かの行動を起こすでもなくじっと視線を注いでいる。が、その眉根は軽くひそめられ、まるでテラの言動を非難しているかのようだ。

「テラ。あなたのアンナへの愛はその程度だったのですか? ダムシアン、そして試練の山でのあの憎悪、忘れたとは言わせません」
「分かっておる。儂とて忘れてはおらん」

 右手を伸ばし、吸血鬼を掴もうとしたテラの行為は、ミスバンパイアの腕の一振りによって阻止された。彼女にしてみれば『ラベンダー』は餌に過ぎず、それを邪魔しようとするテラは肌にまとわりつく虫の類でしかない。そして、スカルミリョーネには吸血を止める気も虫を払う気もないのだ。

「今こそ彼への恨みを果たすべき時ではないのですか? 無念故に大いなる魂に還ることもできず、地上を彷徨うあなたの思いを見たからこそ、私は……」
「そうじゃの」

 淡々と、だがテラを非難する口調を崩すことなく大地の精霊は老人へと歩み寄り、その手を取った。テラの細い瞳はスカルミリョーネを睨み付けたが、どこか力を失っていた。

「確かに儂は、こやつへの恨み辛みでこんな無様な姿を晒しておる。……したが、こやつを殺せば悲しむ者がおることもまた事実……儂のような者を増やすことは、とてもできぬよ」

 ゆっくりと首を横に振るテラ。どこか困り果てた表情を浮かべるスカルミリョーネ。
 二人の姿を、『ラベンダー』は虚ろな意識のまま見つめていた。どこか夢のようにも思える光景に、つい今し方聞こえた声が甦る。

 ──テラ。もう、やめてください。

 『ラベンダー』には顔こそ分からなかったけれど、その名を感じ取ることはできた。セシルという名前の、その青年を。
 彼に会いたい。
 その思いが、青年の意識を活性化させた。声を振り絞り、警戒の言葉を放つ。

「……離れて、ください。テラ」
「!」

 微かな声は老人の耳に届いた。身を翻すテラにスカルミリョーネが顔を歪めた瞬間。

「…………ファイガ」

 詠唱を省略された炎の呪文は、だがそれだけで吸血鬼を一瞬にして葬り去る威力を秘めていた。女を灰と化した炎が消え去ると同時に、『ラベンダー』の意識は再び闇の中に消えた。


 大地の精霊は、しばらく言葉を失ったままだった。灰となって風の中に消えたミスバンパイアを見つめ、そしてテラと、その腕の中で意識を失っている『ラベンダー』に視線を移した。

「……よろしいのですか? テラ」
「ん、まあの。セシルめ、アンナと同じことをしよってからに」

 聖騎士と同じ色の髪をかき分け、眠っている青年の顔を見下ろしながらテラは呟く。そして、スカルミリョーネと視線を合わせるとにぃ、と幼子のように笑ってみせた。

「何にせよ、こやつはあの時の奴でないことは確かだ。過去を取り戻したときにどうなるかはさておき、今のこやつを屠る気は失せたわ」
「分かりました。では、そのように」

 精霊も柔らかく微笑んで頷いた。腕を伸ばし、『ラベンダー』の首筋に穿たれた二つの牙の痕に指を当てる。口の中だけで一言二言呟くと、その痕はすうっと薄れていった。その手際の良さに、テラが眼を細める。

「ほほう? そなたアンデッドではなかったか? 治癒術を使えるとは」
「私は大地の精霊です。本来は生きとし生ける者に安らぎを与えるが定め、傷を癒すのはお手の物です」

 くすりと肩を揺らし、スカルミリョーネは視線を移した。そこに立つ、赤いローブの青年に言葉を掛ける。

「ギルバート王の元までお送り願えるか? ルビカンテ」
「承知。やれやれ、こういうことだったとはな」

 肩をすくめながら炎の精霊は頷き、テラの腕の中から『ラベンダー』をそっと受け取った。わざとらしくつかれた溜息に、スカルミリョーネの顔がむっと膨れる。

「ダムシアンに連れ行くのか? セシルの身内であろう、ならばバロンに送り届けた方がよいのではないか?」

 二人の会話を見ていたテラが、訝しげに問いを投げかける。それに答えたのは、眠っている青年を抱え直したルビカンテだった。

「今、バロンは……バロンの城は封印された状態です。我ら精霊でも、その中に入ることはかなり難しい」
「……何事かが起きておるのは、確かなようじゃの」

 精霊の言葉がどこか理解を超えたものであったらしく、テラは首をかしげる。が、すぐにその表情は和らいだ。『ラベンダー』、スカルミリョーネ、ルビカンテをゆっくりと見比べて……そして、ふーっと大きく息をついた。

「ま、何にせよ儂には遠い世界の出来事、になりそうじゃ。後は頼むぞ」

 最後にそれだけを言い残し、テラの姿はトロイアの空気に解けて、消えた。


 まぶたを開くと、柔らかなシーツが眩しく映った。僅かに身じろいだ青年の視線が、その枕元に座っている細面の青年のそれと交わる。

「……ここ、は……」
「気がつかれましたか? ここはダムシアンの城です」

 全体的に柔らかな雰囲気を持つその青年は、にっこりと微笑んだ。豊かな金の髪と深い色の瞳が、彼の持つ雰囲気をさらに増幅させているようにも感じられる。

「はじめまして。僕はギルバート、ダムシアンの国王を務めています。どうぞよろしく」

 その育ちを感じさせる優雅な礼を見せたギルバートの背後で、ルビカンテはほっとしたように笑みを浮かべた。彼が視線をずらすと、窓の外にはその雰囲気にそぐわないものが姿を見せている。
 ダムシアンの城から南西。ちょうどバロン城があるその方角の空は、どす黒い雲に覆われていた。まるで、二年前のバブイルの塔がそうであったように。
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