LAVENDER 4.WINDY VOICE
 乾燥した青い空に、爽やかな竪琴の音と歌声が響き渡る。広場に集まった聴衆は、その素晴らしいハーモニーにじっと耳を澄ませて聞き入っていた。
 花の名を持つ青年と炎の化身たる精霊も聴衆の中に加わり、金の髪の青年が奏でる歌に耳を傾けている。軽快なメロディが流れたときは、身体全体で軽くリズムを取ったりもしているようだ。
 やがて演奏会が終わり、竪琴の主はすっと立ち上がると優雅に一礼した。と、それを合図にしたかのように観衆の間から拍手がわき起こった。

「さっすがギルバート様!」
「お見事でした。心が洗われるようです!」
「すごいなあ、王様は!」

 老若男女、全ての者が惜しみなく拍手を送る相手……ダムシアン国王ギルバート=クリス=フォン=ミューアは、軽く手を挙げてその歓声に答えた。ゆったりとした歩みで自らの客人に近づき、太陽にも似つかわしい笑みを浮かべる。

「いつもながらお見事です。楽聖ギルバートの名は伊達ではありませんね」

 炎精ルビカンテもまた、微笑みで彼を迎えた。その横で音楽に浸っていた『ラベンダー』も、穏やかに眼を細める。

「何だか懐かしい感じがしました。聞いていて心地よかったです」
「あなたにそう言っていただけると光栄です」

 少々大げさに頭を下げながら、ギルバートもまんざらではなさそうだ。二人を促し、居城に戻るため村の外に止めてあるホバー船へと歩み始めた。


 先の戦乱で、ダムシアン城は『赤い翼』の爆撃を受け多大な被害を受けた。しかし、二年を経た現在は国民のたゆまぬ努力が実り、九割方復興がされている。特に、世界への影響を考えクリスタルルームは最優先で工事が進められ、真っ先に再建が終了した。炎精ルビカンテの覚醒は、『火』のクリスタルを収める器の復興が成ったという証でもあったのだろう。
 照明器具の存在しない無機質な室内で、それは炎精の存在に反応したためか真紅にきらめいていた。『ラベンダー』はそっと手を伸ばし、触れないまでもクリスタルから放射される柔らかな熱を手のひらで感じている。
 彼とルビカンテの他に人影はない。もともとクリスタルルームには警備を置くものではないという風習があり、またギルバートの気遣いにより人払いがなされているからだ。二年前のクリスタル強奪はまだ人々の記憶に新しいが、炎精がついているということもありさほど心配はされていない。
 先ほどからじっと己を見つめる視線に気がついて、青年は振り返ると穏やかな笑みを浮かべた。

「とても暖かいですね……何だか、気持ちが良い」
「ありがとうございます。ここへお連れした甲斐があるというものです」

 炎精が頷くと、『ラベンダー』も嬉しそうに笑う。彼の淡い色の髪と深い色の瞳にクリスタルの赤い光が混じり合い、微妙で複雑な色合いを映し出した。

「……」

 一瞬、ルビカンテの脳裏にかつて己が従った長の姿が甦った。暗黒に身を包み、心を邪悪に染め、虚空の炎を映した瞳を持った黒の魔道士。

「……あなたは、変わらないのですね」
「え?」

 微かな呟きは、静寂な室内故に『ラベンダー』の耳まで届いた。炎精を見つめる瞳にはクリスタルの光が宿り、燃えるような赤い瞳を持った黒魔道士が、そこにいた。

「過去を失っておられても、あなたは変わらないのですね」

 どこか寂しげな表情で自分を見つめるルビカンテに、『ラベンダー』は不思議そうに小首をかしげる。それから、口元に笑みを浮かべながらクリスタルのそばを離れた。

「私は私です。過去があろうが無かろうが、そう変わるものではないと思いますよ」
「ええ……ですが」

 炎精は、言いにくそうに口ごもった。そのだらりと下げられた右手に、『ラベンダー』の手が触れる。先ほどまで浴びていたクリスタルの熱で暖まった手のひらの感覚に一瞬意識を奪われたルビカンテは、ふっと顔を上げる。
 視線の先で、青年は笑みを崩してはいなかった。どこまでも穏やかな、炎精が仕えていた時には決して見せることの無かった表情。

「あなたは、過去の私をご存じですよね。ルビカンテ」

 まっすぐにルビカンテを見つめたまま、青年は言葉を口にした。一瞬びくりと震えた炎精を見据える瞳には、これだけは邪悪に染められても変わることの無かった力強さが宿っている。ただ、過去という拠り所を持たないことでその強さには足がかりが存在せず、結果ルビカンテには『ラベンダー』が未だ弱く思えたのかもしれない。

「あなただったら、教えてくれるのではないかと思っていました。昔の私は……私の中にいる、私の知らない私はどんな人間だったのか」

 だが、今彼の目前に立っている青年にはその弱さはさほど見受けられない。過去はさておき、彼自身がどういった存在であるのかを伝えても問題はない──そう感じ、炎精はゆっくりと頷いた。

「闇の司。世界に存在する光のクリスタルと闇のクリスタル、そのうち闇の四元素と共鳴する力を御身に宿す者」

 言葉を区切るように、しかしはっきりと口にする。じっと『ラベンダー』の目を見つめ、彼が一言も聞き逃すことのないように。

「……それがあなたです。聖騎士となられたバロンの国王が、光の四元素と共鳴する者であるように」
「──闇」

 ほんの刹那、青年が不安げな表情を浮かべた。が、彼がじっと自分の言葉を待っていることに炎精は気づき、再び口を開く。世界の摂理を伝えるために。

「……闇は必ずしも邪悪ならず。世界にとって光と闇はどちらも無くてはならない存在なのです。我ら四天王がどちらの力も併せ持つように」


 クリスタルルームを辞し王の間に上がる途中、窓の外に見えた光景が『ラベンダー』の気に掛かった。先と同じく人払いされた王の間に上がってもそちらの方ばかりを気にしていたせいか、ギルバートが怪訝そうな顔で彼を伺う。

「どうされました?」
「ええ。あの雲、どうも気になっていまして」

 答えながら『ラベンダー』が指したのは、ダムシアンの国土の多くを占める砂漠の向こう、南の空に浮かび上がっているどす黒い雲だった。ある一カ所に固まったまま、動こうともしない。

「……雨雲とは違うようですが」
「そうですね。だけど、実のところ何だかよく分からないんです。あれ」

 溜息をつきながらギルバートが告げる。訝しげに眉をひそめた『ラベンダー』に言葉を返したのはルビカンテだった。

「分からない?」
「はい。日付を照らし合わせてみたところ、あなたがバブイルの塔に降りられる少し前からあの辺りを覆い始めたんです。けれど雨が降るでもなし、風が強まるでもなし。雲が動かないのと日照を除けば、気候はまるで変化していません」
「では、いわゆる『雲』とは違うと……」
「恐らく」

 深く頷いたルビカンテ。その言葉を受け、ギルバートが『ラベンダー』に向き直る。

「自然発生する雲と違う点がもう一つあります。あれは、バロン王城の周辺をすっぽり覆い隠しているようです。……隠された内部からの連絡が、途絶えてしまっています」
「……どういうことですか?」

 このときの彼の動揺は、ギルバートにもルビカンテにもはっきりと見て取れた。だが双方とも、あえてそのことには触れずに話を先へと進める。

「皆目分かりません。ルビカンテに頼んで調査に行ってもらったんですが……」
「王城周辺には、我ら精霊でもたどり着くことができません。魔力障壁が展開されていて、そこから先には進めないようになっています」

 ことさら事務的に状況報告を行うルビカンテ。恐らくは感情をこめないことで、『ラベンダー』の感情を引きずらないようにとの配慮だろう。

「本格的に調査を行いたいのは山々なんですが、まだ先の大乱から二年……どこの国も、正直自国の復興が最優先なんです。我がダムシアンも……クリスタルルームの復興は成りましたが、それでやっと世界が安定し始めたというだけの話です」

 目を伏せながら、ギルバートが血を吐くように言葉を搾り出す。そして、玉座の肘掛けを力一杯叩いた。がつ、という鈍い音は彼の心境を表しているかのようだ。

「……悔しいなあ。僕、セシルたちにはたくさん世話になったのに、こんな時に手を差し伸べることもできないなんて」
「ギルバート王。最終手段として、ミシディアからデビルロードを使用してバロンに入るという手立てがあります」

 低く落ち着いた、ルビカンテの声が人気の少ない室内に響く。『炎』を属性とする精霊でありながら彼はいかなる時も冷静な態度を崩さず、それ故に過去の黒魔道士からも現在の砂漠の国王からも信頼が厚い存在であった。彼自身もそれを意識しているのか、このようなときはことさらに自分を抑える言動を心がけているらしい。

「私はクリスタルにまつわる精霊です。国に関係なく動くことができます……ご指示があらば、いつでも」

 戦乱を経てかなり強くはなったもののまだ打たれ弱いところのあるギルバートに、炎精は力強い笑みを見せた。が、自分の横に記憶を持たない青年が進み出るところまでは予測していなかったようだ。

「それなら、私にも行かせてください」
「『ラベンダー』、あなたもですか?」

 ギルバートもルビカンテと同じ心情なのだろう、玉座から僅かに腰を浮かせた。目を見開いている国王に、青年はゆっくりと頷く。

「私も国とは関係のない存在です。世界を見て回る、ということは当然バロンにも入るということ……行動目的とも一致します」
「……ですが『ラベンダー』」
「私の過去のことでしょう? 自分のことです、耐えてみせます」

 炎精の気遣うような視線に、『ラベンダー』は大丈夫とでも言うようにもう一度頷いてみせた。両の瞳には力がこもっており、一瞬ルビカンテは、過去の青年の姿をそこに重ねていた。
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