LAVENDER 4.WINDY VOICE
 深夜。
 砂漠の国であるダムシアンは、夜になると急激に気温が下がる。そんな中『ラベンダー』は、王の間をひとり訪れていた。正面入口から玉座までを結ぶ線上に敷き詰められた、毛足の長い絨毯。そこに青年は、一つの気配を感じ取っていたのだ。
 夜に包まれたその場所で彼を待っていたのは、ひとりの少女だった。『ラベンダー』に気づくと彼女は、ごく当たり前のように軽く会釈する。

「こんばんは」
「……こんばんは」

 ごく普通のあいさつを交わした後で、青年は違和感に気づいた。
 少女の姿ははっきりとしていない。彼女の足元や服、肉体を透かして向こう側の景色を見ることができる。つまり……少女は実体ではなく、霊体。

「私を見ても、あなたは驚かないのね?」

 彼女は悪戯っぽく笑いかけた。青年は肩をすくめ、僅かながら表情を崩して答える。

「トロイアでも、同じような方にお会いしました。テラという名の御老人でしたが」
「テラは……私の父です」

 少女の答えに、『ラベンダー』は一瞬言葉を詰まらせた。それから、かの老人が口にしていた名を思い出す。過去の自分が殺めたという、彼の愛娘の名前を。

「……では、あなたがアンナ……」
「はい」

 こくりと頷き、少女……アンナはしげしげと『ラベンダー』を見つめた。思わず硬直してしまった青年を頭の上から足元までくまなく見回してから、彼女は花のように顔をほころばせる。

「安心して。私、あなたをどうこうしようなんて思ってないわ。ただ、少しだけあなたと話をしてみたかっただけなの」
「……私は、あなたを殺したかもしれないのに、ですか?」

 ギルバートやルビカンテの前では意志の強さを見せた『ラベンダー』であったが、改めて過去の自分の罪、その結果と向き合うとやや弱気になってしまっている。だが、不安げに揺れる瞳に映るアンナは、そんな彼をおかしそうに笑っているように見えた。

「だって、今のあなたを見れば分かるわ。あの時は何か理由があったんだって」

 とん、と床を蹴るアンナ。ふわりと宙に浮かび上がった少女の身体は、夜の空気にゆっくりと解けて消えていく。見送るように顔を上げた『ラベンダー』を見下ろすアンナの表情は、ずっと笑顔のまま。

「……それでいいのですか? アンナ」
「良いから言ってるんじゃないの──私、残留思念なの。本体はとうの昔に『大いなる魂』の元に還っているのに、私だけここに残ってしまってて……でも、これですっきりしたわ」

 恐らく彼女は、自分を殺した青年に一言言いたかっただけだったのだろう。そのまま、姿は煙のようにふっと消えてしまう。彼女が最後に映し出されていた空間から、声だけが微かに響いてきた。青年にだけ、聞き取れる声で。

「ギルバートと仲良くしてあげてね。彼もあなたも、誰かと一緒にいることで強くなれる人だと思うから」


 翌朝早く、ダムシアンの城を新しい客が訪れた。明るい水色の髪を持つその少年は、王の間に座すギルバートと対面するとお気楽そうに片手を上げた。

「やっほ、久しぶりギルバート。元気してた?」
「まあね。その節はありがとう、カイナッツォ」

 水の精霊・カイナッツォ。モンスターを統べる四天王としての姿は怪物のごとき醜悪さであったのだが、現在はほぼ人と変わりない姿を取っている。もっとも、ギルバートは過去のカイナッツォの姿を知らないのだが。

「それで、わざわざお前が来るなどとは……ミシディアで何かあったのか?」

 ルビカンテが、他人に使うのとは違う口調で話しかける。同胞であるせいか、少し言葉が砕けるのも気にしないようだ。

「何かあったのは、ミシディアじゃなくってバロン。まあ、封印されてることくらいはルビカンテも知ってるよね」

 頭の後ろで腕を組みながらカイナッツォが答える。炎精が頷くことで返事に代えると、水精はちらりと『ラベンダー』に視線を向けてから言葉を吐き出した。

「それでさ、困ったことになっちゃったんだ。デビルロードが向こうから魔力障壁張られて封印されてんの」
「何?」
「あ、町の人は無事だよ。空間がだいぶ安定してたからさ、ほとんどがミシディアに脱出してきてる。やたら責任感の強い国王様だけ向こうに残ってるみたいだけど」

 眉をひそめ詰め寄ろうとしたルビカンテを片手で制し、ギルバートにも視線を向けながらカイナッツォの言葉は続く。その、最後の言葉にギルバートが敏感に反応した。

「国王って……セシルじゃないか!」
「はいどうどう。ギルバートが怒鳴ってもどうしようもないことくらい分かるっしょ?」

 あくまでもマイペースな態度を取るカイナッツォ。もっとも、口調こそ暢気なものだがその声は先ほどまでより低く抑えたものとなっていて、彼もまた感情を堪えていることが分かる。ふうと一つ大きく息をついて、だんと床を踏みつけてから水精の少年は、何かを吹っ切ったような表情で顔を上げた。

「うん、でもまあ解決策は無いこともないみたいなんだよねー。長老がさ、そんなこと言ってた」

 カイナッツォの言葉に、他の三人の青年ははっと目を見開いた。全員の視線が、少年に集中する。

「長老は何と?」
「うん。魔力障壁の特性ね、バブイルの塔に張られてたやつと同じっぽいんだって」

 ギルバートの短い問いに、これもまた短い答えを返すカイナッツォ。それを聞き、ルビカンテは何かに思い当たったように腕を組んだ。一度、二度と頷く青年の顔に納得の色をかいま見て、『ラベンダー』は不思議そうに彼の顔を見つめる。

「……なるほど。そういうことか」
「……どういうことですか?」
「詳細は省きます。『ラベンダー』、あなたであれば魔力障壁を越え、バロンに入れるということです」

 ルビカンテの表情から険が取れ、僅かながら笑みを浮かべていることが青年には分かった。『ラベンダー』の肩にそっと手を置き、己の同胞たる水の精霊に視線を戻す。

「そうだな? カイナッツォ」
「そういうこと〜。だから、僕『ラベンダー』をお迎えにきたんだ」

 こちらは満面の笑みを浮かべたカイナッツォ。とことこと歩み寄り、『ラベンダー』の手を取る。ぎゅっと握りしめた少年の手が僅かに震えていることを、その時になって青年はやっと気づいた。この少年も、本当は激情を抑え込んでいるのだと。

「ね、お願い、『ラベンダー』。僕たちみんなのこの星、助けて」

 少年の願いを込めた言葉に、青年はじっと彼の目を見つめていた。
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