LAVENDER 5.AQUA PARADISE
ダムシアンからミシディアへと移動する際には、飛空艇を使うのでもない限り一度ファブールを訪れる必要がある。ダムシアンの海岸線が暗礁の多い岩場がほとんどであり、大きな港を作ることができない。そのため、ミシディアに渡る船はダムシアンに入らず、隣国であるファブールから出港しているのだ。そのため、『ラベンダー』を初めとする一行は青年の希望もふまえ、ホブス山を経由してファブールへと至る陸路を取ることとなった。
ダムシアン・ファブール国境に位置するホブス山は、かつて氷の壁により封印されていたことがある。その名残か、現在でも山全体の平均気温はかなり低く、登るためにはある程度の防寒装備が必須とされている。
が、国境でもある山頂までわざわざ客人を出迎えにやってきた現ファブール国王ヤン=ファン=ライデンとその近衛兵たちは、普段着用しているよりは少し厚手ながら修行着一枚、という姿であった。案内役の水精カイナッツォによれば「みんな年に一月くらいはここで修行してるもん。慣れてるんでしょ?」とのこと。『ラベンダー』に付き添っている炎精ルビカンテも、その言葉と今見せられた現実にはただ苦笑するのみだ。
「ヤン、彼らのことはよろしくお願いします。ルビカンテもカイナッツォも、『ラベンダー』のこと頼んだよ」
こちらもわざわざ見送りにやってきたギルバート。再会したヤンといくつか言葉を交わし、また書類の取り交わしも済ませた彼は、名残惜しそうにひとりひとりの手を握る。
「『ラベンダー』、無理しないでくださいね。問題が解決したら、またダムシアンに遊びに来てください。待っています」
「はい、ギルバートもお元気で。きっとすぐに会えますよ」
名を呼ばれた青年も軽く手を握り返し、小さく頷いて答えた。仲良くなれた友人との別れは、それが永遠のもので無いとは言え寂しいものなのだと彼はここでやっと理解していた。
ややあって、ルビカンテがヤンと頷きを交わした。一歩踏み出し、軽く頭を下げて微笑む。
「では、そろそろ戻るとするかな。ギルバート殿、わざわざかたじけない」
「いえ、僕にできることといったらこれくらいですから。皆さん、お気を付けて」
にこっと微笑み、ギルバートは軽く手を振った。青年たちはそれに笑顔で答え、厳しい山道をゆっくりと降り始める。山頂から彼らの後ろ姿が見えなくなるまで、ダムシアンの王はじっとそれを見送っていた。
ファブールの城は、ホブス山とは違い温暖な気候の地域にそびえ立っている。温暖ということは食物が豊富ということでもあり、そもそも人が住み始めた地域が時を経て城という形で完成したという歴史がかいま見える。
本来ならば城下町に当たる民間の居住区域が、ここでは城内に存在する。まだ世界が乱れていた頃国民を守るための策としてそういう形の城が造営されたのだが、そのおかげか住民の生活は安心感と活気にあふれている。国内外から入ってくる食物は種類もかなり豊富で、ファブール城の一般人にも公開されている立食ディナーに出席した『ラベンダー』はその質素ながら素晴らしい料理の数々に目を見開いた。
「すごいですね。かなり世界を回ってきたんですけれど、これだけの種類が一度に並ぶのは珍しい」
「まあねー。一度にたくさんの人が食べるってこともあるけどさ、修行する人があちこちの国から来たりするから自分の故郷の料理持ち込んだりするんだって。お城の厨房すごいよー」
自分用の皿にたっぷりと海鮮料理を積み上げているカイナッツォが、エビフライをかじりながら無邪気に笑う。それから、肉を取り皿に移している『ラベンダー』の姿を、少し離れてしげしげと見定めた。
「……何でしょう?」
「うん、やっぱ似合う」
カイナッツォの視線に、どこか青年は戸惑い気味だった。今の彼はファブール城に到着した時点まで着用していた地味なローブではなく、黒のローブの上に濃い紫の布を掛けていた。銀のサークレットが淡い色の髪を透かしてきらめいている。
「アーシュラにはほんっと感謝だねっ、『ラベンダー』?」
「……はい」
相変わらず脳天気な水精の言葉に、青年は苦笑を浮かべつつその時のことを思い出していた。
ほんの数時間前のこと。
城に到着した一同を出迎えたのは、ヤンの妻であるアーシュラだった。夫と同じく二年前までと同じような生活を送っている彼女はごく普通の主婦のスタイルでそこに立っていた。
「お帰りあんた。そちらがカイナッツォの言ってたお客さん?」
「うむ。失礼の無いようにな」
「誰にもの言ってんだい」
二人の現在の地位を知らぬ者から見ればごく普通……とは微妙に言い難いが、ともかく仲の良い夫婦の会話。言葉がぽんぽんと飛び交う威勢の良いやりとりを微笑ましく見ていた『ラベンダー』であったが、アーシュラに腕を引っ掴まれたのには目を見開いた。
「あ、あの、何でしょう?」
「いや、だってあんた結構男前だし。せっかくだからちょっとおいで、いいものあるから」
説明もされないまま青年がずるずると引っ張って来られたのは、城内のウォーキングクローゼットであった。王自らが質素な生活を好むとはいえ公式の式典などにはきちんとした正装をする必要があり、そのための衣装が収められているスペースである。
「うち、結構いろんなもらいもんがあるんだよ。魔道士用の服も確かあったんだよねえ」
小さな丸椅子に『ラベンダー』を座らせて、アーシュラはそれなりに大量に並んでいる衣装の中に身体を半ばまで突っ込んでいる。
しばらくして、布の山をかき分けるようにアーシュラが出てきた。その手には、黒と紫のシルクの布が掛かっている。
「よし、あった。これこれ」
彼女の手で広げられた黒のシルクは、ローブに仕立てられていた。紫の方はローブの上から掛けられるようにできているらしい。
そして、ローブの胸元には丁寧な刺繍が施されていた。紫と緑の糸で、青年の名と同じ名を持つ植物をかたどって。
「……ラベンダーの花の、刺繍ですか」
「ね、あんたにゃ合いそうだろ。ミシディアで育てられた特殊な蚕の糸でできてるから、魔力も上がるし魔法防御も高いって聞いたよ」
にっこり微笑み、青年の胸にローブを当ててサイズをチェックするアーシュラ。肩の位置や裾までの長さなどを見極めて、満足げに頷いた。
「うん、サイズもいけそうだ。着てみな、大丈夫ならこれあげるからさ」
「そんな……こんな高そうなもの、いただくわけには……」
口では断りの言葉を紡ぎながらも、『ラベンダー』の表情はこの衣装を気に入ったことをはっきりと浮かび上がらせていた。それを分かっていたからなのか、アーシュラは二色の布をまとめて青年の胸に押し付ける。
「いーんだよ。あたしらがあんたにできることなんてこれくらいなんだからさ、受けとっておくれ」
「えっ?」
『ラベンダー』に笑ってみせるアーシュラの顔は、あくまでも肝の据わった母親のような笑み。その表情を崩さないまま彼女は、青年の淡い色の髪をくしゃりと撫でつけた。
「あんたを迎えに行くカイナッツォからね、話は聞いたんだよ。あんたはこの星にとって大事な人で、あのバロンに掛かってる黒い雲を追い払って明るい青空を取り戻せる人なんだってね」
今の青年に親の記憶はない。だが、アーシュラの手は記憶にないはずの親を思い出させる暖かな感触で、『ラベンダー』は振り払うことも身じろぎすらもせずに彼女の言葉をじっと聞いていた。
「だからさ、あたしにもすこしばかりそのお手伝いをさせておくれ」
けれど、最後に強く叩かれた両肩はさすがに痛いな、とそれだけは少し苦々しく感じたのだけど。
そうして結局、そのローブにおまけとしてサークレットまでプレゼントされ、現在に至る。
青年の着替えを見届けることなく姿を消したアーシュラが、立食ディナーの調理総指揮で走り回っていたことを聞いて『ラベンダー』は目を見開いた。腕まくりをした姿で料理の追加を出してきたアーシュラにそれを気づかれ、肩をばしばしと叩かれる。
「あはは、別に驚くこたぁないじゃないか。にしても、似合ってるね。良かった良かった」
「あ、ありがとうございます」
「それじゃ、まだまだ仕事があるから。ゆっくり食べてきな!」
一言礼を言うだけで、青年はどっと疲れたような気がする。すたすたと去っていくアーシュラの背中を見ながら、横に立って小魚の唐揚げをぽりぽり食べているカイナッツォに尋ねた。
「……彼女、よく働きますね」
「んー、そりゃ元々ふつーの主婦だし?」
はいあげる、と『ラベンダー』の口に一匹くわえさせてから、水精の少年はワインを手に取った。一口飲み込んでから、不思議そうな顔をしている青年に向き直って人差し指をびしすと立ててみせる。
「ヤンはね、二年前の戦乱の後に禅譲で即位したんだ。それまではここの守備隊長やってたんだよ。やってることは今も昔も変わりないんだけどねー」
「禅譲……なるほど」
「ま、ファブールじゃ当たり前のことだけどね」
カイナッツォの説明に青年も小さく頷いて納得し、それから唐揚げをかみ砕いた。
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