LAVENDER 5.AQUA PARADISE
 この世界には、地上と地下に計六つの国が存在する。それぞれに首長が存在するが、後継の選定方法は国によって異なる。
 ダムシアン・エブラーナと地下のドワーフ国は世襲制。ドワーフ国以外の二国については王族のみに伝えられる特殊技術が存在するためでもあろう。トロイアは八名の女性神官による共同統治の形を取っているが彼女たちは全員が姉妹であり、またその家が代々神官として国を治めているため世襲制とも言えるであろう。
 バロンも本来は世襲制であるが、先代国王には子がなかった。故にその養子であり、二年前の戦乱を収めた功労者でもあるセシルが即位し王となった。恐らく、彼以降は彼の血を引く子が王位継承するものと推測される。
 そしてミシディアとファブール。この二国は血縁に関係なく、国民から信頼されるに足りる人物を長老もしくは王として選び出すという形式を取っている。先の戦乱においてファブールの先代王は深い傷を負い、それをきっかけとしてヤンに王位を譲ったのだ。

「それだけヤンが国のみんなから信頼されてるってこと。セシルもね、国を治めるに足る人間だってみんなが思ってくれたから、バロンの国王になったんだよ」

 にこにこ笑いながら水精の少年は、ワインをもうひとつ受け取ると青年にはい、と手渡した。


 ファブールの生活は居心地の悪くないものであったが、一つ問題が起きていた。
 船が出航しない、というのだ。

「ご期待に添えず申し訳ない。ここのところ、商船や漁船の失踪が相次いでおりましてな、誰も船を出したがらないのです」

 それでも誰かいないかとわざわざ港まで出向いたヤンとアーシュラだったが、人も船もほとんどが見あたらない状況ではいくら国王といえど無理を通せるものではなかった。そもそもヤン自身、自分はともかく他人に無理を押し通そうとする性格ではない。また飛空艇もそう数が多いわけではなく、また船の探索などで出払っている状態である。

「いえ……そういう状況でしたら、致し方ありません」

 頭を下げる『ラベンダー』の横で、ルビカンテは自分より背の低い精霊の少年をじろりと睨んだ。もっとも、あくまでもマイペースを崩さないカイナッツォにその視線は通用しないのだけれど。

「どうするんだ? カイナッツォ。我らはともかく、『ラベンダー』がどうしようも無かろう」
「大丈夫だよ。船じゃなくっても行けるもん」

 にこにこ笑いながら相変わらずの楽天的な態度のままのカイナッツォ。ヤンが不思議そうな視線を、彼に向ける。

「行けるって……飛空艇も今は出払っているし、他に方法は思い当たらないのだが」
「ま、見てて」

 軽くウィンクをしてみせ、少年は岸壁からひょいと水面に飛び降りた。ざぶんという水音はまったく立たず、彼は地面に立つのと同じ姿勢のまま水面に佇んでいた。

「おーい、出ておいでよー! 話、聞いてたんでしょ〜!」

 水中に向かって両手でメガホンを作り、呼びかける。と、岸からかなり離れた部分の水面が大きく渦を巻き始めた。そうしてその中心から水柱が立ち上り、程なく少年が呼びつけた相手が姿を現す。

「やっほ〜。ご無沙汰、リヴァイアサン!」

 大きく手を振るカイナッツォに答えるように、海の色を鱗として全身に纏う巨大な水竜はゆったりと頷いた。幻獣が住まう世界を統べる王・リヴァイアサンである。

「水精か。久しいのう、こちらの暦でどのくらいになる?」
「んー、二年だね。月の最奥部で会って以来でしょ」

 相手がどういう存在であろうとまるで口調を変えない水精に、海竜王は眼を細めた。その視線が人間たちをゆったりと眺め回し、『ラベンダー』の上で停止する。

「なるほど……そちらが、闇の司か?」
「うん。今の名前は『ラベンダー』っていうんだよ」
「ふむ。……幻獣神より伺ったままということか。こちらへ」

 カイナッツォが頷いたことで、リヴァイアサンは青年の状況を理解したのだろう。ゆるりと姿勢を変え、その頭部を岸の近くまで下げてくる。その身体は人と比較するとあまりにも巨大ではあるが、『ラベンダー』もヤンもアーシュラもそこに恐怖を感じることはなかった。ただ、荘厳さに身をすくませてはいたけれど。

「あ、はい」

 故に、青年は何の躊躇もなく足を踏み出した。その彼の身体が海竜王が生み出した泡に包まれふわりと浮かび上がる。──これが、水精が口にした「船に頼らずミシディアに渡る方法」だったのだと、全員が理解できた。

「儂が責任を持ち、ミシディアまで送り届ける。それでよいか? 風の結晶を預かる王よ」
「リヴァイアサン殿のお力を借りられるとあらば、異存はありません」
「そうだねー。万が一にも、こないだの船みたいにぱっと消えちゃうとか無いだろうし」

 ヤン夫妻は大きく頷き、緊張していた顔にほっと一安心の笑みを浮かべる。ルビカンテもわざとらしく溜息をついてはみせたものの、その表情は落ち着いていた。自分の提案が受け入れられたことに、カイナッツォも会心の笑みだ。

「納得してくれた? それじゃ、みんな行こうよ」
「了解。……ヤン国王、お世話になりました」
「何、また来られるが良い」

 水面を蹴って泡の中に飛び込んだ同胞を追うように、ルビカンテも空中へと躍り出す。火の属性を持つ彼は水の中は不得手であるようだが、気にならないという顔をしている。
 泡の中から、ふと『ラベンダー』が港を見下ろした。声はきちんと外まで響くらしく、済みませんと呼びかけると下に残っている夫妻が一斉に顔を上げた。

「アーシュラ王妃。この服、ありがとうございました。大事にします」

 礼の言葉を聞き届け、彼女は満面の笑みを浮かべてみせた。それはまるで、息子を送り出す母親のようだった。


 ごつごつした岩肌を、その光景にはそぐわないほど爽やかな風が吹き抜けていく。太陽の光を吸い込んだような金の髪をその風に預けながら、カイン=ハイウィンドは山頂からじっと北の方向を見つめていた。

「──? 何だ、今の気配は」

 ぽつりと呟いたその時、彼の背後にもう一つの風が巻き起こった。空気に溶け込むほど淡い金の髪を持つ女性の姿をしたその風は、軽やかに竜騎士の元へと舞い降りる。

「カインっ」

 名を呼ばれ、青年が振り返る。背後に降り立った存在にまったく警戒心を持つことなく、カインは自分の名を呼んだ女性を親しげな視線で見つめた。

「どうした?」
「さっき、私のところにシルフたちが来たのよ。カイナッツォから伝言ですって」

 髪と同じくらい淡い黄緑色のワンピースを纏った彼女が軽く手を振ると、それだけで風はすうっと収まった。紫がかった黒の甲冑を身につけているカインとは対照的な色を持つ彼女の顔は、喜びを隠せないという笑顔だ。

「ほう。何と言ってきた?」
「彼、もうすぐミシディアに到着するそうよ」
「そうか」

 短い言葉で紡がれる会話。必要最小限以外は言葉にしなくても通じるとでもいわんばかりに少ない言葉のやりとりは、再び吹き始めた風の中で続く。

「……バルバリシア。会いに行ってみるか?」
「あら、良いの?」

 ルビカンテ・スカルミリョーネ・カイナッツォと並び立つ、風の精霊バルバリシア。彼女はカインの言葉に顔をくしゃりと崩し、その広い胸に自分の頭をもたせかけた。風に広がる豊かな淡い金髪を、カインの手がそっと梳いた。

「どうせ、俺も行かねばならんのだろう? そのくらいのことは察しがつく」
「んもー、そういう方面には勘が鋭いんだから」
「何、お前も一緒なのだろう? それなら心強い」
「当然でしょう? 私、あなたのそばから離れるつもりなんてないわよ」

 知らぬ者が見れば、ただの恋人同士の会話でしかない。だがその中には、彼らの生命そのものを賭けた戦があるという推測が含まれている。そして、その戦いから逃げるなどという選択肢が初めから彼らには存在し得ないことも。

「……今度は、この星の上だけで済みそうか?」
「ええ」

 二色の金の髪の持ち主が、並んで遠くの景色を見下ろす。二人の視線の先に広がるのはミシディアの内海……底を取り囲む地形を竜に見立て、『竜の口』と呼ばれる湾。その深い青の底に、二年前大空へと舞い上がり彼らを失われた月へと導いた『大いなるまばゆき船』魔導船が眠っている。

「それは助かる」

 わざとらしく軽口を叩きながら、カインはホーリーランスを握りしめた。
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