LAVENDER 6.SILENT BEGINNING
 その日、パロムとポロムはいつもより早く目が覚めた。二人は顔を見合わせて頷き合うと、ベッドから起き出して普段着に着替える。そうして家を出た双子の姉弟は、朝の日も昇りきらずまだ薄暗いミシディアの町を小走りに抜け出して海へと向かった。

「ふむ。二人とも、起きてきたのか」

 『竜の口』と呼ばれる入り江まで二人がやってきたとき、そこにいたのはミシディアを束ねる長老ミンウとその側近の魔道士二人だけであった。当人たちは幼子を起こさないように出てきたつもりだったのだろうが、案外子供というものは敏感なのであった。

「なーじっちゃん、ゆうべ行ってたお客さんって誰なんだ?」

 パロムが頭の後ろで腕を組み、いつもの口調で尋ねる。その脇腹を肘で突きながら、ポロムも言葉を続けた。

「長老自らがお出迎えになるほどの方なのですか?」
「まあ、そう思うてくれて構わぬよ。そろそろ到着される頃じゃ」

 そうミンウが答えて微笑んだその時、前方の海面から巨大な水柱が立った。その中に映し出された光の形に、双子の顔に笑みがあふれる。

「リヴァイアサンだあ!」
「すごい!」

 パロムがはしゃぎ、ポロムも嬉しそうに水柱の中から現れる海竜王の姿を見つめる。二人は、かつての月世界での戦いで現れた幻獣王の姿をミンウの魔力による幻影として目にしてはいたが、こうやって直接会うのは初めてなのだ。

「よくぞおいでくださいました、幻獣の王よ」
「何、今日はただの船代わりぞ。そう畏まらずとも良い」
「え、船代わり? うわぁ豪勢だなー、誰だよ」

 リヴァイアサンとミンウの会話に、幼い少年が呆れた声を上げた。海竜王はパロムにちらりと視線を投げかけると、その手の中に収められていた泡をそっと押し出した。その中にいる青年たちの顔に、ポロムが元々大きな目をさらに見開く。

「……セシル、さん?」


「へ? あ、ほんと似てる」

 二人の言葉に、『ラベンダー』は少し困った顔をした。泡は地面に触れると同時にぱちんと弾け、青年はその両脇に控える炎精ルビカンテ・水精カイナッツォと共にミシディアの地に降り立った。その直後、カイナッツォはくるりと振り返るとリヴァイアサンに大きく手を振った。

「あはっ。ありがとね、リヴァイアサン。また力借りることあったらよろしくー」
「年寄りをあまりこき使うでないわ、小童」

 恐らく苦笑を浮かべたのであろう、口を歪めつつ海竜王はゆっくりと海の中へ姿を消していった。軽く頭を下げ、ルビカンテと『ラベンダー』は改めて自分たちを迎えた一行と相対する。
 双子たちの視線は、セシルとよく似た青年に注がれていた。もっとも、あくまで『よく似た』人物でありセシル本人でないことは誰の目にも明らかだ。髪質が異なる上に、今目の前に立っている青年が纏っているのは黒と紫のローブ。聖騎士であり今やバロンの国王であるセシルが着用する服装ではない。

「……違うわね。セシルさんじゃない」
「うん。なあカイナッツォ、このあんちゃん誰?」

 二人は互いにそれを確認し合い、この中ではミンウの次に双子と仲の良い水精の少年に疑問をぶつけた。彼らの素直な態度にカイナッツォはくすりと微笑んで、それから誰かを問われた当の青年を軽く押し出す。

「この人はねー、『ラベンダー』っていうんだよ。世界のあちこち見て回ってんの」
「……『ラベンダー』です。よろしく」

 青年も今の名を素直に名乗り、頭を下げた。答えるように長老も礼を交わし、幼い双子をすっと引き寄せる。

「ミシディアの長ミンウじゃ。この二人は私の弟子で……こら、きちんとあいさつせんかい」

 ポロムの肩を軽く叩き、パロムは頭に拳骨を一つ入れて促す。頭を抱えて涙目になった弟を差し置いて、まずは姉が一歩進み出た。まだぎこちないながらも優雅に一礼してみせる。

「白魔道士の修行をしています、ポロムですわ。よろしくお願いします」
「ちぇー、いってーの……へへん。天才黒魔道士パロム様とはこのおいらのことさ、よろしくなっ」

 ふんと胸を張り、腕を組んで偉そうな態度を取りながら弟も進み出る。そして、青年の全身をじろじろと見回した。ふんふんと匂いまで嗅いでみせ……それから、にいっとこの少年が得意とする表情でもある、悪戯っ子の笑みを浮かべた。

「うん、信じる。セシルあんちゃんと違う人だけど、同じような匂いするし」
「犬じゃあるまいし……ですけど同感です。悪い人には思えませんですわ」

 肩をすくめながらも、弟に同意してにっこり微笑んだポロム。まだ幼い二人の無邪気な笑顔に、知らず『ラベンダー』の表情もほころんだ。

「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いしますね、パロム、ポロム」

 思わず二人の頭を撫でてやると、まだまだ子供であるせいか双方嬉しそうに笑う。その表情に、彼らよりもっと小さな……まだ歩くこともおぼつかない幼子の表情が重なって見え、一瞬青年は眉をひそめた。が、その幻はすっと消え失せ、そこには不思議そうに青年を見上げている双子がいるだけであった。
 ちら、と彼らの様子を見て取ったミンウが、ぽんと手を叩いた。その柏手の鋭い音で、その場にいる全員の意識を自らに集中させる。

「さて、朝も早うから長旅お疲れであったじゃろ。深刻な話は後にして……まずは朝食じゃな」

 ゆっくりと朝の日が昇り始め、光が彼らの姿を照らし出す。手をかざして光を避けながら、ルビカンテが苦笑を浮かべた。何しろ彼の位置からは、お腹を抱えてしょぼくれる少年の姿がよく見えたのだから。

「腹が減っては戦はできませんからね。特にパロムは」
「あったりまえじゃん! おいら、さっきからお腹ぺこぺこだったんだぞ〜」

 頬を膨らませて文句を口にする少年に、双子の姉が早速小さな拳を繰り出した。このあたり、長老とよく似ている。やんちゃ坊主を抑えつけるには、口だけでは勝てないということだろう。

「あんたの食事じゃないでしょ! まったく現金なんだから」
「えー。でもさあじいちゃん、おいらたちの分もご飯用意してくれてんじゃねーの?」
「当然じゃ。お前の気配を感じた時点で追加注文を出しておいたわい」

 ツッコミを入れたポロムにウィンクしながら軽口で答えたパロム、そして半ばあきれ顔のまま腕を組んだミンウ。彼らを僅かに引いた視線で見つめながら、『ラベンダー』は先ほどの幻が心の中から消えないまま残っているのを感じ取っていた。


 朝食を済ませた後、ルビカンテとカイナッツォはクリスタルルームに籠もった。幼い双子はミンウの元で日課である魔法の勉強があるということで、『ラベンダー』は一人になった。池のほとりのベンチに座り、行き交う人々の姿をじっと眺めている。ここミシディアは本来魔道士たちが集まって暮らしている町なのだが、どう見ても魔道を修めているようには見えない人々も多く混じっている。恐らくは以前カイナッツォが話していた、バロンから脱出してきた市民なのであろう。

「『ラベンダー』、ですね?」

 名を呼ばれた青年が振り返る。そこに立っていたのは、淡い金の髪をポニーテールにまとめた女性だった。その胸に抱かれた赤子は、彼女の子供であろう。

「あなたは……?」
「セシルの妻のローザです。この子は息子で……セオドアといいます。どうぞよろしく」

 彼女……ローザはゆったりと頭を下げた。赤子を抱き直し、軽くあやす姿はどこかぎこちなく、まだ母親としては新米であることが『ラベンダー』にも見て取れた。立ち上がって軽く自分の横を払い、彼女に勧める。

「セオドア……ですか。ええ、よろしく。こちらにどうぞ」
「失礼します」

 ローザが腰を下ろすのを待ち、青年も再び座った。母親の胸で眠っているセオドアは、明るく涼しげな色の髪を持っている。恐らくは、父親たるセシルから受け継いだ血の現れ。

「それで、何か」
「ええ。バロンで起きたことをあなたにお伝えしてほしい、と精霊たちから頼まれました」

 まっすぐ自分を見つめてくる彼女の瞳に、『ラベンダー』は力強さと同居する弱さを感じていた。母として我が子セオドアを守る強さ、王妃として国民を守るための強さ……妻として夫セシルを案じる弱さ。

「……伺います」

 それでも、今はその強さを信じようと青年は頷いた。
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