LAVENDER 6.SILENT BEGINNING
「あのね。私たちはね、もちろん自分自身のみでも力を引き出すことはできる。だけど、媒体を使って力を引き出した方がより強く発揮できるの。その際に使われた媒体の属性に引きずられるから、相手選ぶけれどね」

 カインの腕に自分の豊かな胸を押し付けるように、風精はしがみつく。まるでそうでもしなければ、再び邪悪に染まるとでも言いかねないように。カインもそれを分かっているのか、あえて彼女を引きはがすようなことはしない。少しだけ頬が赤くなっているのが、現在の彼の感情を唯一表現している。

「そういえばシドが言ってたわ。クリスタルの力も、それを使う者によって善にも悪にもなり得るって」
「ええ。我々も、二年前の戦では邪悪に使われていましたから……精霊というものは、変なところで主体性がないんです」

 ローザが、記憶を思い出しながら呟く。スカルミリョーネが頷き、苦笑しながら胸元に手を当てた。トロイアでの己が、おそらくはテラの怨念に引きずられていたのだという事実は胸の中に隠すと、彼は決めている。余計な情報は、耳に入れないに越したことはない。
 ふと顔を上げると、ルビカンテと視線が合った。炎精は小さく頷いて、地精の後に言葉を繋ぐ。

「その媒体として、我らが最良と考えているのが『人間』です。己と性格が似ているなどして相性の良い相手と同調することができれば、我らは最高の力を引き出しその相手に委ねることができるんですよ。例え、我ら自身がその場に存在せずとも」
「なるほど。ゼロムスとの戦いの時に感じた力はそれか」
「ええ」

 カインが頷き、風精に視線を注いだ。敏感に気づき、すがりついていた腕から顔を離して見上げた彼女の表情は、朗らかな笑顔である。彼女は自身の意思で、試練の山を修行場とするカインにいつも付き添っていた。それは、おそらく彼女と相性の良い相手が彼であり、それを差し置いても彼女が彼に好意を抱いているから。

「さて、ここまでが前提です。これからは此度の問題について」

 ぱん、と半ば破裂音にも似た柏手に全員の視線が一カ所に集まる。音の出所であるルビカンテは、一歩前に踏み出して自分を見つめる全員の顔をぐるりと見返した。

「バロンが封印されているのは、恐らく内部に何らかの力を封じ込めるためでしょう。現在その内部におられるのは……」
「……セシル一人だけよ。他は全員、こちらに避難しているわ」

 自身が最後にバロンを脱出した一人であるローザが、そう断言した。自分とセオドア、シドを送り出し、扉を閉じたセシル。その閉ざされる音は、今も耳の奥に響いているのだ。
 視線を落とし、唇を噛みしめたローザを見つめて、ルビカンテは小さく頷いた。顔を上げ、意図的に表情を消してから口を開く。

「そうですね。恐らく、封印を掛けた者の目的も彼でしょう。彼の身に宿った光のクリスタルの力を封印し……恐らくは内部で増幅させ、その者の自由に使える力として蓄えるため」

 一瞬、ローザの肩がびくりと激しく震えるのが視界の端で確認できた。炎精は目を閉じ、狼狽している彼女の姿を意識の中から消す。事実を告げなければ、これより自分たちが戦おうとしている相手のことは理解できまい。

「ローザ、大丈夫? 休んだ方がよくない?」
「……平気。現実と向き合わなくちゃ」

 そっと寄り添うリディアに、ローザは気を取り直したかのように笑みを浮かべてみせる。ただ、その表情はどこかこわばっているのがリディアにはありありと分かった。
 一方、エッジはルビカンテの言葉を真剣に聞いていた。しばし思考を巡らせ、ふとした推測を言葉として漏らす。

「つーと、下手に解放したらやべえんじゃねえのか? 増幅したクリスタルの力が一気にあふれ出したら、それこそ暴走して大事になる可能性がある」
「はい」

 青年の推測を、炎精は単純な一言で肯定した。あくまで推測ではあるが、二年前もクリスタルが失われたことで自然界のバランスが崩れたという経験がある。当時のような力の喪失とは逆のパターンだが、強すぎる力は暴走してそれこそ世界の危機、ということもあり得るのだ。

「ですから我らは、バロンの外に残ります。幸いクリスタルそのものは各国に安置されているままですから、それを媒体として外側から抑え込みます」

 スカルミリョーネが言葉を引き継いだ。フードを外している彼の表情は、ルビカンテと同じく読み取ることができない。彼も意図して感情を押しつぶしているようだ。

「そして暴走しないように調整する、ってことね。じゃあ、バロンに行くのはやっぱりあたしたちか」
「うん。面倒みんな押し付けちゃってごめんね」
「事情が事情だからしょうがないじゃない。その代わり、外は頼むわよ」
「それは任せて」

 緑の髪を揺らしながら少女が納得したように結論を口にする。水精の少年が両手を合わせて謝るのに気づき、苦笑を浮かべつつその肩をぽんと叩いた。お互い実年齢なり精神年齢なりがあまり高くないせいか、気が合うようである。

「それで、封印の中に入る方法は?」
「バロンを封じているのは魔力障壁。内部から張られており、特性は二年前バブイルの塔に展開されていたものと同じ、だそうです」

 カインの問いには、ルビカンテが即座に答えた。長老ミンウとミシディアの名だたる魔道士たちが調べ上げた結果だと、カイナッツォから知らされている事項だ。その当人も、にこっと微笑んで肯定する。

「いちお、『ラベンダー』には説明したんだよね。つまりそういうこと」
「彼と共に行けば問題なく通過できる、ということか」
「そうらしいです。足手まといにならなければいいのですが」

 ここまでじっと会話を聞いているだけだった『ラベンダー』が、やっと口を開いた。このメンバーの中で一番状況を理解できていない自分が、ある意味鍵となる。そのことに、彼は緊張の色を隠せないでいる。

「大丈夫よ。あなた、黒魔法ならあたしより強いはずだもん。正直言うと、頼りにしてるわよ」

 召喚士の少女が軽く肩をすくめ、ガッツポーズを取ってみせた。もっとも彼女の場合、強力な幻獣との契約を交わしている以上黒魔法の使用頻度はさほどでもないのだが。


 ──ようよう戻ったか。

「え?」

 『ラベンダー』の脳裏を貫いた、声。この場にいる誰の声でもなく、暗黒の奥底から響いてくるような重く、そしてぞっとするほどの悪寒を伴った声に、青年は身体を硬直させる。

「どしたの?」

 ──早く我が元へ来たれ。待っているぞ。

 カイナッツォの声をかき消すように、再び声が響いた。くらりと視界がかげり、足元をふらつかせた青年に水精の少年は音もなく滑り寄り、正面からその身体を支える。

「大丈夫? 『ラベンダー』、何かあった?」
「……声が」

 少年の問いにも、その一言を搾り出すのがやっと。身体をがくがくと震わせ、何かに怯えている青年の背中を軽く撫でて、カイナッツォはもう一度言葉を掛けた。

「声? 何も聞こえなかったけど」
「声が、したんです。早く来いって……気のせいだと、思うんですが」

 今度はゆっくりとだが、きちんとした文章が返ってきた。ほっと一息ついた水精の様子に、じっとその光景を見守っていた全員もふうと息をつく。その中、風精はじろりとバロンのある方角に睨みを利かせた。

「ふん、干渉かけてきたわね。セコイ相手だこと」
「自分をしっかり持ってください。そうすれば負けはしません……我らも守ります」
「……はい」

 炎精の言葉にも、青年の反応はどこか鈍い。しばし何事かを考えていたカインが、自分の隣に立つ風精に視線を落とした。

「バルバリシア。外の風に当たらせた方がいいかもしれん、連れていってくれ」
「私? 分かったわ」

 ちらとカインに目をやり、薄く微笑んでから彼女は頷いた。くるりと身を翻し、『ラベンダー』のそばに寄りそう。ぽんと背中を押し、話しかけながら彼の歩みを進めさせた。

「少し気分を変えましょ。ほら、大丈夫だから」
「……そう、します」

 ふらふらと部屋の外へ出て行く二人の姿を見送り、リディアは室内に残った三人の精霊たちを振り返った。先の戦乱では敵の尖兵として戦った彼らを、この少女は案じている様子だ。

「外にまで影響が漏れてるのね。みんなは大丈夫なの?」
「『ラベンダー』やあなた方のおかげで、何とか」
「主体性がない、と申し上げました。今はあなた方の影響を過大に受けていますから、大丈夫です」

 ルビカンテとスカルミリョーネが口々にその心配を否定する。が、最後のカイナッツォだけは腰に手を当ててつまらなそうな顔をした。

「だからね、みんなが影響受けたら僕らまで影響来ちゃうの。こればっかりはどうしようもないんだよね〜」
「私たちが強くあらねばならないということね。心がけるわ」

 ぐずり始めたセオドアを軽くあやしながら、ローザが微笑む。カインは口を開かぬまま頷き、そしてエッジはサムズアップで答えてみせる。

「何、任せろ。ちゃっちゃと片付けてくっから」
「んもー、何でそうエッジはいつもいつも脳天気なの?」
「いいじゃんかよ。悲観的な王様はうちの国には合わねーし」

 リディアとの会話の応酬も手慣れたものだ。途端に空気が穏やかなものになり、張り詰めていた緊張はほぐれる。

「んー、まあこれなら大丈夫っかな」

 口の中だけで水精の少年が呟いたのを、その場にいる誰も聞き届けることはなかった。
PREV BACK NEXT