LAVENDER 6.SILENT BEGINNING
 館の外に出て、『ラベンダー』は大きく息を吸い込んだ。深夜のどこか冷たい空気を肺の中に取り込むことで、彼の意識は急速に正常へと覚醒する。

「済みません。お手数を掛けました」
「気にしないで。まさか干渉を掛けてくるとは思わなかったから……でも、あなたも気を確かに持ってね」
「分かっています」

 僅かな風が、二人の長い髪を夜の空に舞い上がらせる。昼の太陽にも似た色と、夜の月にも似た色。
 その風が収まるのを待っていたかのように、青年は口を開いた。

「バルバリシア」
「何か? 『ラベンダー』」

 改めて名を呼ばれ、風の精霊は正面から彼の顔を見据える。青年は真剣なまなざしで彼女を見つめており、これから何を言われたとしてもそれはまっすぐに受け止めなければならぬものだということを彼女に予感させた。

「一つ、疑問に思っていることがあります」

 『ラベンダー』は自分の顔に掛かった髪を手で払い、背中に流した。一瞬だけ伏せた目をすぐに上げ、こちらもまっすぐにバルバリシアの顔を見据える。

「以前ルビカンテは私が闇の力を持っていると言っていました。そして、闇は邪悪なのではない、とも。彼は具体的には教えてくれませんでしたが、あなたなら教えてくれるのではないかと思いまして」
「……そうね」

 恐らくは問われるであろう、と推測していたこと。それを予測通り、青年は口にした。彼の存在と過去を語るにおいて、外すことはできないのだから。

「闇について……か」

 だから彼女の脳裏には、説明をしないという選択肢は存在しなかった。正確に語ることで彼が己自身の拠り所を見つけてくれれば、と思っていたのかもしれない。

「……この世界には、何事においても表と裏の二面性がある。これが大前提よ。地上世界と地底世界、青き星と月、昼と夜」

 空を見上げる。二年前までは二つあった月が今は一つとなっているが、その取り残された月は今もこうやって夜の空に煌々と輝いている。その光の色は『ラベンダー』とセシル、二人の青年の髪にも似て。

「今は夜だよね、バルバリシアねーちゃん」
「えっ?」

 そして彼女と彼は、すぐそばまで寄ってきていた幼い双子の気配に気づけないほど、月に見とれていたらしい。

「あら。お子様はとっくに寝てる時間でしょ」

 めっ、と言わんばかりに腰に手を当て、風精は寝間着の上にカーディガンを羽織って出てきた幼子たちをジト目で睨み付けた。パロムはぷうと頬を膨らませ、彼女に反論を試みる。

「んー、だってセシルあんちゃんのピンチだし!」
「ええ、寝ている訳にはまいりませんですわ。私たちにも何かお手伝いできることがあればと思いまして」

 同じ双子でも、ポロムは相変わらず背伸びした態度を崩さなかった。もっともそのついでに、生意気な弟の頭に拳を一つ落とすことは忘れなかったが。

「まったくもう。話終わったら寝なさいよ? じゃあ続けるわね」

 すぐに二人を追い返そうとは、彼女は思わなかった。この双子は各々が白と黒の魔法を会得している魔道士であり、自分の説明くらいは理解できるはずだと考えたのだ。無論、幼子を二人だけで家まで帰す気にならなかったということもあるが。

「どうぞ」

 苦笑しつつ頷いた『ラベンダー』も、同じ考えであったらしい。三人の視線が自分に向けられたところで、バルバリシアは話を再開した。

「基本的に、生物というものは昼間に活動する。植物は光合成を行い、動物は目覚め動き回り、人は働いて糧を手に入れる。その活動を助け、守るのが『光』」

 彼女の金の髪から、光の粒がこぼれる。ふわりふわりと舞い散る光の粒が周囲を照らし、ほんの僅かながら朝の光景を再現する。

「それに対して、夜の帳に紛れ害をなそうとする者がいる。それらから健全なる者を護り、眠りを授け癒すのが『闇』。二つの力の象徴となるのが、いわゆるクリスタルね」

 光の粒はさあっと風に溶け、消える。周辺の光景は再び夜の帳に覆われ、月と星の明かりだけが彼らを照らし出す。

「あ、光のクリスタルって、セシルあんちゃんがゼロムスの正体ばらすときに使ったあれだろ。すんげー白くてきらきらしたあれ!」

 パロムが二年前、間接的にではあるが目の当たりにした光景を思い出して手を打つ。あの時セシルがかざした光の結晶は、邪悪を包み隠す霧をその光の力を以て吹き飛ばしたのだ。その目映き光のせいか、しばらくパロムは目をしょぼしょぼさせていたのだけれど。

「そうですわね。セシルお兄様は光の力を持つ聖騎士、だからこそ光のクリスタルの力を発揮することができたのですわ」

 一緒に同じ光景を見届けていたポロムが、楽しそうに微笑んだ。こちらは素早く手をかざして光を避けたため、その後も目を痛めることなく全てを見届けることができたのだ。この辺り、姉弟の性格の違いと言うべきか。

「そうね……でも、光あるところに闇もまたある。昼間活動する者は夜は眠りにつき、事情があって夜動く者は昼間に休む」

 アガルトの天文学者は、夜の空にきらめく星を観測している。彼のような夜にしかできない職業というものも世界には存在する。
 光の下も闇の下も、いずれにせよそれは世界であることに変わりはないのだ。

「光と闇は表と裏、どちらか片方だけでは完全な力とはなり得ない。セシルたちがかつて邪悪を倒せたのはね……」

 くるりとバルバリシアが一回転した。長い金髪からはまたも光の粒が振りまかれ、周囲を照らして消滅する。その光が収まったとき、彼女は『ラベンダー』の前に立っていた。青年の端正な顔を見つめ、彼女の唇が笑みの形に歪む。

「そばに『ラベンダー』、あなたがいたから。闇の力を宿すあなたがそばにいたからこそ、彼らは最大の力を持って戦うことができたのよ」
「私が?」

 青年が目を見開いた。記憶を失う前の自分が邪悪であったことは、テラとの邂逅で思い知らされている。そして、恐らくこの世界を大きく傷つけた二年前の戦乱に、自分が関わっているであろうこともうすうす感付いていた。だから、自分の存在がセシルたちの力になったという事実を知らされて戸惑っているのだ。
 そして、困惑しているのは『ラベンダー』だけではなかった。

「え、なにそれ?」
「セシルさんたちだっけでは、ゼロムスには勝てなかったとでもおっしゃいますの?」
「そうよ」

 双子の疑問符を含んだ言葉に、バルバリシアは一言で応える。そして、幼い子供たちの顔を見比べながら、補足となるであろう問いを投げかけた。

「ゼロムスは一度は光と闇、双方のクリスタルの力を手にした。これがどういうことか分かるかしら?」
「……光と闇、どちらの力も持っていた……ということですの?」

 聡い姉が、風精の指し示す事実からの推論を述べる。またも頷いた風精の言葉は、一気に吐き出された。

「そういうことね。だから邪悪の『光』の力を『ラベンダー』が抑え、セシルたちは邪悪の『闇』と戦いこれを討ち滅ぼした。別におかしくはないでしょう?」

 『ラベンダー』は、ほんの僅かな間言葉を発しなかった。じっと目を閉じ、何事かを考えている。……やがて見開かれたその瞳には、決意の色が宿っていた。自分の意思で戦うという、その決意。

「──私は、自分がどういった人間なのか知りたくてここまでやってきました。この身に宿る黒魔法の力と知識の意味も、こんな色の髪を持つわけも、闇の力を持つというその意味も、まだ私は知りません」

 一度言葉を切り、青年はバルバリシア、パロム、ポロムと順にその顔を見比べる。笑みを浮かべた彼の表情はどこか儚く、それでいて力強い笑みであった。

「けれど、分かったことがあります。私にとってセシル、その仲間たち、精霊たち……全てがどれほど大切な存在であるかということが。そして、今起きている事態に対処するためにも、私が動かなければならないということも」
「じゃあ、あんちゃん……」

 そばにより、じっと自分の顔を見上げてきたパロムの頭に『ラベンダー』は手を置いた。大地の色の髪をくしゃりと掻き回し、しっかりと頷く。

「大丈夫です。死にはしません、きちんとセシルを救い、戻ります」

 そう告げた青年の淡い色の髪を、再び吹き始めた風が揺らしていった。


 巨大な水晶の柱が、床を突き破ってそそり立っている。その頂点は天井をも貫き、そして周囲へと増殖しているようにも見えた。
 規則的に淡い光を放つ柱の中に、青年が一人身体を抱え込むようにして眠っている。花の名を持った青年と同じ色の髪は、水晶の中にあってもその美しさを失うことはない。

「ねえ、知ってるかな? もうすぐ僕たちに会いに来る人がいるんだよ」

 その柱を見上げている人物が、楽しそうに話しかける。容姿、髪の色、まとっている純白の鎧……そのどれもが、眠っている青年とまったく同じ形を取っていた。違うと言えば、互いが浮かべている表情だけであろう。
 眠っている彼は時折苦悶の表情を浮かべている。苦しげに歪む端正な顔は、何かを悔やむ表情にも見える。
 見上げている彼は、歪んだ笑みをその顔に貼り付けていた。聖騎士にはあるまじき、邪悪な笑み。

「ローザ、カイン、リディア、エッジ、それから……分かるよね?」

 その笑顔のまま楽しそうに友の名を示し、青年は眠り続ける同じ顔の彼を眼を細め睨み付けた。その拍子に柱が光を放ち、激しい震動が柱と室内を襲う。それはまるで、青年に対する怒りを示しているかのようだ。

「ははは、無理だよ。僕を素直に受け入れていればそんな無様な姿にならなかったのにね?」

 青年の手がすっと柱に触れる。と同時に震動はぴたりと収まり、柱の中に眠る青年の表情がすとんと消えた。

「それでいい。君は僕の道具、光のクリスタルの媒体。それを手に入れた以上、この僕に恐れるものは一つだけ……闇のクリスタル」

 どす黒い両目に映し出される、水晶の柱。その光を吸い取ってしまうように暗黒の中に沈んだ空間で、偽りの白をまとった青年はあはは、と楽しそうに声を上げて笑った。その表情はまるで二年前、月の中で具現化した憎悪のように冷たく、おぞましい。

「心配しないでいいよ。闇のクリスタルの媒体も、君の仲間も君の世界もみんな、僕が奪ってあげるから。みんな早く来ないかなあ。そう思わないかい? セシル」
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