LAVENDER 7.FROZEN EARTH
 障壁など無かったかのように、デビルロードによる移動はスムーズに行われた。扉を開き、バロンの街中に一歩踏み出した彼らを待ち受けていたのは、足元からにじり寄ってくる凄まじい冷気だった。

「……すごいな」

 カインが、唖然とした表情で呟く。結界の中に存在する全てが完全に凍り付き、ほんの少し前まで明るく賑わっていたはずの町並みは氷のゴーストタウンと化していた。ただ、見上げた先にはバロン王城が以前と変わらぬ威容を誇っている。それが、黒雲に包まれた世界の中における最大の違和感だ。

「出口にいなかったとなると、セシルはお城かね」

 軽く身体を震わせながら、エッジが周囲を見渡した。確かにこの異常低温の中、セシルと彼を狙った敵が町の中にいるとは思えない。目当てのモノを入手したのならば、強固な城塞であるバロン城に拠点を構えた方が得策であろう。実際、かつての戦においてカイナッツォは先代バロン国王になり代わり、あの城を己の要塞として利用していたではないか。

「そうじゃない? わかんないけど」

 リディアが首をかしげながら考え込む。気配を探ろうとしていたのだが、黒雲の中ではその感覚すら霧に飲み込まれたようにおぼろげでしかない。それはエッジも、カインやローザも同様であった。
 この中で、感覚がほとんど鈍っていないのは、ただ一人。

「どうですか? 『ラベンダー』。何か感じますか?」
「そうですね……」

 ローザに顔を見上げられ、その唯一である青年はじっと城を見つめた。眼を細め、その中にあるはずのモノを見通そうとして……小さく頷いた。

「私も、セシルはあの中だと思います。何か、いろいろなものが混ざり合ったような感覚が流れ出してきていますね」

 軽く額を抑えながら答える青年に、リディアが顔を覗き込んだ。じっと彼を見つめる表情は、親しい友人を案じるそれだ。

「大丈夫? 無理してない?」
「ええ、無理はしていないつもりです」

 少女の視線に気づき、『ラベンダー』は笑みを浮かべた。リディアは何か言いたそうではあったが、それ以上は何も言わない。その笑みが無理をして描き出されていることはリディアにもすぐ分かったのだけれど、ここで本音を聞き出そうとしたところで青年は口にしないだろうから。

「なら、とっとと城に行こうぜ。きっと向こうさんも待ちくたびれているに違いねえや」

 エッジの意図的に軽い言葉に、全員は一斉に頷いた。彼らの城を見つめる視線の中に、戦意が高まる。


 城内へ続く門は開かれたままで、『敵』が彼らを誘っているであろうということは容易に推測できた。しかし、開かれた門の中は黒雲の影響が強いのか漆黒の闇と化しており、建物の内部構造を見通すことは愚か足元の様子すらも確認できない有様であった。
 先頭に立ったエッジが、その中に一歩踏み出した。小型の携帯ランプに火をともし、足元をざっと手のひらでさらってから仲間たちを振り返る。

「OK、行けるぜ。ただ先は分からねえ」
「そんなのいつものことよ」

 苦笑しながらエッジに続いたリディアを筆頭に、他のメンバーも足を踏み入れる。ランプに照らされた部分にもバロン城本来の石壁や柱を見ることはできず、その表面をびっしりと闇が覆っているように純粋な黒が全てを隠している。ただ、慎重に歩みを進めながらもごく普通に歩ける空間であることに、殿を務めているカインがぼそりと呟いた。

「……ただの脅しか?」
「ならいいんだけど……」
「大丈夫ですか? ローザ」

 カインのすぐ前を行くローザが答える。言葉の中に含まれた彼女の不安に、並んで歩いていた『ラベンダー』が軽く振り向いて声を掛けた、その時。

「あっ!」

 短い叫び声が、空を裂いた。その場にいた全員の視線が、声を上げたローザに集中する。一番先を歩いていたエッジがその場を動かないまま、不思議そうな顔をして身を乗り出す。

「どした? ローザ」
「ら……『ラベンダー』が……」
「え? ……あ!」

 それに気づいたリディアが、思わず息を飲む。今この場にいるのはカイン、エッジ、ローザ、リディアの四人。たった今まで共にいたはずの『ラベンダー』だけが、髪の毛一筋残さずにその場から消え失せていた。

「……消えた」

 カインが素早く槍を構え、油断なく周囲の闇に視線を配る。両の手に短刀を構えたエッジも、カインとは逆の方向に視線を走らせている。

「何があったの?」

 周囲の警戒を二人に任せ、リディアはローザに尋ねた。ローザは軽く首を横に振り、ぎりと唇を噛みしめる。

「分からないわ。彼が歩いていたら、いきなり引き込まれるように見えなくなって」
「ちっ。つまるところ、俺らから『ラベンダー』引き離すのがこの部屋の目的だったか。んの腐れ外道、とっととくたばれ」

 触れれば斬れるような鋭い視線で闇の奥を睨み付け、エッジが呪詛を吐き出す。カインも内心は同様の思いを抱えていたが、あえて口にすることはしなかった。元々、自身の意思を表に出すことはあまりしない青年である。

「恐らく……気をつけろ!」

 そのカインの叫びに、全員の間に緊張が走った。……次の瞬間、足元の床が消滅するという事態はさすがに予想外であったのだが。

「え!?」
「おわっ!」

 一瞬にして彼らは、漆黒の空間に放り出された。その拍子にエッジの手からランプがこぼれ、流れ星のように光が流れて消えていく。落下の衝撃で混乱に陥りそうになる意識を、全員が無理矢理に抑えつける。

「幻界に住まう我が友ら! 我が名、リディアの呼びかけに答え、その姿を現せ!」

 とっさにリディアが唱えたのは、召喚士の間に伝わっていたランダム召喚の呪文だった。続けて少女の手の中に四つの光の玉が出現し、落下し続ける仲間たちのところへと散らばっていく。

「まったく、無理するなといつも言っているだろうが」
「へへ。ごめんねイフリート」

 リディアをその力強い腕に抱きかかえたのは、炎の戦士イフリート。

「お。アスラさん、お久」
「相変わらずですね、忍びの王は」

 エッジをすくい上げたのは、三つの顔を持つ慈母神アスラ。

「気を落とすな。我らはいつも見ておる」
「陛下……ありがとうございます」

 ローザを己の騎馬に乗せたのは、八つ脚のスレイプニルに跨る騎士オーディン。

「大丈夫ですか? 竜騎士よ」
「あんたは、ミストの……」

 そして、カインをその背に拾い上げたのは霧をその身となすミストドラゴンであった。かつての戦乱、その中で一度は彼女と彼女の使役者を死に追いやったことを思い出し、青年は目を伏せる。

「あの時は、済まなかった」
「気にしないで。あれも運命だったのでしょうから」

 穏やかな言葉を返されて、カインは何も言えずに白い竜の首筋をそっと撫でた。カインを初めとする竜騎士たちの騎乗するドラゴンと生きる世界は違えど同じ種族であるらしく、青年が普段から騎竜にしてやる愛撫の感触を彼女は楽しんでいる様子だ。
 幻獣たちが、ふと顔を上げた。彼らの上空、高いところに一点だけ、眩しい光が出現している。エッジのランプは既に消えてしまっており、光量からいってもその見間違いでないことは明らかだ。

「あの光の向こうから邪気を感じる。セシルは恐らくあの中だ」

 オーディンが、かつて人間であった頃と同じ口調でローザに告げる。「はい」と頷き、彼女は仲間たちを振り返った。

「急ぎましょう。嫌な予感がするわ」

 その場にいる全て……四人の戦士と、四体の幻獣たちは同時に頷き合った。
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