LAVENDER 7.FROZEN EARTH
「そなたの消された記憶を抉り出してやろう、しかと見るがよい」

 『それ』の言葉に呼応するかのように、数々の情景が『ラベンダー』の脳裏に浮かび上がってくる。それはいずれも憎悪と嘆きに満ちた、青年の記憶にあったかもしれない光景。

「空から破壊した無様な城。跡取りを滅ぼせなんだが心残りぞ」

 炎に包まれる砂漠の城。瓦礫の中で、少女が父と恋人に看取られながら息を引き取った。
 恋人から聞かされた仇の名を叫び、父親は怒り狂ったまま城を後にした。

「向けられた恨みの黒さが実に心地良かったのう。生命を削ってまで放った禁呪のちっぽけさもな」

 その父は黒鎧の青年に向かい、封じられていた禁呪を放つ。
 それは青年に手傷を負わせるだけにとどまり、老人は全てを使い果たし力尽きた。

「たかが色恋沙汰であそこまで深い憎しみを引き出せる愚か者。そろそろ、あれも壊してくれようか」

 青年の前に、竜騎士が跪く。空虚の心に憎悪を満たされ、世界から光の結晶を奪い取る二人。
 その手の中には八色のクリスタルがきらめき、静かに闇の中を照らし続けている。

「ははは、いい加減に思い出したらどうだ? 我が元に跪き、策謀と破壊と殺戮に明け暮れたあの快楽の日々を」

 血に染まる魔術の園。
 燃えさかる忍びの城。
 屠られた王。
 墜落する飛空艇。
 歩き出す機械仕掛けの巨人。

 数々の惨劇を見せつけながら、ゆっくりと姿を変えつつある『それ』は青年の耳元で囁く。世界のあちらこちらで響き渡る悲鳴や嘆きの声を、青年の中に流し込み続けながら、楽しそうに。

「やめろ……やめて……」

 身体を拘束され、世界の全てから疎まれ憎まれながら、それでも『ラベンダー』は必死に抵抗を続ける。動かない身体をがくがくと震わせ、涙を浮かべて世迷い言から意識を逸らそうとして……逸らせない。セシルの姿を既に止めていない『暗黒』に包み込まれ、周囲全てから負の感情が押し寄せる。


 声が響く。

「取り戻すのが苦しいか。そなたが生き延びるために為したことを」

 それは、幼い日のこと。
 父が死んだ。対立する考えを持つ人々の手によって。
 己に傷を癒す力はなく、むざむざと死なせてしまった。
 ──憎い。父に授かった力で、父を殺した奴らが
 少年は、そんなことを考えてしまった。

 声が響く。

「ははは、苦しかろう。子供には厳しすぎる環境であったか……構わぬ。狂え、嘆け」

 そうして時は流れ。
 母が死んだ。弟を生み、力尽きて。
 看取ってくれた老婆が言った。出産は無茶だったのだと。
 ──弟が生まれなければ、母は死なずに済んだのに
 少年は、そんな考えに囚われてしまった。

 声が響く。

「月の民ども。記憶を残しておけばこうなると分かっていたのか? 愚かな、不要な者は屠れば良かったのだ」

 彼に何かが近づいた。
 恨みを囁かれた。
 憎しみを植え付けられた。
 ──毒虫
 少年は、心を閉ざしてしまった。


「あ……あ、あ……あぁ……」

 心の中をぐちゃぐちゃにかき乱された青年に、おぞましい声が響く。自意識がほぼ停止した青年の深層に、己の言葉をねじ込み書き換えるために。

「憎しとはいえ、乳飲み子を捨てた愚か者。そなたには、人の生き方などおこがましい」

 そして。
 緑茂る、木の根もと。
 赤子からそっと手を放した。
 ──私は、お前を、見捨てたのだ
 そして、壊れた。

「全てを我に委ねよ。さすれば苦しみなど消え失せる……人形に、感情は必要ない」

 その両目から光が失われた青年の全身に染み通るように、その声は囁いた。


「ファイガ!」
「忍法、火遁の術っ!」

 リディアとエッジが、異なる呪により炎の嵐を生み出す。二つの炎は混じり合い、倍以上の威力となってセシルの姿をした敵に襲いかかる。

「くっ……」
「聖なる光、我が友を悪しき力より守りたまえ! シェル!」
「はぁあっ!」

 その炎の中から、ホーリーランスを構えたカインが舞い降りてくる。その全身はローザによってもたらされた守りの光に包まれ、炎の威力をものともしない。

「勝手にあいつの姿を使うな!」
「が、あっ!」

 聖別された穂先が、汚れた白の肩口を貫く。槍を掴もうとした手をすり抜けるようにそれを引き抜き、さらに肩の傷を蹴り飛ばしてカインは『セシル』との距離を取る。

「みんな、お願いっ!」

 『セシル』とカインの距離が離れる瞬間が、少女の目に映った。反射的に振られた少女の右手に呼応し、四体の幻獣たちが一斉に攻撃を仕掛ける。

「浄化の霧、その身に受けなさい!」

 ドラゴンの吐き出す霧が『セシル』を包み込む。『セシル』は一瞬腕で己の顔を隠し、その腕を振り払うことで力を押しのけた。

「霧で消えなきゃ、炎で焼き尽くしてやるよ!」

 霧を払いのけた『セシル』を、イフリートの紅蓮の炎が覆い隠した。……壁にも見えた炎が縦に切り裂かれ、半ば焼けこげた顔を手で隠しながら敵が足を踏み出してくる。

「女王、同時に」
「任せあれ、人であった勇者よ」

 それを想定していたのか、オーディンとアスラが殺到する。二人が同時に振り上げた巨大な剣が、『セシル』を先ほどの炎のように切り裂こうと振り下ろされる。がきん、という鋭い金属音が、空間全体に響き渡った。

「やったか!?」
「……まだね。この程度で倒せるなら、セシル一人でも対処できるわ」
「そりゃそーかも」

 正宗と村雨を両手に構えながら呟いたエッジに、カインと同じシェルの魔法を掛けながらローザが首を振った。彼女の言葉に肩をすくめたエッジが視線を戻した、その時。

「……効くと思ったか? 失せろ、獣ども」

 刃の下から、命令が放たれた。次の瞬間、声というよりは不快音にしか聞き取れない悲鳴が、幻獣たちの口から迸る。ばしゅっと空気が爆ぜる音が四回響き、幻獣たちの姿はその場から一瞬にして消え失せた。

「──っ!」

 その悲鳴は、幻獣を彼らの世界より呼び寄せた少女からも発せられた。がくりと糸の切れた人形のように崩れ落ちるリディアの身体を、素早く刃を収めながら床を蹴ったエッジの腕が間一髪抱き留める。

「リディアっ!」
「……ぁ、あ、はっ……」

 少なくとも、リディアは死んではいなかった。
 緑色の少女は、びくびくと身体を痙攣させている。虚ろに見開かれた瞳には何も映らず、閉じることを忘れた唇からは僅かにピンク色の舌がはみ出している。生命があることに安堵しつつも慌ててマントを引き裂き、舌を噛まないようリディアの口に突っ込んでからエッジは、平然と埃を払う『セシル』を睨み付けた。端正だったはずの顔は焼けこげ、薄黒くなった部分が僅かにぶれ始めている。

「てめえ!」
「ほう。四匹落とされても生きているとはな……感心、感心。それとも、強制送還ならばダメージは低いのかな」

 淡い色の髪を掻き上げ、くつくつと笑う聖騎士の姿を取った敵。その手には剣すら握られておらず、忍びの王は敵の力を改めて思い知った。が、そこで引き下がるほどこの若者は臆病ではなく……言い方を変えれば、無謀であった。

「てめえ、バケモンだな」

 浅い呼吸を続けているリディアの身体を一度抱きしめてから背後に横たえ、エッジは立ち上がった。正宗だけを抜き放ち、慎重に逆手に構える。
 そもそも忍びというものは攻撃力が高いわけではなく、俊敏な動きと密やかな行動そして急所を捉えるための鋭い刃を武器とする戦士。こうやって真正面から聖騎士と対峙して、勝ち目があるわけではない。それでもエッジは眼を細め、友の姿をかたどった敵を視線の先に置く。

「何、クリスタルの力を上手く使いこなせているだけよ。そうら、こんな風にな」

 軽く右手が振られる。と、それに共鳴するようにセシルの眠る柱が光った。封じられている聖騎士の表情が苦しみに歪むのが、エッジの目にはっきりと捉えられる。
 原理は知るよしもない。だが青年の目に映ったのは捕らえた友を苦しめ、その力を無理矢理に引き出そうとしている『敵』の姿であった。ならば、それは止めねばならない。

「ふざけんなっ……が、あっ!?」

 床を蹴ろうとした足が重い。
 重いのは足だけではない。頭、肩、腕、胴……己の体重が、一気に数倍数十倍に膨れあがったかのよう。

「……くっ……」

 その重さに耐えきれず、エッジはがくりと膝をつく。急激に高められた重力が青年を捉え、彼の自重をもって地面に縫いつけているのだ。程なく、青年は押し付けられるように床に倒れ込んだ。
PREV BACK NEXT