白の逢着

 そんなことを考えているジェイドに、軍人はふわりと笑みながら言葉を紡いだ。白い景色の中、風の音に流されること無くその声はジェイドの元に流れ込んで来る。

「忘れないでくださいね。貴方には、ずっと貴方を見ていてくれる人がいる」
「……ネビリム先生?」
「他にも沢山いますよ。洟垂れの幼馴染みとか、金の髪のやんちゃ坊主とか。妹さんだってそうです」

 彼の言葉に、ジェイドは目を見張った。
 サフィールと、ピオニーと、そしてネフリー。
 どうしてこの男は、自分に関してそんなに詳しく知っているのだろう。

「そして……今はまだ生まれていない、沢山の子どもたち。ずっと後になってから会うことになる彼らも、幼馴染みたちと同じように貴方を見ていてくれます」
「……あんた、何」

 言葉を紡ぎ続ける男をジェイドは睨み付けた。自身の身内や交友関係を熟知している、得体の知れない軍人。警戒すべき対象である、と少年の感覚が叫んでいる。
 こう、あからさまに怪しい人物といつまでも一緒にいるわけにはいかない。場合によっては、ジェイドが持てる譜術の全てを使ってこの男を血祭りに上げなければならないだろう。
 だが、男は自身を睨み付ける少年に向かってあくまでも微笑み続ける。その笑顔に敵意が無いことだけは、さすがにジェイドにも理解出来た。

「そうでしたね。貴方は今はまだ、他人が自分に向ける感情を理解出来ない。自身が持つ感情すらも」
「出来ないんじゃない。しないんだ。意味が無いから」

 奇妙なことを言う、と思いながらジェイドは、男の言葉に反論した。
 感情を理解することなど、今の少年には意味が無いことでしかない。だがピオニーや、ネビリムを初めとする周囲の人間たちには、ジェイドの思考の方が理解出来ないものらしい。

「そう思っているのは貴方だけですよ」

 目の前にいる軍人もそうであるらしく、困ったように首を傾げつつそう答える。ジェイドの思考を理解出来る人間は、どうやらこのオールドラントには存在しない類のものらしい。

「そうかな」
「ええ」

 男は頷いた。自信ありげな表情の意味が理解出来なくて少年は、一瞬だけ軍人から目を逸らした。

「ねえ──」

 振り返って、ジェイドは今一度目を見張った。
 たった今までそこにいたはずの軍人の姿は無く、白い雪が視界を埋め尽くしている。ただ、降りしきる雪はその密度を減らして来ていて、少しずつではあるがケテルブルクの見慣れた街並みがその向こうから姿を現し始めていた。

「……」

 ぽり、と指先で頬を掻く。すっかり冷え切っている皮膚が、ジェイドがここに佇んでからの時間経過を示していた。かなり長い間、自分はこの場にいたらしい。

「まさか、凍死寸前の幻とかじゃ無いよな……」

 ふるりと頭を振るうと、いつの間にか積もっていた雪が音も無く滑り落ちる。肩の上を手で叩いているとやがて、遠くから聞き慣れた声が聞こえて来た。

「ジェイド、ここにいたの?」

 まず現れたのは、白を纏う恩師。その後ろにぴったりとくっつくようにして、不安げな表情のネフリーがやって来る。

「んもう、探したのよお兄ちゃん!」
「先生! ネフリーも」
「ジェイドぉ、大丈夫だった? えぐ、えぐ……」

 ネビリムのコートの裾を掴んだ洟垂れ小僧が、顔をぐしゃぐしゃにしている。ああもう、いつになったらこいつは泣き虫を卒業するんだろう。

「ほらほら、サフィール。ちゃんと見つかったんだから、もう泣かないの」
「だってだって、ジェイドが凍えちゃってたらどうしようって、ひっく……」

 先生に頭を撫でられても、サフィールが泣きやむことは無い。ジェイドは溜息をついて、呆れたように吐き捨てた。

「僕が凍え死ぬ訳無いだろう」
「万が一って、ことも、ぐすっ、あるじゃ無いかぁ……」
「はい、そこまで」

 仏頂面のジェイドと、泣きじゃくっているサフィール。口喧嘩になりかけた2人の頭の上に、ネビリムの手がぽんと乗せられる。思わず恩師の顔を見上げたジェイドの首元に、ネフリーが胸元に抱えていたマフラーをくるりと掛けてくれた。

「ピオニー様がお屋敷から出られなくて気を揉んでいるわ。ジェイドが無事だってことを早く伝えてあげないと。みんな心配してたのよ?」
「……はい。ごめんなさい」

 ネビリムの言葉に、感情こそは含まれないけれど謝罪を口にする。そうしなければサフィールが更に泣き声を上げ、ネフリーとネビリムが自分に文句を言って来るだろう。いい加減、面倒は避けたい。

 別に、心配なんてされなくても平気なのに。

 そう言った本音は、胸の内にしまっておく。うっかり言葉にしようものなら、この3人に付け加えて浅黒い肌の幼馴染みにまで説教されかねない。いくら言われてもジェイド自身の思考がそう簡単に変化する訳では無いし、無駄な時間を過ごしたくは無い。
 そこまで考えて、ふとジェイドは背後を振り返った。真紅の視線を感じたような気がしたから。
 けれど、視線の先には誰もいない。白の中ではっきりと目立っていたはずの青の軍服も、自分以外に初めて見た真紅の瞳も。ネビリムたちが迎えに来た時にはとうに消えていたのだから、あの男がそこにいるはずは無いのだ。
 不審そうに眉をひそめたジェイドに気づき、ネフリーがおずおずと問うて来た。兄の機嫌を損ねたのでは無いか、と不安になったのかも知れない。

「お兄ちゃん、どうしたの?」
「……ん、いや。何でも無い」

 ジェイド・バルフォアは頭を振ると、妹の頭を軽く撫でてやった。それから手を繋ぎ、ネビリムの後について歩き始める。もう、後ろを振り返ることなどせずに。
 そんなことをしてももう、後戻りなど出来ないのだから。


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