Fate/gold knight 1.きんのゆみ
 その日から、『衛宮士郎』としての俺の生活が始まった。
 あれから諸々の手続きでどたばたしたりとか、近所に住んでる極道の親分さんにご挨拶に行って気に入られたりとか、そこの孫娘がやたら家に入り浸るようになったりとか、妙に身辺が慌ただしかった。ま、おかげで気が紛れたっていうのは良かったのかもしれないけれど。
 そして、俺には姉が2人できた。
 1人はあの時病院で出会った金髪の女の子――衛宮弓美。
 1人は極道の親分さんの孫娘――藤村大河。
 それぞれを『弓ねえ』『藤ねえ』と呼ぶようになり、2人も俺を弟として可愛がって……いや訂正、痛めつけてくれるようになった。こっちも男だから頑張って抵抗するんだけど、年の功以上に実力の差は大きかった。弓ねえは妙に腕力があるし、『冬木の虎』の異名をとる藤ねえは竹刀持たせたら無敵なんだもんな。ちくしょう。
 やがて、身辺のどたばたがどうにか落ち着いたのが2年後。俺はその頃、爺さん……親父の弟子になった。

『僕はね、魔法使いなのだ』

 そう名乗った親父。厳密に言うと、この発言は間違っていた。魔法使いってのは詳しい話は置いておくけどとんでもない存在で、親父は魔術師……いや、魔術使いと呼ばれるシロモノだったらしい。いや、それでも十分とんでもないんだけどな。
 で、俺は『魔術使い』衛宮切嗣の弟子になった。親父があの赤い地獄から俺と彼女を助けてくれたように、今度は俺が誰かを助ける正義の味方になる。そのために、俺は魔術師になる道を選んだ。――のはいいけど、素質がないってのは厳しいよなぁ。結局、俺が身につけることができたのは解析と、強化だけ。もう1つ……これが一番得意な魔術だった……あるけれど、それは効率が悪いから使わない方が良い、って親父に言われた。強化の鍛錬をしていて、気分晴らしにやることはあるけれど。

 そしてさらに3年。つまり今から5年前に、親父が死んだ。
 親父は俺たちを引き取ってしばらくしたら、家を空けることが多くなった。理由は分からないけれど、世界のあちこちへ行っていたらしい。その頃には藤ねえがうちに入り浸るようになっていたから、あまり寂しくはなかったけれど。だけど、2人の『姉』が両方とも家事がまるで駄目、ってのはどうかと思う。おかげで衛宮の家の家事全般は俺の担当になってしまった。ちゃんとした家があってそれなりの資金もあったのに、栄養失調で死にたくはないからな。そのうち弓ねえには、洗濯だけは覚えて貰ったけど。さすがに俺も、女の子の下着を平然と干せる自信はなかったから。

 それが、親父は自分が亡くなる1年くらい前からあまり旅行をしなくなった。家で寝起きするようになり、その身体がどんどんやせ細っていくのがはっきりと分かった。俺はますます家事に精を出すようになり、少しでも栄養を摂って貰おうと頑張った、のだけれど。
 親父の葬式で、俺は2人の『姉』に挟まれるように立っていた。訪れる人は近所の知り合いばかりで、遠くからわざわざ親父のために来てくれる人はいなかった。俺の右手を弓ねえが、左手を藤ねえがぎゅっと握りしめていたことを覚えている。特に藤ねえは、手を小刻みに震わせていた――そうだよな。藤ねえは早く大きくなって、親父のお嫁さんになりたいって言ってたもんな。もうちょっとだったのに、惜しかったなーって寂しそうに笑ってたっけ……俺が悲しくないように、って気遣わせてるのが分かって、俺は胸が痛かった。

 そして、この家に住んでいるのは2人きりになった。藤ねえも相変わらず通い詰めだから、2.5人住まいになるかもしれない。たまに泊まり込んでは弓ねえと話し込んでたりしてるしな。
 1年半ほど前からは友人の妹――間桐桜が通いで加わって、さらに賑やかになった。俺がバイト先で怪我したことをきっかけに、食事作りを手伝うと申し出てくれたのだ。……何で姉が2人もいるのに、手伝ってくれないんだろうなぁ。姉ども、桜を見習え。

 ――そんなどたばたを経て、今日に至る。
 またいつもと同じ、よその家よりは早い朝。うっかり土蔵で寝過ごしてしまい、今日の朝食係は桜に取られてしまった。ちくしょう、夕食は負けないぞと心に誓いつつ、一度部屋に戻って着替えた。
 朝食を作らない者の役割も、この家では決まっている。何年たとうが相変わらずねぼすけな同居の姉上を叩き起こすため、俺は自宅の離れにある彼女の部屋の扉を勢いよく開けた。どうでもいいけど、2人暮らしの住居にしてはこの家は広いよな。母屋に離れに武道場に土蔵までついてくるんだから。親父の奴、何考えてこの家手に入れたんだろう。

「弓ねえ! いい加減に起きろ、朝飯できてるぞ!」
「……やかまし……もうしばし眠らせぬか、たわけ……」

 部屋はいろいろな雑貨で埋め尽くされていた。弓ねえはやたらめったら気に入ったモノをコレクションする癖があって、そのせいで部屋はかなり狭くなってしまっている。で、そのコレクションに埋もれるようにちまっと置かれたベッドの真ん中に、こんもりと丸く盛り上がった掛け布団。無論、内容物は先ほどの発言者こと弓ねえである。

 弓ねえ――衛宮弓美。戸籍上、唯一の俺の姉。
 ねぼすけでぐうたらで尊大なこの姉は、10年前に俺と同じく親父の養子になった孤児だった。
 ……いや、厳密に言うと違うか。
 弓ねえは、親父に拾われるまでの記憶が全く無い。だから、自分が孤児かどうか……そもそもどこの誰なのかも分からないんだった。
 親父が弓ねえを拾ったのは、俺と同じあの赤い世界の中だったそうだ。その時、弓ねえは既に記憶を失くしてぼうっとしていたのだという。魔術師ってのは冷酷な一面を持ってるべきなんだけど、さすがに親父はそんな女の子を放っておくほど人間が冷酷にはできていなかったってことだ。
 まぁ、そんな過去はとりあえず置いておこう。差し当たっては今日の朝飯だ……布団の上からぽんぽんと何度か叩き、弓ねえにとっては必殺技になるであろう台詞を掛ける。

「うるさい。もうすぐ藤ねえが来るぞ、弓ねえの分の飯なくなっちゃうけどいいのか?」
「〜〜〜……お、起きる……」

 うむ、こうかはばつぐんだ。もそもそと布団の中から起き上がった我が姉の顔が、ぼこっと目の前に出現した。何でセットもろくにしないのにその縦ロールがほとんど乱れないのか、と毎度ながら気になる。もう1つ、何で崩れないのかが気になるのは布団の中からでもその圧倒的な質量を誇示する、大きな胸。む、俺だって男だぞ?

「……ふむ。そなたが起こしに来たということは、今朝の食事は桜か?」

 こちらの少々不埒な考えは全く意に介さず、ふわぁ〜と大きく欠伸をしてから姉上はそうのたもうた。なかなか起きないが、一度ちゃんと起こしてしまえば意識がはっきり覚醒するのは早いので助かる。で、問いかけに対して俺はうん、と素直に頷いた。

「そういうこと。虎は頑張って抑えておくから、早く着替えて来いよ」
「うむ、承知した」

 俺の言葉を当たり前だと言わんばかりに、弓ねえは鷹揚に頷いた。この辺、第一印象の『暴君』ってのは間違ってなかったんだなーと遠い日を思い出してしまうが、それはそれ。
 やたら食べるペースの速い藤ねえに先に食事を始められてしまうと、下手すると弓ねえの分の食料が無くなってしまう。親父が存命の頃、それで弓ねえが真っ白なご飯だけを涙目になりながら黙々と、殺気を漲らせながら食べたことがあったっけ。あの後、道場から親父と虎ついでに俺の悲鳴がしばらく響き渡っていた……それ以来、必ず誰かが藤ねえの見張り番として食卓のそばにいるのが暗黙の了解になっている。駄目じゃん藤ねえ、少しは懲りろよ。

「……ああ、士郎」
「何? 弓ねえ」

 さすがに姉とはいえ女の子の着替えを邪魔する訳にはいかないので部屋を出ようとしたら、不意に名を呼ばれた、振り返った俺の視界に入ったのは、朝日に照らされて輝いてるような、姉の端正な顔。

「……おはよう」
「……うん。おはよう」

 普段の態度とは一転、照れくさそうに弓ねえが呟いた朝の挨拶に、俺は精一杯の笑顔で返した。
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