Fate/gold knight 1.きんのゆみ
 俺が居間に戻ってしばらくすると、薄いセーターとGパンに着替えた弓ねえがやってきた。俺の姉その2である藤ねえが、待ちかまえたようにぶんぶんと両腕を振る。

「弓美ちゃん、おはよー。遅いぞー、待ちくたびれちゃったぁ!」
「おはよう。黙れ大河、そなたはいつ如何なる時でも空腹であろうが」
「あ、弓美さん、おはようございます。ご飯はどれくらいですか?」
「うむ、桜も元気そうだな。……少し控えめに貰おう」

 俺と同じ学園に通っている桜は制服姿。弓ねえの茶碗にご飯をリクエスト通りに盛りつけ、さっさと定位置に座った彼女に手渡す。

「はい。じゃあ全員揃ったところで、いただきます」
『いただきまーす』

 なぜか食事の合図は俺が出す、と決まってしまっている。で、男1人に女が3人という他人から見れば羨ましがられるような朝食は始まった。……うん、真実を知らないっていうのは時に罪だよな。

『……では次に、昨日発生した一家殺人事件の続報をお伝えいたします。現場の……』

 と、不意につけっぱなしのテレビから流れてくるニュースの音声が俺の耳に飛び込んできた。気がつくと、俺以外も全員テレビに視線を向けている。そりゃまぁ、近所で起こった事件だからなぁ。
 ――一昨日の夜中から昨日の未明に掛けて、民家が何者かに襲われた。一家4人のうち、助かったのは幼い子供1人だけ。そして、武器は長物……例えば日本刀とか、その類だという。その続報を伝えるテレビ画面の中では、被害に遭った家族の写真や家庭用ビデオで録られたらしい映像が流され、近所の人たちへのインタビュー光景が映し出されていた。曰く仲の良い夫婦だった、子供は明るくて良い子だった、何故こうなったのか分からない、とお決まりの返答。

「んもー、物騒よねぇ。新都のガス漏れ事故もやたらと増えてるし」
「確かにな。物騒な世故、士郎も桜も道中には気を付けよ」
「あーちょっと弓美ちゃ〜ん。確かに士郎や桜ちゃんに注意を促すのには同意するけど、わたしはどうでもいいわけデスカ?」
「案ずるでない、大河。そなたを襲おうなどという物好きはおらぬよ」
「うぉー! 今の発言は傷ついたぞ、撤回を要求するー!」

 弓と藤、ふたりの姉貴が主に俺を見て……そのうちお互いの顔面がくっつくんじゃないかってくらい身を乗り出して睨み合いになった。あのなぁ、こういう場合普通は真っ先に、か弱い女の子である桜に注意するもんじゃないか? と思って桜を見ると、何故か彼女まで俺を見ている。なんでさ。

「……何で桜まで俺を見るわけ?」
「だ、だって先輩、昨日怪我してたじゃないですか。それに先輩は、誰かが困っていたら自分を省みずに助けに行く人ですから、その……」

 あとは口の中でごにょごにょと呟きながら、桜が顔を落とす。視線の先は、どうやら俺の左手に向けられているようだった。丁寧に巻かれた包帯の下には、火傷の痕だか何だか分からないミミズ腫れ。昨日の朝桜が見つけてくれた、俺自身も気づかなかった怪我だ。何しろ全く痛みがなかったからな……少しでも痛いと思ったら気がつくはずなんだけど。

「……うん、そうだな。怪我に気づかなかったってことは、俺も注意力が散漫になってるかもしれない。気を付けるよ」
「――はいっ!」

 けど、桜が俺のことを心配してたのだって分かったから、素直にそう答える。そうしたら彼女は、名前の通り桜の花のようなふわっとした笑顔になって大きく頷いてくれた。うん、俺にとって妹みたいな存在である桜が笑ってくれるのは、純粋に嬉しい。初めて会った頃は、ほとんど笑ってくれなかったから。

『うむ、よろしい!』

 ……こら、姉2人。あんたら、いつの間に和解した? それから藤ねえ、あんたの箸に挟まれている焼き魚は俺の分だ。返せ。

「えー、だって士郎が早く食べないのが悪いんだよぅ」
「やかましい。育ち盛りの弟から食料ぶんどる極悪非道虎!」
「虎って言うなー!」

 何で朝も早くからおかず争奪戦を繰り広げなくちゃならんのだ。吠える虎姉は放っておいて、俺は奪還せしめた焼き魚を胃袋に収めた。そのうち家事担当の怒りを示してやらないと、この姉は反省の色すら見えないんだから。

『続きましては、新都で多発しているガス漏れ事故についてです。昨晩、また被害者が出ました……』
「あれ? またですね」

 ニュースの内容が切り替わったのに、いち早く反応したのは桜だった。さっき、ちらっと藤ねえが口にしていた『新都のガス漏れ事故』。少し前から発生しているんだけど、だんだん範囲と被害状況がひどくなってきている。そもそも本当にガス漏れなのか、それすらはっきりしていないというもっぱらの噂だ。唯一の救いといえば被害者の状況か。最悪でも昏睡状態で、未だに死人は出ていないのだそうだ。

「みたいだな。警察もちゃんとやってるんだか……って藤ねえ、桜、そろそろ出ないと朝練遅刻じゃないか?」
「え? うわー、ほんとだー!」
「あ、い、いっけない!」

 朝のテレビは画面の隅に時刻表示が出ているから、時計代わりの意味でもつけてあるのだが。そこに表示された数字に目をやった弓道部の顧問教師及び期待の1年生部員は、慌てて残った朝食を掻き込んだ。うむ、ご飯を無駄にすることは生産者やお店の方々に大変失礼である。よきかなよきかな。

「ごちそーさまっ! それじゃいってきまーす!」
「では、行ってきます。藤村先生、急ぎましょう」
「はいはーい。間桐さーん、待って〜!」

 威勢良く居間から飛び出した藤ねえと、それを追う桜。どたどたばたばた、ぱたぱたぱたと2つの足音が居間から遠ざかっていく。それを見送るように視線をやった弓ねえは、ふぅと小さく溜息をついた。

「何で大河はああも成長せぬのであろうな。士郎よ、あれはきちんと教師をやれておるのか?」
「あ、それなりにちゃんとやってるぞ。何だかんだ言って生徒からの人気は高いし」
「ほう、なれば良いのだがな。出来の悪い姉を持つと、弟妹は誠に大変だ」
「……ははは」

 大まじめにそういう台詞を吐いてしまう弓ねえに、俺はうっかり同意することもできずに顔を引きつらせた。ほんとに弟は大変なんだぞ、わがまま傲慢な姉を2人も持って。……で、弓ねえ。何俺の顔見てるんだ、まだ何か心配なのか?

「で、士郎は今日は早いのであろう? 土曜であるしな」

 ……違った。弓ねえはさっきも言った通りコレクション癖があるんだけど、良い物を探しに行きたい時はいつも俺を同行させる。俺の使える数少ない魔術の1つ『構造解析』を、この姉は実に有効に活用しているのだ。少なくとも偽物を掴まされる心配はないからな。けど、今日は悪いが弓ねえの期待には添えなかった。

「ごめん。一成から備品の修繕いろいろ頼まれてるのが溜まっててさ」
「何だ、そうか。……無理せぬようにな」

 俺が断ると、弓ねえはあからさまに落胆の表情を見せた。ああ、日曜日でも穴埋めしなきゃ駄目かな。親父から『女の子は泣かせちゃ駄目だよ』と子守歌代わりにさんざん聞かされてきたから、姉上がしょげるだけでもちくりと胸が痛む。

「うん、ごめん。今度埋め合わせはするから」
「よいよい。そなたは自分のために時間を使うべきだったな。我のことは気にせずとも良い。姉は心が広いのだぞ」

 ほら、弓ねえはそう言うんだ。普段は結構わがままな癖に、時々すごく弟思いのお姉様になる。……やっぱ日曜日でも、買い物につき合うかな。蒔寺に捕まらなければ、何とかなるだろう。

「それより、士郎もそろそろ出た方が良いのではないか? そなたのことだ、朝から作業のつもりだったのだろう。まったく、勤勉たる労奴だな」

 どん、と俺の分の弁当を食卓の上に置いて、いつものえらそーな態度と胸で弓ねえはのたもうた。ああ、すぐに戻ってしまうのが難点だよなぁ。誰だ、お姉ちゃんに甘えられていいねぇとか抜かす奴は。うちの姉2人はどっちもそんなことさせてくれないやい、こんちくしょう。

「ははは、ばれてたか」
「その程度、普段からそなたをよく見ておれば分かる。……あまり遅くなるでないぞ」
「了解、気をつける。じゃあ行ってきまーす」

 ふん、とそっぽを向いて新聞を読み始めた弓ねえに声をかける。と、新聞の端からちらちらと振られる手の指先が見えた。何だかんだ言っても、ちゃんとこうやって挨拶してくれる家族がいるっていうのはいいよなぁ。俺は口の中でもう一度行ってきますを言って、鞄と弁当を鷲掴みにするとその場を離れた。
 さぁ、今日も1日頑張るとしますかね。
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