Fate/gold knight 2.あかいやり
弓道場の掃除を終えて外に出ると、すっかり真っ暗になっていた。冬は夜が長いけれど、さすがにもう2月なんだけどなぁ。これはついつい、いつもは見落としがちな隅々まで徹底的に磨き上げたせいなんだろうか。まぁ、綺麗になったからいいか。
「あちゃー……弓ねえに怒られるかな、こりゃ」
あまり遅くなるな、と俺をたしなめた姉貴の顔を思い浮かべて、背筋がぞっとした。今の状態で埋め合わせする、なんてことを言い出したら俺の財布の中身が半減どころの騒ぎじゃなくなる。銀行にいくらあったかなぁ、と頭の中でそろばんを弾きながら、帰宅のために校内を歩く。
今朝登校した時から気になっていたことがあるけれど、それの調査はまた後日にしよう。さすがにこれ以上遅くなったら、意外に寂しがり屋の姉上は赤い目に涙を溜めて俺を怒鳴りつけるだろうから。ついでにやたらと家の用事が増えるんだ……主にかんしゃく起こして大暴れした彼女の後始末が。
「――ん?」
ふと、金属音のような微かな音が俺の耳に届いた。あれは……運動場の方からか? こんな夜中に、俺みたいな物好き以外に誰が学校なんかにいるんだろう。
「……」
息を一つ飲んで、俺はその音がしている方角を校舎の影からそっと伺ってみる。金属同士が激しくぶつかり合う音が、運動場全体に響き渡っていた。そして。
――なんだ、あれは。
赤い外套を纏った男と青い軽装鎧を纏った男が、それぞれ黒白の双剣と真紅の長槍を振るい合っていた。さっきから鳴っていた音は、互いの得物がぶつかり合う音だったんだ。
俺は、しばらく動くことができなかった。
青い男の槍捌きは豪快にして的確、赤い男の急所を狙って穂先が繰り出される。2メートルほどの槍は引き戻される隙を見せないほどの速度で突きを放ち続けている。
そして、赤い男の双剣はその槍を完全に受け流しきる。視覚で追うのではなく、おそらくは勘と反射そして彼自身が持っているであろう戦闘経験の賜物。自動的に舞い踊る腕で振るわれる刃が、主を襲う攻撃を正面から受け止めるのではなく相手の力を利用して脇へと流し、無害化する。
……微かにずきずきと頭が痛むのは、2人の超人的な動きを目で追っているからだろうか。自分の脳が、2人の戦いを処理しきれなくて悲鳴を上げているんだろうか。
――超人的? 違う。
超人的っていうのは、人間に対して使う言葉だ。
あの2人は、人間じゃない。
俺と何か違う……人間を超越したようなその存在感を、俺は良く知っている。
『……サーヴァント?』
『そうだ。早い話が使い魔のようなもの、とでも覚えおけば良い』
間違いない。
あいつらは弓ねえと同じサーヴァントだ。
弓ねえと存在感が微妙に異なるように感じられるのは……多分、弓ねえと違って肉体を持ってないんだろう。今俺の目に見えている2人の姿は、あまりにも濃密なエーテル体が実体となっているからだ。
青い男の側には誰もいないけれど、赤い男の背後には……よく見えないが、誰か別の人物がいる。そいつが赤い男を使役する主、なんだろうな。つまり――俺の知らない、魔術師。
それに気づいた時、じゃりと足元の土が音を立てた。
「! 誰だ!」
しまった。青い男に気づかれたと思った瞬間、俺は踵を返して駆け出していた。背後には目もくれず、裏口から校舎の中に駆け込む。履き替える暇なんてあるわけもなく、土足のまま階段を駆け上った。無我夢中で、生き延びるために、無様な姿でただただ走り続けて――やがて、逃げる方向を間違っていることに気づいた。
「……って、駄目、じゃないか、俺っ……」
何でわざわざ、退路を断つようなことをするかなぁ。逃げるんなら外に出て、人目のある街中に行くべきだったんだ。狭い校舎の中、しかも深夜で人がいないから、俺の足音はやたらと響き渡って相手に自分の居場所を知らせる。おまけに相手は人間じゃなくて過去の英雄――これだけ俺が息を切らしながら全力疾走で逃げ回ったところで、結果は。
「よぅ。わりと遠くまで走ったな、オマエ」
ほら。
目の前に、奴が現れた。
あれだけ全速力で走ったって、サーヴァントの速力にはかなわない。
親父みたいになりたくて、弓ねえと藤ねえを守りたくて、頑張って修行したのに、かなわない。
「逃げられないってのは、オマエ自身が誰よりも分かってたんだろ? なに、やられる側ってのは得てしてそういうもんだ。別に恥じ入る事じゃない」
息をすることも忘れて、そいつを視界に収めたまま後ずさろうとする俺。
武器になりそうなものは……無い。駄目だ。もしあったとしても、あの槍の前にはまるで役に立たない。
あったとして、役立てるためには――強化の魔術。駄目だ。時間がかかるし、そもそも成功率は極端に低い。そんな余裕はどこにもない。
そんな俺の無様なサマを、追いかけてきた青い男は息を切らせることもなくじっと見て、それから当たり前のように言葉を吐いて。
「運がなかったな坊主。ま、見られたからには死んでくれや」
どこかへ何かを吐き捨てるように言って、手に持った赤い槍を無造作にどす、と俺の心臓に突き刺した。
「こ……ふっ」
口から一度だけ血を吐いて、俺は自分が倒れていくのを感じた。
ごめん、弓ねえ。帰れない。
だってほら、俺の心臓は槍の一差しで壊れてしまった。
いくら身体の他の部分が正常でも、肝心要の心臓がなくなってしまったら、ニンゲンは終わりだ。
――ああ、でもこんなものなのかもしれない。10年前に炎の中に消えるはずだった生命が、やっとここで消えるだけのことかもしれない。
あの時の赤い地獄とは逆に冷え冷えとした廊下。人形みたいに投げ出された身体の末端から、あっという間に体熱が消えていく。季節は冬、時刻は夜中。俺の身体が暖まる要素なんて、何もない。あの日と違ってひとりぼっちだから、誰もそばになんていない。
『早く呼び出さないと死んじゃうよ。お兄ちゃん』
不意に、一昨日の夜出会った小さな女の子の声が頭をよぎった。あの時は何を言っているんだろうと思って……今もよく分からないけれど。ああ、もう分からないままなのか。だって俺は、死んでしまうんだから。
熱と一緒に、感覚もどんどん失せていく。もう目は働いていない。耳は――まだ微かに働いている。心臓が壊れてしまったのに、何だか変な感じだな。
誰か……多分、あの青い男の足音が遠ざかっていく。それと入れ替わるように、反対方向から別の足音が走ってくる。多分……あの、赤い、おとこ――だな。ああ、あたまが、いたい――。
そうして、次に気がついた時には俺は一人だった。青い男も、赤い男も、赤い男のそばにいた誰かも、ここにはいない。
「…………え?」
冷え切った指先を、そっと動かしてみる。動いた。
床に手をついて、身体を持ち上げようとする。動いた。
上半身を起こして、床の上に座ろうとしてみる。動いた。
「……生き、てる」
ぼんやりしている頭で、自分の状態を確認してみる。ああ、まるで殺人現場の死体だ――いや、本当ならばそのはずだった。なのに、俺は生きていた。ちゃんと心臓は規則的に鼓動を打ち、全身には感覚が戻っている。身体のあちこちがずき、ずきと痛み、寒くて身体が小刻みに震えている。……その痛みと寒さが、俺に自分が生きていることを実感させた。
「何が――起こったんだ?」
胸元を見下ろす。そこには、破れた制服と胸元についた血の痕がくっきりと残っていた。そこから床に視線を移すと、どうやら俺が流したらしい血がべっとりと染みついている。
「……ほんとに、コロサレタのか……」
ふらりと立ち上がる。うまく物事を考えられないまま俺が向かったのは、すぐそばの教室。バケツと雑巾を引っ張り出してきて、半ば無意識のうちに血の痕を消しにかかっていた。
「……何やってんだ、俺」
何で、自分が殺された現場の後片付けをしてるんだろう。くそ、結構時間がたってるみたいだ。こびりついた血がなかなか落ちない。こうなるとムキになってしまうのは、もはや性分なのだろうと頭のどこかであきらめつつ続行。まさか、そのままほったらかしにして明日『学校内で死体無き殺人!?』なんてことにでもなったら、洒落じゃすまないし。明日……もしかしたらもう今日だけど、日曜日。けど部活動はあるはずだから、学校には結局人がくる。その目にこの現場を晒すわけにはいかない。
「何だ。俺、余裕あるなぁ」
見える範囲で血は拭き取った。落ちていたゴミやら何やらは、拾って制服のポケットにしまい込む。
これはいわば証拠隠滅。本来ならばしてはいけないこと……だけど、してしまったものは仕方がない。後は、素知らぬ顔をして帰宅すればいい。殺人現場ならともかく、『何もなかった』廊下でルミノール反応を調べる物好きはいない。そう、俺は生きているんだから、殺人なんて起きなかった。
「――いや、殺されたのは間違いないはずなんだけどな」
胸に手を当てる。普通にその役目を果たしている心臓は、確かにあの時赤い槍で貫かれた。だとしたら、その後親切な誰かが俺を見つけて、心臓を紡ぎ直してくれたことになる。そんなことを、間に合うようにしてくれるような人物なんて――
『……やめてよね。なんだって、アンタが』
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