Fate/gold knight 2.あかいやり
 ――いた。
 消えようとする意識の中に飛び込んできた、誰かの声。
 そいつは俺を見つけて、血にまみれた俺の身体にためらうことなく手を伸ばして。
 そうして、壊れた俺の心臓を修復してくれたんだ。
 それは誰か……多分、赤い男のそばにいた誰か。
 自分の見た事実を元にして推測するならば、答えはそれしかなかった。その誰かが、校内で倒れている俺を見つけ、わざわざ治療を施して俺を生き返らせてくれたんだ。向こうは俺が同じ側の人間だなんて知らないはずだから、魔術は秘匿すべきモノという原則を破ることになってまでそういう大技をかましてくれたんだ……お人好しな魔術師なんだな。

「……もっとお人好しに育てられたか。俺」

 親父の顔を思い出して苦笑する。親父も、赤い地獄の中から俺と弓ねえを救い出してくれたんだよな……俺は、また救われた。死すべき場面を、誰かのおかげで乗り越えてしまった。

「死んじゃいけない……ってことなのかな。うん、あの姉貴2人置いて死ねないな。飢え死にさせるわけにもいかないし」

 何とか血の跡を消し終わり、バケツを元に戻す。雑巾はもう使い物にならなくなっていたので、そのまま手に持って校舎の外へ出た。逃げ出す時に放り出した鞄を拾ってその中に雑巾をしまい込む……これも証拠隠滅の一環。
 心臓は治ったけれど、それまでに身体から流れ出た血液はまだ足りない。足元をふらつかせながら、俺はやっとのことで道路まで出てきた。と、その俺を照らすように明かりが一筋。何だ、眩しいじゃないか。誰だよ。

「士郎! そなた、このような時間まで何をやっておるか!」
「……弓ねえ?」

 驚いた。家で待っている……もう寝ているんじゃないかと思った姉上が、こんなところにいる。
 よく見たら、明かりの発生源は弓ねえのスクーターじゃないか。特注の金ぴか仕様だから、少しでも光がある街中では目立つこと目立つこと。
 外見が外国人なのに名前が日本名だとトラブルが多いとか何とかで、身分証明書代わりに彼女が取得した原付免許。それを活用して弓ねえは、スクーターを自分の足として使っている……んだけど、学校まで来てくれるのは珍しい。俺のこと、心配して迎えに来てくれたのかな。

「まったく、連絡もなしに帰宅せぬとはそなた、我や大河や桜に対して大変に失礼だとは思わぬのか! ここまで遅くなるのであれば電話の一つも入れよと常々口を酸っぱくして言うておるであろうが。ああこれだからそなたには携帯を持たせねばならぬと大河を説得すべき……む」

 で、愛用のスクーター・姉上命名アカツキからヘルメットを外しながら当人が降りてきた。今朝見たセーターの上にブルゾンを羽織っただけの姿で弓ねえはつかつかと俺の方に歩み寄ってきて――ぴたりと足を止めた。

「――――士郎」
「何? 弓ねえ」

 ああ、弓ねえの声が地を這うように低い。理由は分かってる、俺の胸の傷跡だ。そりゃまあ、義弟が胸元血まみれにしてたら驚くよなぁ。まるで誰かを殺したのか、それとも――殺されたのか。

「何だこれは? 何があったのか、姉に申してみよ」
「え……あ、えっと」

 足音もなく目の前まで接近してきた弓ねえが、俺の胸元に手を伸ばす。長めの前髪がその顔を隠してて、彼女がどんな表情をしているのか俺からは見えない。弓ねえは小柄で、身長が170ない俺よりもさらに頭1つ近く背が低い。だから、少し顔を伏せられると表情が見えなくて困る。だけど……俺の身体に触れた指先は、小刻みに震えていた。泣きそうなのか、それとも寒いのか。

「……ごめん。ここじゃあ冷えるし、家に帰ってから話す」

 意図的に、後者なのだと判断して俺はそう答えた。大体、土曜日の深夜――もう日付が変わってたら日曜日の未明に、学校の前で、血まみれの男が金髪の女の子を泣かせている。どう見たって職務質問の対象だ。つーか俺は被害者なのに、加害者扱いされかねない。

「……そうだな。夜半にこのような場所で佇んでおっては、不審人物扱いされるやもしれぬ。戻るぞ」

 俺の答えに納得してくれたらしく、弓ねえは俺に顔を見せないようにくるりと身を翻した。シートを上げて、やはりこちらを見ないまま予備のヘルメットをずいと突き出す。素直に受け取ってかぶり、先に乗っていた弓ねえの後ろに乗り込む。弓ねえお気に入りのブルゾンが汚れないように、身体同士の間に鞄を挟んだ。

「きちんと腰に手を回せ。でなくば振り落とす」
「あ、うん」

 金色の姉はやはりお怒りのようだった。普段に比べたら、だけど声が低くてドスが利いている。大体弓ねえの声は結構可愛い声なんだから、ドス聞かせてもいまいち迫力がないというか……やっぱり可愛いものは可愛い、のである。

「それじゃ、失礼しますっと」

 一声掛けて、弓ねえの腰を自分の腕でがっちりホールドする。戸籍上は姉弟だけれど、血の繋がっていない年上の女性の腰に手を回すのだから、ちゃんと断らないと。

「良い。では参る」

 弓ねえの一声と同時に、アカツキは勢い良く走り出した。……って、どう考えても2人乗りのスクーターがまともに出せる速度を超えてるじゃないか。姉、それからおそらく首謀者の藤村の爺さん! いつの間にどんな風に改造したのか、後で問いつめるからなー!


 そう言うわけで、歩くよりはずっと早く家に到着した。門の鍵を開けて中に入ると、何となくほうと溜息が漏れた。帰ってこられたことが、こんなにほっとするなんてな。あのまま冷たい廊下で最期を迎えるところだったんだから、仕方がないと言えばそうなのかもしれないけれど。

「我はアカツキを仕舞うてくる。先に上がり、茶を淹れておけ」

 落ち着いたのか、ヘルメットをしたままいつもの口調で命じてくる弓ねえに、ああと頷いて自分のヘルメットを渡す。玄関の鍵を開けて靴を脱ぐ時、ふと左手に視線がいった。きっちり巻かれた包帯には血がにじんでいて……あれ、これ外から着いた血じゃないぞ?

「何だ、打ち所でも悪かったかな。後で手当しないと」

 幸い痛みは無いから、大したことはないのだろうと思っておく。電気をつけないまま居間に入ると、俺の分の夕食が布巾を掛けた状態で置いてあった。桜が作っておいてくれたんだな。ごめん、もう少しでこの夕食を無駄にするところだった。
 ふと床に目をやる。一昨日だったか、藤ねえが家に持ち込んだポスターが丸めて筒状になったままほったらかしてある。確か初回限定鉄板仕様だったか? 誰だ、そんなしょうもない初回限定企画通した奴は。これじゃあ武器になってしまうだろうに。

「……武器、か」

 何の気なしに、ポスターを手に取った。さすがに鉄板仕様、鉄パイプなんかよりはずっと軽いけれど手に重みが掛かる。と同時に、不意にあの男の姿が脳裏に蘇った。

『ま、見られたからには死んでくれや』

 カラカラカラ!
 その言葉を思い出した瞬間、天井に付けられている鐘が屋敷内に鳴り響いた。
 この屋敷は、曲がりなりにも魔術師であった衛宮切嗣が己の在所とした屋敷。屋敷とその住人に対して悪意や敵意を持つ者が接近してくれば警報が鳴る結界が張り巡らされている。本当ならば防御結界を構築するのだろうけど、親父はそうはしなかった……そうしたら、屋敷が寂しがるとか何とか言ってたかなぁ。
 だから、鐘の音は俺か弓ねえに敵意、悪意、害意を持つ誰かが敷地内に侵入してきた、ということ。それはつまり……俺を一度殺した、赤い槍を持つ青い男だろう。

 そう、あいつは赤い男との戦いを俺に見られたから、俺を殺したんだ。つまり、俺が生きていることが分かれば――また、殺しに来る。
 1人ならいい。問題は、弓ねえが巻き込まれるってことだ。
 青い男も、赤い男も、そして弓ねえもサーヴァント。サーヴァントってのは、親父曰く大がかりな儀式のために英雄を呼び出し、使い魔に仕立てたもの。その儀式とやらが戦いなのだとしたら……弓ねえも戦いに巻き込まれることになる。そうでなくたって、もし弓ねえがあの青い男と鉢合わせでもしたら――俺は、そんなのは嫌だ。

「同調――開始」

 自分を『ニンゲン』から『魔術師』へと切り替える呪文。俺が使える数少ない魔術の1つ、強化……それを使って、手の中にあるせいぜい長さ60センチ程度のポスターを武器へと仕立て上げる。

「構成材質、解明」

 ポスターに、俺の魔力をゆっくりと流し込んでいく。解析で見つけた隙間を埋めるように、俺の血で補強するようにゆっくり、ゆっくりと。

「構成材質、補強」

 やがて、全てに魔力が行き渡る。こんと音がしたのは、末端にまでそれが達した知らせ。これ以上注ぎ込んだら、魔力があふれ出てしまう。その前にラインを切断、流し込むことをやめる。

「――全工程完了」

 できた。
 即席の剣。
 軽く振るってみる。うん、重量はそのままで、強度は鉄並みまで引き上げられている。急造したにしては良い出来だ。

「っていうか、強化が成功したのって久しぶりだよな」

 自慢じゃないが、親父が死んだ5年前以降まともに強化が成功した試しは無かったりする。元々小数点以下の成功率しか無かったので仕方がない。だけど、こういう絶体絶命の状況で成功するなんて、俺は本番に強いタイプだったのかな。
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