Fate/gold knight 2.あかいやり
「……そういや、弓ねえ遅いな」

 スクーターを仕舞いに行っているにしては遅すぎる……まさかと思った瞬間、反射的に俺は身を前に投げ出した。ほんの一瞬でも反応が遅れていれば、俺の胴体は振り下ろされた槍の穂先に貫かれていただろう。

「……」

 とん、と意外なほど軽い着地音。対してこちらは情けなくごろごろ、と床を転がる。それを重心を移動させることで何とか留め、ポスターを剣として構えながら立ち上がった。視線の先には、テーブルを蹴って床に降り立った青い男の姿がある。ほんの少し前に俺を殺した赤い槍を構えて。

「余計な手間取らせやがって。さっきみたいに見えてたら痛いだろうと、気を遣ったつもりだったんだがな」

 ――あれ? 何でこいつ、やる気がなさそうなんだ?
 『英雄』だから、こんな小者の始末なんてつまらないとでも言うんだろうか。うん、確かに小者なのは認めるさ。だけど、それなら……何とか、奴を出し抜けるかもしれない。

「まったく、何で同じ人間を1日のうちに2回も殺す羽目になるんだか。どれだけ経とうと、人の世は生臭いってことかねぇ」

 まったくやる気なさげに、だるそうな顔をしてぶつぶつと悪態をつく青い男。こっちのことを気にしていない風なのをいいことに、俺はじりじりと後退していく。窓までは……距離3メートル、たどり着ければそこから庭へ出られる。さらに、もしかしたら武器になるようなものがあるかも知れない土蔵までは、庭を横切って20メートル弱といったところ。それなら、今すぐスタートしても……

「……じゃあな。今度こそ迷うなよ、坊主」

 ひゅ、ギィン!

「――っ!」

 予備動作なんて目にも止まらなかった。無造作に突き出された槍を、たまたま構えていたポスターの剣が何とか受け止めてくれなければ、俺はまた死んでいた。ポスターを紙だとしか思わずに奴が突き出した槍は弾かれ、俺の右腕を僅かに傷つけただけだ。……痛いけど、このくらいは我慢しなくては。

「ほう? 何だ。変わった芸風だな、おい」

 が、それは事態の悪化を呼び寄せてしまったかもしれない。普通の紙の筒にしか見えないポスターが自分の槍を受け止めた意味くらい、コイツは即座に理解したようだから。その証拠に……奴の顔から表情が消えている。赤い、弓ねえとは違う獣のような両眼が、俺を『対象』と判断して見据えている。

「ただの坊主じゃなかったってことか……確かに、微弱だが魔力を感じるな。心臓ブッ刺されても生きてたってのは、そういうことかよ」

 獲物を定めた狩人が、槍の穂先を俺に向ける。元々相手はサーヴァント、俺が真っ正面から戦闘を挑んだって敵うわけがなかったんだ。俺は……奴がやる気を出さないうちに窓から飛び出して、土蔵で態勢を立て直すべきだったんだ。

「いいぜ。ちぃとは楽しめそうだな」

 にぃ、と獣の笑みを浮かべた瞬間――奴は槍を突き出すのではなく、大きく横薙ぎに振るった。横っ面目がけて唸った槍を、とっさに構え直したポスターで受け止める。う、少し凹んだ。

「ぐ――っ!」
「おぉ、良い反応だな。そら、次行くぞ!」

 ブン、と槍が風切り音を立てて振るわれた。今度は逆回転、見事なフルスイングで俺の胴体を狙ってくるところをぎりぎり、ポスターの剣で防御。槍の癖にクラブかハンマーみたいな打撃力だな。既に急造の、それでも鉄並みの強度に仕上げた剣はぐにゃ、と折れ曲がる。腕はびりびり痺れて、まともに動かせるかどうかちと怪しい。

「う……このっ!」
「お?」

 勢いに任せて引き戻されない槍を、下からポスターの剣で跳ね上げようと試みる。あ、駄目だ。こっちの腕が余計に痺れただけだ。

「ちぇ、つまんねぇの。やっぱ、普通は魔術師に肉弾戦なんて期待できんわな」

 ぎろりと、獣の瞳で睨み付けられる。あいにく、そういう獰猛な瞳はたまに弓ねえが見せてくれるから慣れている、怯みはしない。もっとも、女の睨み付けは男のそれとは迫力の種類が違うけど。
 ……って、そうだ。弓ねえ!

「おい、お前。うちの姉貴はどうした」

 聞いても無駄かな、と思いながら口に出す。と、一瞬だけど相手の表情が変化した。……あーそーかい、赤毛ではあるけど典型的日本人な俺の姉が、ちっちゃいけどどっからどう見ても外国人な弓ねえだとは思えなかったみたいだな。つーか、つまりこいつは弓ねえの外見を知っている、ということになる。

「………………あー、あの金髪のねーちゃんか。お前の姉貴だったのか?」
「まぁ初見で姉弟だとは、誰も思わないだろうな。で、どうした」

 折れ曲がったポスターを慎重に構え直す。窓までは1メートルか、飛べば届かない距離じゃない。後は、奴の隙を突くだけだ。

「ん、さすがに女を殺すのは気が引けたからな。背後から殴って気絶させといた」

 ――そっか。良かった。弓ねえは無事なんだ、それを聞けて安心した。それと――

「ありがとう」
「……おいこら、何でそこで礼が出てくるんだよ。オレはお前を殺しに来てるんだぜ?」

 何でだろう。俺は姉貴を殺さないでくれてありがとう、って言っただけなのに。何でお前は、そんな変な顔をするんだ? 俺の考え方、何かおかしいのかなぁ。

「でも、弓ねえを殺さないでくれたから」
「あー、そういうことね。けど、オマエは殺すぜ」

 うんうんと頷いてから、奴は長い槍を構え直す。隙あり!

「やだね!」

 吐き捨てると同時に、背後を確認しないまま背中から窓に飛び込む。そのままガラスをぶち破り、手にはしっかりポスターを握ったまま庭へと転がり落ちた。ごろごろと無様に転がった身体は数度の回転の後に何とか止まり、無理矢理に重心を動かして俺は膝立ちの体勢になる。

「はあっ!」
「ぬっ!」

 頭で考えることなしに身体を捻り、背後へと剣の一撃を入れた。強化されたポスターは見事に奴の槍を受け止め、払いのける。そう来ると思った……オマエが俺を追って飛び出してくる、って思ったから何も考えず、こう動くという『予約』を身体に入れておいたからな。不安はタイミングを外されることだったけど……ばっちり狙ったところにはまったみたいだ。奴がバランスを崩すのは、はっきりと見えた。

「はっ……!」

 即座に体勢を立て直し、くるりと振り返って土蔵を視野に入れる。あそこまでたどり着ければ、きっと何か武器がある、はずだ。

「――飛べ」

 その一瞬、俺の方に隙が出来てしまっていた。槍を弾き飛ばされて怯むかと思いきや、奴はその反動を利用してくるりと身体を回転させる。そしてその勢いにさらに加速を付け、しなるような回し蹴りを俺の胴に叩き込んだ。衝撃が脳に届く前に、俺の身体は宙に浮く。

「え……」
「このぉっ!」

 受け身なんて取れない。景色が後ろから前に流れていくのを俺は他人事みたいに眺め……背中に当たる柔らかい感触と、次の瞬間襲ってきた衝撃に激しく咳き込んでしまった。まずいな、これじゃ追い打ちを……あれ? 今、聞こえたのは……。

「士郎、無事か!?」
「あつつ――弓ねえ?」

 土蔵の壁にもたれ掛かる形に倒れた俺の背後。小柄な身体で俺を受け止めてクッション代わりになってくれたのは、さっき奴が気絶させたと言っていたはずの弓ねえだった。後ろにいるから顔は見えないけれど、一瞬視界に入ってきた金の髪と俺を呼んだ声がそれを証明している。つーかえーと、俺が座ってる何か柔らかい物はもしかしなくても姉上の脚だったりしますか?

「この大たわけ! 我が膝の上からとっとと退かぬか、無礼者!」
「あ、ご、ごめん!」

 ブレイモノって言われても、仕方ないじゃないか……と反撃する気も失せるような超音波声できーきーと怒鳴られて、慌てて身体をずらす。と、俺を追ってきた青い男の姿が視界の端をかすめた。げんなりした顔で、それでも油断無く槍を構えたそいつは、土蔵にもたれ掛かる形で座っている弓ねえを真っ正面から見つめる。

「あーあ。何だ、起きちまったのかよ。女殺すのは趣味じゃねーからって寝かしつけといたのになぁ」
「黙れ、不法侵入者が。貴様か、背後から我を殴りつけたのは」

 何やら、弓ねえの台詞に怒りがこもっているような気がしてその顔を見る。確かに怒ってる顔なんだけど……何で鼻の頭が赤いのさ、姉。

「貴様のせいで、地面で鼻をすりむいてしもうたわ! 女の顔に傷を付けた責任、どう取るつもりだ!」
「いや、そりゃオレのせいじゃねーだろ!」
「何を言うか! 背後から殴ったのだから、顔面を下にして倒れるのは当然であろうが! 後頭部にも瘤が出来ておる、それもこれも貴様のせいだっ!」

 きーとかんしゃく起こして怒鳴り立てる弓ねえの剣幕に、たじたじになる青い男。何というか……これもまたサーヴァント同士の対決かと思うと、涙が出てくるような気がする。って、それどころじゃないんだけどな。

「あーもう、うるせぇ! 趣味じゃねぇけど事情が事情だ、お嬢ちゃんにも死んで貰うぞ!」

 さすがに逆ギレしたらしい。ひゅ、と音がして、赤い槍がまるで弓で射られた矢のように打ち出される。が、穂先が抉ったのは弓ねえではなく、土蔵の壁だった。金色の髪が数本切れて散らばっただけで、既に狙われた本人はその場にはいない。俺も僅かに遅れ、立ち上がるのももどかしく地面を蹴った。

「たわけが、誰に向かってモノを言っているか!」
「たあっ!」

 小柄な体格を生かし、弓ねえは青い男の足元にスライディング、向こうずねに自分の足の裏を叩き付ける。愛用のトレッキングシューズだから、身の軽い弓ねえの蹴りでも十分衝撃は入るだろう。

「っ!」

 思った通り一瞬怯んだ奴の顎を、俺がポスターの剣で殴りつけた。よし、良い感触だ。いくら相手がサーヴァントだからって、さすがに少しはダメージが入っただろう。
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