Fate/gold knight 2.あかいやり
「こんにゃろ、やってくれんじゃねぇか!」

 ひゅ、ひゅん!

「きゃ……っ!」
「――っ!」

 風を切る音。遅れて俺の腕に痛みが走った。目の前まで飛び下がってきた弓ねえが、左の腕を押さえている。ブルゾンとその下に着ているセーターが破れて、血が流れ出している。……斬られたのか。それじゃあ、俺の腕の痛みも。

「ハ、甘いな! そりゃっ!」

 続けざまに槍が突き出されてくる。反撃なんて隙の欠片もない……俺は穂先を避けるだけで精一杯。だが、それが幸いした。がつんとぶつかる音に続いてぎぃいという、聞き慣れた音がする。俺たちの背後にある土蔵、その扉を奴の槍が叩いて開けたのだ。結構重い扉なんだけどな……つまりは、それだけ奴の突きが鋭く、力が入っているということ。

「士郎っ!」
「え? ……わわっ!」

 扉の方を振り向いたと同時に、ぐいとシャツの襟を掴まれた。姉上かなと思う間もなくそのまま力一杯土蔵の中に放り込まれ、直後弓ねえも転がり込んでくる。土蔵の床に広げられたブルーシートの上で何とか滑走は止まり、起き上がって扉の方に向き直った俺の目の前には、緩い縦ロールの金髪が広がっていた。ふわりと揺れるその髪の向こうから、端正な顔が俺を伺う。

「つ……士郎、無事か?」
「弓ねえこそ。腕、切られてるじゃないか」
「たわけ。そなたは自分を第一に考えよ」

 姉貴の怪我を気にするのは弟として当たり前なのに、なぜか怒られた。もっとも俺も弓ねえも負傷具合は似たようなもの……左腕を斬られていて、そこから血がじわじわと服に染みこんでいっているのが分かる。その余波でか、左手に巻いてあった包帯も解けかけている。それに対し、あの青い男は全くの無傷といっていいだろう。
 いくら姉貴がサーヴァントでも、この状況は拙い。向こうは無傷プラス槍持ち、かつやる気満々。こっちは手負いが2人で武器は俺の手にあるポスターを強化した剣だけ、弓ねえはそもそも武器を持ってない。せめて俺が治癒の魔術でも使えればいいんだけど、それは全くもって無理。親父も俺の魔術の特異性には頭を抱えていたからなぁ。もっとも、向こうには弓ねえがサーヴァントだってことはばれてないみたいだけど。

「! 弓ねえ、伏せろ!」
「っ!」

 風の鳴る音がした、と思った瞬間俺は叫んだ。素早く反応して上半身を屈める姉の背後から立ち上がり、手に丸めて持っていたポスターを思い切り広げる。それと同時にごん、という鈍い音。

「ぬ……っ!」

 青い男が必殺を期して繰り出した槍の先端が、強化されたポスターに食い止められている。いや、自分でもポスターシールド展開なんて出来るとは思わなかったけどな……けれど、さすがに鉄の強度まで高めたとはいえ所詮は紙。薄い盾は鋭い切っ先に切り裂かれ、ただの紙に戻っていく。

「あ、ぐっ――!」

 そして、薄い紙では奴の突きの衝撃を殺すことは出来なかった。俺は弾き飛ばされ、ブルーシートを身体に引っかけながら床を滑る。どん、と背中にぶつかったのは……いや、背中がぶつかったのは、土蔵の内壁だ。うぁ、一瞬意識が飛んだ。

「士郎!? くっ!」
「この……おい嬢ちゃん、邪魔だ。どけ」
「――え?」

 男の低い声が、どこかいらだっているように響く。くらくらする頭を何度か振るい視線を上げた俺の目の前に、弓ねえの小さな背中があった。俺を青い男から守ろうとして、血が流れ続けている左の腕を押さえることもなく、姉貴はまっすぐ奴を見つめている。

「貴様ごときが、我を退かせることが出来ると思うてか? どうしても通りたくば、まずはこの胸を突いてみよ」
「……ちっ」

 弓ねえの向こうに見える男の顔が、苦々しげに歪んでいる。……やりにくいんだろうな、丸腰の女の胸を突く、なんてのは。だけど、どっちみちあいつの目的は俺、そして弓ねえを殺すことだ。だったら、いずれ奴は弓ねえの胸を槍で突き通すだろう。そんなことになったら、俺は――

「弓ねえ! いいから逃げろ!」
「そなたは黙って生きる手段を模索せよ。士郎、我はそなたの姉だ。弟を守るは姉の役目ぞ……故に我はここを動かぬ」

 ――守る、って誓ったのは俺だ。
 親父にわがままを言って、魔術師の修行を始めたのは守りたかったからだ。
 ほとんど毎日と言っていいほど通ってくる藤ねえと、一つ屋根の下に住んでいる弓ねえを。
 俺の、大事な家族を守りたかったからだ。
 だったら、俺に出来ることをしなくちゃならない。

 だけど、俺に、何が出来る?

「……麗しい姉弟愛、と言ったところか。けどまぁ、順序はどうあれ両方とも殺すことになるんだからな……悪いな嬢ちゃん、弟もすぐに送るからよ」

 けっ、とつばを吐くような仕草をして、男は赤い槍を構え直した。その切っ先はここからじゃ見えないけれど、間違いなく弓ねえの心臓に狙いを定めている。絶体絶命の窮地において、それでも金色の姉は堂々と、誇り高く立っていた。小柄な身体が、いつもよりずっと大きく、力強く見える。誰かを守ろうとする姿は、いつもああやって見えるものなのだろうか。

「出来るものならばやってみるが良い。我が逝く時は、貴様も道連れにしてみせようぞ」
「良く言った。ならば、死ね」

 冷たく言い放った男の手が動く。ほんの数秒、それだけで衛宮弓美は心臓を貫かれ、死に至る。

 身体に埋まっていく金属の、あの感触。
 喉にせり上がってくる血の、鉄臭さ。
 全身から消えていく、感覚と熱。
 ほんの少し前に俺が感じたあれを、弓ねえに味あわせるっていうのか?
 そして、ほんの僅かな差で自分ももう一度それを味わうっていうのか?

 冗談じゃない。
 十年前、赤い世界から助けて貰ったんだ。
 ついさっき、冷たい世界から助けて貰ったんだ。
 せっかく助けて貰ったのに、ここで死んじゃあ何にもならない。

 何してる、衛宮士郎。
 お前は、お前に出来ることをやるのだろう?

 俺に出来ること。
 おれにできること。
 オレニデキルコト。

 そんなの、ひとつしかない。
 攻撃を、止めさせるだけだ。

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 腹の底から、喉の奥から振り絞った叫びに、ナニカが反応した。
 身体の中から何かが集まり、それが左手を通して外へと抜けていく。それは土蔵の床へと広がり、そして――一瞬にして夜が昼になったかのように、室内が明るく輝いた。

「!?」
「なにっ!?」

 弓ねえも、青い男も、突然放たれた光に驚いてこちらに視線を集中させている。その中で、俺は呆然と足元を見つめていた。
 無意識に床に叩き付けた左手が痛む。血のにじむ包帯が解けた中から見えたその甲には、いつの間にかミミズ腫れの代わりに奇妙な紋様が浮かび上がっていた。
 俺の血が流れ落ちた床には光のラインが走り、それは精密な魔法陣を正確に描き出していく。やがて完成したそれは、中心部から白い光を浮かび上がらせた。最初は光の珠だったそれは、すぐに人型へと形を変えていく。女の子の姿になったそれ……『彼女』はとん、と光る床を蹴り、俺と弓ねえの脇をするりとすり抜けて青い男へと肉薄した。

「げっ、まじかよ!?」

 男が反応したのが早かったのか、少女が何かを振るったのが早かったのか。がっ、ぎいん、という重い金属音と共に、青い男と少女は一度、二度と火花を散らした。

「く、7人目のサーヴァントだと……!」

 サーヴァント。
 青い男は、今出現した彼女のことをそう言ったのか。だとしたら、彼女は俺が呼び出したことになるのか……状況はよく分からないけれど、彼女の出現でどうやら形勢が逆転したらしい。青い男は床を蹴り、土蔵の外へと飛び出していく。そいつを威嚇するように一度にらみを効かせた後、少女はこちらを振り返った。床の光は少女に蹴られたと同時に収束し、土蔵の中はごく当たり前の静けさを取り戻していた。外から差し込む月の光が、少女を照らし出している。

「――」

 淡い金の髪は、動くのに邪魔にならないよう後頭部でまとめられている。青いドレスの上に銀色の甲冑をまとった彼女は、弓ねえとは対照的な印象を俺に刻み込んだ。
 弓ねえが豪奢なら、彼女は清楚。
 弓ねえが太陽なら、彼女は月。
 弓ねえが炎なら、彼女は湖。
 だけど、2人は共にその存在感を、俺に示してくる。わたしはここにいる、と。それは、『サーヴァント』であるにしてはあまりにも強烈だった。

『早く呼び出さないと死んじゃうよ。お兄ちゃん』

 白い少女のあの言葉は、これを予見してのことだったのか。彼女がここにこうやって出現することは、あらかじめ決められていたことだったのだろうか。……ああ、今はどうでもいいや、そんなこと。

「――問おう。貴方がわたしのマスターか」

 少女は俺を真正面から見据え、そう問うた。宝石――エメラルドみたいな瞳には感情がまるで伺えず、ピジョンブラッドの瞳に溢れる感情を詰め込んだ弓ねえとこれまた対照的だった。

「――サーヴァント・セイバー、召喚に従い参上した……む?」

 サーヴァント・セイバー。そう名乗った彼女の視線が、俺からずれる。その視線に捉えられたのは、現状を把握出来ずにぽかんと突っ立ったままの弓ねえ……何で、セイバーと言うらしい彼女は、弓ねえを見た瞬間露骨に顔を歪めたんだろう? 弓ねえのこと、何か知ってるのだろうか?

「……アーチャー? 何故貴様が、わたしのマスターと共にいるのだ?」
「……アー……チャー……?」

 呆然と、自分を指し示すらしい単語を、弓ねえはぽつりと呟く。その目の前で、セイバーはかちゃり、と目に見えない何かを構えた。
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