Fate/gold knight 4.くろいきょじん
目の前に静かに佇む教会。夜更けに訪れたそこは、おそらく昼間に感じるであろう雰囲気とは全く違う、異質な気を漂わせていた。何というか……ここは実は教会などではなく、悪魔の住む伏魔殿だというような。遠坂に言わせてみればそのまんま、らしいのだが。
「衛宮くん。嘘をつけとは言わないけれど、できれば弓美さんのことは口にしない方がいいわ」
教会に入る直前、遠坂はそっと俺にそう耳打ちしてきた。俺が「なんでさ?」と尋ねたら、呆れ顔で軽く頭をこづかれた。
「ここの神父ね、結構悪どい奴だから。あんな奴に余計な知識渡すことなんてないのよ……それに、受肉したサーヴァントの存在なんて聖堂教会にも魔術協会にも知られて得なことないもの。大事なお姉さんなんでしょ?」
遠坂にそう言われて、なるほどと頷いた。確かに弓ねえのことを他人に知られていい気はしないし、よもや姉の身を危機に晒すようなことにもしたくない。だから、俺はあまり口を開かないことにした。下手にしゃべったら、うっかり話してしまいそうだから。
「ありがとうな、遠坂」
そして、そのことを気づかせてくれた遠坂に礼を言う。そうしたら、なぜか彼女は一瞬きょとんと目を見張った。俺、何か変なこと言ったかな?
「何がよ?」
「だって、弓ねえのこと心配してくれたからだろ。俺に忠告してくれたのは」
「……ふんだ。わたしが、アイツには余計な事情を知られたくないだけよ」
俺の答えに、遠坂はそっぽを向きながら不機嫌そうにそう言った。それから、教会の扉を開けながら「綺礼、いる?」と不機嫌さ全開で神父の名を呼ばわった。
その時初めて、俺は聖杯戦争の監督役だという神父と顔を合わせた。言峰綺礼という名のそいつは、遠坂の魔術の兄弟子にして後見人なのだという。
背の高い、がっしりした身体の、視線にも態度にも威圧感を漂わせている神父。彼は高みから俺を見下ろすようにじっと見て、唇の端を軽く歪めた。もしかして笑ったのか、こいつ。
「私はこの教会を任されている言峰綺礼という者だ。君の名は何という、7人目のマスターよ」
「衛宮士郎だ」
威圧感に押し潰されないように、腹に力を入れて奴を睨み返す。自分の名を名乗ると、一瞬だけはっと奴が目を見開いたような気がした。――何だろう。やっと会えたと、喜ばしいモノが来たと、まるで肉食獣が舌なめずりをしているようにも思えた、今の感覚は。
「衛宮士郎、か。ふむ、君には感謝せねばならぬな。君がいなければ、凛は金輪際ここには訪れなかったであろう」
「うるさいわね、綺礼。それより、そいつは聖杯戦争についてろくな知識がないから、1からしつけてやってよ。得意でしょアンタ、そういうの」
祭壇の前に立ち、座席と座席の間に立っている俺と遠坂を見つめている言峰。不機嫌そうな表情を隠そうともせず、ふて腐れたままで兄弟子と会話を交わす遠坂。
――俺は、2人が放つ威圧的な空気に飲み込まれないように、気を張って立っているのが精一杯だった。
言峰綺礼。
一見して、確かにこいつには余計な情報どころか必要な情報でも知られたくないという気がした。そこから隠した傷を暴かれて、せっかくくっついた傷跡を切り開かれて、内臓をぐちゃぐちゃと掻き回されそうな――
「どうした? 衛宮士郎」
当の言峰の声に、意識を引き戻された。いかんいかん、何でこいつの前に失態を晒さにゃいかんのだ。
「いや、何でもない」
「ふむ、そうか」
俺が頭を振ると、言峰はあまり興味なさそうに頷いて遠坂へと視線を向ける。この2人、魔術の兄弟弟子で旧家の当主と後見人、という間柄らしい。この2人から、俺は聖杯戦争について全て……とは言わないだろうけど、詳細を教わった。
大枠は遠坂に聞いたとおり。7人のマスターと7人のサーヴァントが7組のパートナー関係となり、他の6組を排除する魔術戦争。最後まで勝ち残った1組には聖杯が与えられ、その力を以て願いを叶えることができる。
で、サーヴァントとは英霊……過去の英雄を7組のクラスに当てはめ、聖杯の力により降霊した存在。そうでなければ顕現させることすら叶わない存在を現界させ、冬木市を舞台に戦争は行われる。
この聖杯戦争の第1回は200年ほど前。前回……第4回は10年前に行われ、言峰はマスターの1人として参加した。けれど奴は早期に脱落し、他のマスターが聖杯を手にした……のかどうかは分からない。しかし、その最終的な結果は――俺と弓ねえが切嗣の子となるきっかけになった、あの大火災。
「それで、衛宮士郎」
彼女といくらかのやり取りを交わしてから、神父は俺に視線を戻した。ふむ、と人を吟味するようにじろじろと不躾な視線を投げかけてくるこいつを、俺はやはりどうしても好きになれそうにもない。遠坂の顔をちらりと伺ってみると、できればこんな奴の顔なんて見たくなかった、という表情。なるほど、相性が悪いのは俺だけじゃなさそうだ。
「君はどうする。それを聞きたい」
「え?」
唐突に問いかけられて、俺は答えに戸惑った。……遠坂、そうあからさまに大きく溜息つかないでくれるかなぁ?
「今、この場でならば君は令呪の放棄……つまり、聖杯戦争への不参加を表明できる。そしてこの教会は、令呪を失いマスターでなくなった魔術師を保護する場所でもある」
「そういうことよ。衛宮くんが聖杯戦争に加わらないつもりなら、ここで令呪を使い切ってしまいなさい。セイバーは次のマスターを捜すだろうし、あなたはここで戦争が終わるまで綺礼が保護してくれる」
言峰、そして遠坂は、遠回しに俺に降りろと言ってきている。俺はたまたま巻き込まれた未熟な魔術師――いや、魔術師見習いだから、このまま戦ってもすぐ死ぬだけだと。
「――」
だけど、確かに巻き込まれたかもしれないけれど、セイバーをこの世界に喚び出したのは状況から言って間違いなく俺だ。その俺が、危ないからといって他人にセイバーを引き渡してはい、後はよろしく、なんて無責任なことはしたくない。
10年前みたいに、戦争の結末が大惨事になってしまうかもしれない。せめて参加者のままでいれば、そうなる前に何か手だてを講じることができるかもしれない。
それに、俺には弓ねえがいる。10年前の聖杯戦争で召喚されたサーヴァント・アーチャー――衛宮弓美。戦争を戦い抜いた末に記憶を失った、俺の姉。彼女の記憶に繋がる何かも、今回の戦争の中で見つかるかもしれない。
「さて、どうする? 衛宮士郎よ。聖杯戦争に参加するか否かの意思をここで決めよ」
言峰の感情のない視線が、俺をまっすぐに見下ろしてくる。俺はそれを真正面から見返した。……こういう時、もう少し身長が欲しいなぁと思う。まぁそんなことは置いておいて、俺の意思はもう固まっていた。
「俺は逃げない」
はっきりとそう言う。その瞬間言峰は愉悦の、遠坂は落胆の表情をそれぞれ見せた。それに気を取られないように俺は言峰の顔だけを見て、言葉を続ける。
「正直、聖杯戦争なんてもんに巻き込まれた実感なんてのは、今でも持っちゃいない。だけど……10年前の火事の原因が聖杯戦争だっていうのなら、あの光景を二度と繰り返させるわけにはいかない」
二度と、俺みたいな子供を出さないように。
二度と、姉みたいな被害者を出さないように。
俺はそう心に決めて、きちんと意思を表示した。一度深呼吸をして、もう一度言峰を……今度は睨み付けた。こいつ、俺の台詞が気に入ったのか満足そうに笑ってやがる。
「承知した。衛宮士郎、君をサーヴァント・セイバーのマスターと認めよう」
両手を広げ、重々しく宣言する神父。俺を心底楽しそうに見下ろし、言峰は朗々と言葉を続ける。
「この瞬間、今回の聖杯戦争は受理された。これより、マスターが残り1人になるまで冬木市内での魔術戦を許可する。各々は自身の誇りに従い、存分に競い合うがいい」
戦争の開会宣言……なんて妙なものに立ち会っている。ここにいるのは俺と遠坂、宣言者たる言峰だけ。この宣言に意味はないんだろう……ただ、戦争が始まるということをこの男は口にしただけなんだから。それに――もう始まってしまっているのだから。
「決まりね。それじゃ、わたしも帰るわ。以降、聖杯戦争が終わるまではリタイヤ以外の理由でここに来たら減点だったっけ?」
今まで息を詰めていたのか、はあと大きな溜息を吐き出した遠坂が相変わらず不機嫌そうに口を挟んできた。言峰はちらりと妹弟子を見やると、うむと大儀そうに頷く。うわぁ、何で悪の組織のボス、なんて妙に当てはまりそうな形容が思い浮かぶんだろう。
「その通りだ。よもやお前が、ここに保護を求めに来るとは考えづらいがな」
「当然でしょ、わたしが勝つんだから。さ、衛宮くん、これで用件は終わりよ。帰りましょう」
よほど遠坂は、この神父と会話を交わしたくないらしい。さっさと話を切り上げると奴に背を向け、俺の腕を取って礼拝堂を出ようとする。まぁ、それには俺も同感なので、軽く目礼をした後入口に向かおうとした。外でまだ怯えているかもしれない弓ねえを、早く安心させてやらなくちゃ。
――不意に、背後に気配を感じて振り向いた。そこには言峰が、いつの間にか俺のすぐ側まで接近していた。コノヤロウ、気配消して近寄ってきたな?
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