Fate/gold knight 7.あおいよる
 帰宅して買った洋服をしまうと、すっかり日が傾いていた。セイバーはいくつか買ってもらった服を、弓ねえのタンスにしまってもらうことにして一緒に彼女の部屋へと引っ込む。

「こんにちはー、じゃなくてただいまー」

 帰りに買って来た食材を取り分けて夕食を作っている最中に、遠坂が荷物を大量に持ったアーチャーと一緒にやってきた。まるで自宅のように当たり前に玄関を開けて上がり込み、台所で料理している俺に向かって大声で呼びかけてくる。

「しろーう! 奥の離れが空いてるって言ってたわよねー?」
「おー、ほとんど空いてるぞ。ただ、一番手前の部屋は弓ねえの部屋だからそこ以外な」

 いやもう、覚悟を決めるしか無かった。どうせ元々うちには弓ねえがいるし、藤ねえもよく泊まりに来るしであまり問題はないんじゃないかなーと思ったわけだけど。
 ――って。
 『しろう』?

「おい、遠坂。何でいきなり呼び捨てなんだよ? 今朝までは『衛宮くん』だった癖に」

 思わず、鍋を持ったまま台所から顔を出す。遠坂は「ん?」と荷物を持ち直しながらこっちを見て、にんまりとどこか悪戯っ子のような笑みを浮かべてみせた。おい背後のアーチャー、自分は何も知らないって顔でそっぽ向くな。お前のマスターだろうが。大体、その大量すぎる荷物を持って格好付けても笑えるだけだぞ。

「いいじゃないの。え・み・や・く・んで5文字、し・ろ・うで3文字。短い方が言いやすいし」

 いや、あのな。何でそこでわざわざ文字数を指折り数えてみせるんだよ。というか、文字数の問題じゃなくてだな、遠坂。

「そうじゃなくて、何でいきなり呼び方が馴れ馴れしくなってんだよ」
「あら、そうかしら? だって一応1つ屋根の下に住むことになるわけだし、それで他人行儀なのもどうかと思うわよ。弓美さんは『弓ねえ』だし、藤村先生は『藤ねえ』だし、間桐さんは『桜』だし」

 ふふん、と胸を張って偉そうな態度を取る遠坂。ああ、そのポーズは2人の姉貴でさんざん見飽きてるよ。勘弁してくれ。
 ――特に弓ねえとボリュームが違う、ということは絶対に口には出さないでおこう。何だか花畑か河原が見えそうだから。

「そりゃ、弓ねえと藤ねえは俺の姉貴だからな。それと、桜は名字で呼んだら慎二とごっちゃになるんだよ。大体、兄貴が名前で妹が名字ってのは変だろ?」

 まあ、そういう台詞は頭の中だけにしておいてきちんと返答する。桜を紹介してくれたのは慎二だけど、その時にもう慎二のことは慎二って呼んでいたし。だから、なし崩しに桜のことも桜と呼ぶようになっただけで。
 それでそう答えたら、遠坂は何かを考え込むような表情になった。僅かに俯いた視線が揺らめいて……少し間があって、彼女は顔を上げる。その時にはもう、俺のよく知っている遠坂凛の表情に戻っていた。

「……ん、まあそれもそうよね。士郎、間桐さんとは仲良いの?」
「仲良いっていうか、もう家族の一員だな。俺にとっては妹みたいなもんで、あと料理の弟子」

 そう。桜に対しては、友人の妹とか学校の後輩とかいう感覚よりも家族という意識が強くあった。そもそもは1年半前、バイト先で俺がうっかり右肩に怪我をしてしまったことに始まる。その話を慎二から聞いたらしい桜が、家事を手伝うと言い出して家に通うようになったのが、今までずっと続く形になっている。最初は俺も遠慮したんだけど、2人の姉が揃って桜を歓迎したからなぁ。で、来てくれたのは良かったんだけど料理の腕が……そのなんだ、まあそういうことだったんで自然と俺が教えることになってしまった。幸い姉上どもと違って桜は上達が早く、今では下手すると追い越されそうな勢いだ。少しは見習え、姉。

「へー、そうなんだ。………………よかった」

 ぽつん、と遠坂が呟くのが聞こえた。何だろう遠坂、桜のこと気にしてるんだな。
 そう、まるで俺のことを気に掛ける姉上たちみたいに。


 その日は遠坂たちの歓迎、ということで夕食を少し豪勢にしてみた。といってもおかずの種類とデザートを増やしただけなんだけどな。本当はアーチャーの分も用意しようと思ったんだが、遠坂曰く。

「普通のサーヴァントはね、マスターからの魔力供給さえ十分なら食事なんかしなくていいのよ。弓美さんは受肉してるし、セイバーは魔力供給してもらえないっていう特殊例なんだからね」

 ……ということで、あいつは今屋根の上で周囲を警戒してくれているんだそうだ。好きになれるかって聞かれたら多分なれないって答えるだろうけど、それでも1人は寂しいと思うんだけどなあ。

「いいのよ、気にしなくて。今夜はお月様が青くて綺麗だから、あいつも月見気分でいいんじゃないの?」

 遠坂。月見は2月の冬空でやるもんじゃない。風邪引いたら困るだろ……って、サーヴァントは基本的に風邪引かないんだっけ。弓ねえは遠坂曰くの特殊な事情って奴で。

「はむはむ、はむはむ」

 ……いや、だから。セイバー、お前の分は誰も取らないから落ち着いて食べてくれ。何で食事時なのに武装してるんだよ全く。もしかして勝負服、とか言わないよな?

「これ、愚弟」

 彼女のお代わり3杯目をドンブリに盛っていると、金の姉上がちらりと視線を向けてきた。たっぷりの髪をポニーテールに結うと、普段とはだいぶイメージが変わってくる。……いや、本気で食事する時のモードなんだけどな。しかし、何で髪切らないんだろう。ショートの弓ねえも、それはそれで格好いいと思うんだけどな。

「何? 弓ねえ」
「今日の夕食は力が入っておるの。学園のアイドルを家に迎え入れるがかように喜ばしいか?」

 に〜っこり。無邪気に見える弓ねえのこの笑顔、実は裏に何やら積もっている時の笑顔だ。しかし、何で遠坂のことでこの笑顔になるんだ? 姉上。

「な、なんでさ!? そ、そりゃ少しは……いいだろ、俺だって男だぞっ!」
「あ、そういえばそうだったわねぇ。エプロンが良く似合っているから忘れてたわ」
「ふむふむ……シロウ。女性に興味を持つのは結構ですが、心の伴侶は1人に定め置くべきです。即刻選べとは申しませんが」

 俺の反論に、遠坂とセイバーが一斉に身を乗り出してきた。つーか、何で夕食の話が俺の話になるんだっ!? いや、女3人に男1人っていうこの状態で、俺が弄くられるのは目に見えていたはずなんだけど。

「いや、姉としては弟に良い伴侶がついてくれると安心なのだがな。桜も良いが、凛もなかなかだと思うぞ」
「あら、それは褒めてくださっているのかしら? お姉様」
「けなしておるように聞こえるか?」

 あー……あかいあくまと金の姉上が意気投合してるよ。俺、聖杯戦争終わるまで無事かなぁ……主に精神面で。ははは、何だか摩耗してしまいそうだ。髪が白くなって……何でアーチャーが思い浮かぶんだろうな。

「すみません。シロウ、お代わりをいただけますか?」

 おずおずとセイバーがすっかり空になったドンブリを差し出してきた。セイバー、食べるの早いな。財政面は……しょうがない、弓ねえに頼るか。はぁ。


 食後、セイバーは魔力温存のために眠ることにして、客間に敷いておいた布団に潜り込んだ。今日は天気が良かったから、日の当たる室内に広げておいただけでも結構布団はふかふかになっている。

「申し訳ありません、シロウ」
「謝るのは俺の方だよ。ともかくぐっすり寝てくれ、明日の朝食も頑張るからさ」
「はい。期待しています」

 ものすごーく済まなそうな顔をしながら、セイバーは襖を閉めた。悪いのは、ちゃんと魔力を供給してやれないヘッポコマスターの俺なのにな。……にしても、明日の朝からどのくらい朝食を作ればいいんだろ。
 後片付けは弓ねえが「そのくらいなら出来るわ。サーヴァントをなめるでない」とばかりにやってくれることになった。ので、俺は遠坂に呼ばれて彼女の部屋を訪れた。うちとはいえ女の子の部屋なので、入る前には扉をノックする。

「おーい、遠坂。来たぞー」
「え、あ、士郎? ちょ、ちょっと待ちなさい、今開けるから!」

 中から遠坂の慌てたような声、それに続いてばさばさがちゃがちゃという何か物を片付けているような音が聞こえてきた。あのな、人を呼び付けておいてそれかよ。

「……お待たせ。入っていいわよ、士郎」
 しばしの後にOKが出たので、失礼しますと声をかけて中に入る。と、そこに広がっていたのは実に見事な『魔女の研究室』だった。そうか、アーチャーが持っていた重そうなカバンの中身はガラスの器具だったり資料書物だったり薬草その他だったりしたわけか。そりゃ重いよな。

「はい、じゃあとりあえずそこに座って」
「おう。けど何だ? 作戦会議か?」
「違うわよ。言ったでしょ? わたし、あんたの魔術の師匠になるって」

 ――ああ、そういえば言われたな。俺がせめてまともなマスターとして聖杯戦争を戦えるように……あのバーサーカーを倒して、少しでも先に進むためにって。

「そうか。つまり今から始まるのは遠坂先生の魔術講座、ってことだな」
「そういうこと」

 俺の台詞に遠坂はどこか満足げに頷いた。う、その口の端に浮かんだ歪みは弓ねえと同じモンだぞ。いわゆる『いじめっ子』の笑い方だ。
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