Fate/gold knight 7.あおいよる
「……そっか。ありがとな、遠坂」
「あのね、こんなのは魔術師の常識なの。普通は一度魔術回路が開けば、勝手に身体がスイッチを作るのよ」
「……ははは」

 返す言葉がない。つまり俺の身体は、そこまでへっぽこだったってことか。『普通は』勝手に作るスイッチを、俺の身体は作らなかったんだからな。

「それにしても、あんたタフね。強制的に魔術回路を開かれて、結構平然と歩いたり話したりできるなんて」
「そう、かな?」
「ひっくり返って動けなくなっても驚かないわよ。そのくらいが普通でしょうから」

 前言に追加。俺の身体は、妙に丈夫であるらしい。自覚はないんだけどな。まあ、遠坂によれば俺の8年間の修行はかなり無茶だったらしいから、知らず知らずのうちに鍛えられたんだろう。気の長い自殺なんて言われたら、微妙にやる気なくすけど。

「ともかく、今日はもう寝なさい。見張りは引き続きアーチャーにやらせるから、心配しないで」
「……あー……すまん。うん、風呂入って寝る」

 そう遠坂に促されて、よいしょと立ち上がる。一瞬足がふらついたけれど、このくらいなら何とか持ち堪えられるかな。すげぇ、綿の上でも歩いてるみたいに足元がふわふわする感覚。うん、まあ何とかなりそう。

「そうね。じゃ、お休みなさい。士郎」
「おう、お休み。……遠坂、ありがとな」

 帰り際にそう言ったら、扉の向こうに消える遠坂の頬が少し赤くなっていた。何でだろ。


 で。

「……どうであった、士郎?」

 振り返った瞬間、金の髪が視界一杯に広がった。セイバーは髪をまとめているから、これは間違いなく我が姉上の髪だ。ほら、いつもの仁王立ちポーズで廊下を自分のステージにしちまっている。トレーナースタイルってことは、風呂から上がってきたところかな。

「弓ねえ、遠坂の部屋の前で何してんのさ」
「何って……た、たまたま通りすがっただけぞ。断じて、食器の片付けと風呂を済ませた故そなたの様子を見に来たわけではない」
「何だ、そっか」

 ぷいと頬を染めながらそっぽを向いた弓ねえ。口じゃあんなこと言ってるけれどきっと、俺のことを心配して来てくれたんだ。実に心配性な姉上だけど、正直身体と気分の重い今はありがたい。

「む、何をじろじろ見ておるか……顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
「あー、まあな。遠坂によれば、魔術回路のスイッチを作るために強制的に開いてるんだって」

 手早く自分に起きている事情の説明をする。と、弓ねえはうっすらと目を細めてぽん、と俺の頭を軽く叩いた。軽くと言っても姉上は俺より背が低いから、僅かに背伸びをしたのが分かった。

「ふむ。では、とっとと布団に入れ。風呂など明日の朝にすればよい」
「……そうすっか」

 さすがにジャグジーとかはないけれど、うちの風呂は寒がりな弓ねえの為に浴室と脱衣所に暖房がついている。だから冬の朝風呂でもわりと湯冷めすることは少なく、そのせいで実家に住んでいるはずのもう1人の姉もよく風呂に入っていく。まあいいけど……脱衣所を出る時に、ちゃんと上に何か羽織るのが原則だけどな。

「そら、早く眠るがいい。周囲の監視は凛のアーチャーが任されておる、案ずることはない」

 背伸びしたまま、弓ねえは俺の髪をクシャクシャと少し乱暴に掻き回す。それから俺の顔を両手で包み込んだ。あ、弓ねえの手、冷たくて気持ちいい。そうして俺を覗き込む顔は、なぜだかむすっとしていた。何か怒らせるようなこと、したかな?

「そうする。明日くらいまではこんな感じが続くって遠坂言ってた」
「そうか」

 ――弓ねえ、そんなに俺のこと心配すんなよ。明日には落ち着くから、大丈夫だから。

 そう心の中だけで呟く。口に出して言えば、きっと弓ねえは心配などしておらぬ、なんて言ってそっぽを向いてしまうだろうから。たまにはこうやって、姉貴の意識を引き留めておきたいのは弟としてわがままかな。多分、わがままだな。
 と、こつんと何かが額にぶつかる感覚があった。意識を引き戻すと、視界一杯に弓ねえの心配そうな顔。えーと、これはおでことおでこをこっつんこして熱を計る、というシチュエーションか? それなら普通は前髪をどけるだろうに。
 額を擦り付けるようにしていた弓ねえが、ふっと顔を離した。むにむにと頬を軽くつまんだり引っ張ったりするのはやめてほしいなー。丸い頬で目が大きくて、俺が自分の童顔気にしてるの知ってるくせに。

「ふむ、やはり熱があるの。場合によっては明日、学校を休ませるからな」

 だから、頭をなでなでするのもやめてくれ。俺、弓ねえの弟になってからもう10年たつんだぞ。何でそう、出会った当初と同じような扱いするかなあ。
 ……でも、俺をめちゃくちゃ心配してくれてるのだけは分かったから、それには大きく頷いた。

「おー、了解。その代わり、もし休ませる気なら弓ねえが藤ねえを説得してくれよ?」
「うむ、その辺は我に任せおけば良い。ともかく、そなたはゆるりと休め」

 藤村大河の説得にかけては、衛宮弓美の右に出る者はいない。2人の姉と10年つき合ってそれがよーく分かってるから、藤ねえを説得しなくちゃならない時はまず弓ねえを味方につけることにしている。というか、何でか弓ねえは俺の味方してくれることが多いんだよな。多分、『魔術師見習いの端くれ』と『記憶を失くしたサーヴァント』っていう、藤ねえには明かせない秘密を共有してるからなんだろうけども。

「……とっとっと」

 あ、やべ。歩き出したところで足がふらついた。思わず弓ねえに寄りかかる形になってしまう。姉上はサーヴァントなだけに力は強いんだけど、でも自分より小さい女の子に寄りかかるっていうのは男としてどうなんだろう、俺。

「全く。手間をかけさせる弟だの」

 と、弓ねえの腕が俺の背中に回されるのを感じた。これでも結構筋肉質だからそれなりに重量があるはずの俺の身体を、何でもないように姉は支えてくれる。

「弓ねえ?」
「部屋まで連れて行けば良いのだな?」

 またもやそっぽを向いて、人の答えを聞く前にズンズンと足を進める金色の姉。俺は素直に力を借りることにして、そろそろと足を運びながら呟いた。

「……あ、うん。助かる、ありがとう」

 あ。弓ねえ、耳が少し赤くなってる。弟に礼を言われただけで赤くなる姉ってのも問題かなぁ。俺、感謝すべきことがあればちゃんと礼は言ってるはずなんだけど。

「たわけ。我はそなたの姉ぞ。弟は姉に頼って良いのだ、それが我が弟たる特権ぞ」
「――うん」

 その言葉に甘える。弓ねえの全身が俺の体重を受け止めて一瞬こわばったけれど、その後は何でもないようにしっかりと俺を支えた。弓ねえの身体は俺と違って柔らかくて、少し冷たいけど良い匂いがする。そういえば風呂済ませてたんだよな。シャンプーは日中にやってしまうことが多いから、今はボディシャンプーの香りだ。
 身体がちっこくて、わがままで、傲慢で、尊大な姉だけど。
 こういう時は、本当にあんたの弟で良かったと思う。
 ありがとな、弓ねえ。
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