Fate/gold knight interlude-1.双張りの弓
 士郎を布団に放り込んだ後、弓美は廊下からサンダルをつっかけて庭へと出た。すたすたと広い庭の中央まで歩み出て、ふわりと背後の自宅を振り仰ぐ。雲に邪魔をされぬため月がほの明るく輝くそこに立ち、彼女は口を開いた。

「――アーチャー。おるのであろう?」
「ああ」

 かけられた声に呼応して、瓦屋根の上に赤い外套の騎士が実体化する。その姿を目で確認してから、金髪の少女は地面を蹴った。微かな硬い音と共に彼女が降り立ったのは、アーチャーより数メートルの距離を置いた、同じ屋根の上。
 たっぷりのボリュームを持った金の髪と、短く刈られた白い髪。
 ラフなトレーナー姿と、赤い外套の下にきちっと着込まれた軽装鎧。
 小柄な少女と、かなり背の高い青年。
 10年前に召喚されたサーヴァントと、ほんの数日前に召喚されたサーヴァント。
 2人の『アーチャー』は、しばしの間言葉もなく互いをじっと見つめ合っていた。それはまるで、敵対者に対峙した戦士が、相手との距離を測っているかのように。

「……何の用かな? これでも私は周囲の警戒中なのだがね」

 やれやれという風に肩をすくめ、苦笑を浮かべつつ赤のアーチャーが口を開く。弓美はじっと彼を見つめ、腕をだらりと下ろした。その視線が鋭く相手を貫く。

「そのくらい知っておる。単に我がそなたと話をしたかっただけだ」
「ほう。話をしたいだけ、の割には殺気が漏れているようだが」

 青年の視線が、少女の右腕を捉える。そこにはいつの間にか、彼女がどこからともなく出現させたあの剣が握られていた。まるで、主に呼ばれて飛来したかのように。その切っ先をアーチャーに突き付け、弓美が答えた。

「そなたの返答次第だ。事と場合によっては、ここでそなたの素っ首を刎ねてくれよう」
「おやおや。私はどうしてそこまで、君に嫌われねばならないのかな」

 僅かに眉をしかめながらあくまで平然と、アーチャーは弓美の視線を受け流す。灰色に灼けた瞳が、血の色の瞳を真っすぐ見つめ返した。

「――簡単なこと。そなたが士郎に対して敵意、ないし殺意を持っておるからだ。普段は上手く隠しておるようだが、不意に我が弟に視線が行った瞬間などはどうしても漏れ出でる」
「……っ」

 弓美の指摘が図星であったのか、そこで初めてアーチャーの不敵な表情が崩れた。ほんの微かに視線をそらし、ちっと舌を打つ。それから一瞬閉ざしたまぶたを再び開いた時には、彼の表情はいつもの感情を隠した表情にほとんど戻っていた。僅かにひそめられた眉のみが、青年の感情を浮き彫りにしている。

「――それが、どうした」

 アーチャーの奥深くから絞り出された言葉。その問いに、金の髪を夜の風と月光にきらめかせながら少女は胸を張り、堂々と答えてみせる。

「我が名は衛宮弓美。衛宮切嗣の娘にして衛宮士郎の姉、そしてアーチャーのサーヴァント」

 一瞬、何の飾り気もないトレーナー姿の弓美に違う姿の彼女が二重写しになった。『彼女』は黒と深紅のドレスの上に金色の鎧をまとい、炎のような赤いマントを翻し、じっとアーチャーを見据えている。その雄々しい姿に、アーチャーはごくりと息を飲まずにはいられなかった。が、その幻は一際強い風に吹かれて消える。後には、衛宮弓美を名乗る金髪の少女が残るだけだ。

「姉は弟を守る者、サーヴァントは魔術師を守る者だ。故に我は衛宮士郎を守り戦う。そのために、我は此度の聖杯戦争への参画を決めた。即ち……そなたが士郎に害をなすと言うのであれば、それは我に対する宣戦布告と見なす」
「……なるほど」

 一瞬萎えかけた気力を振り絞るかのように、赤い外套の青年は1つ深呼吸をしてから呟いた。もう一度息を飲み込み、意識を整えてから顔を上げる。

「確かにな。君が衛宮士郎を守ると言うのであれば、私は君にとって敵となる存在だろう。だが、君は最後まであの大馬鹿者を守りきる自信があるというのかな?」
「無論だ。我が持つこの力は、今や我と我が家族を守るためにあるのだからな」
「今の君は過去の記憶を持たない。それを取り戻したとしても」
「くどい。もし我が士郎を忘れたならば……その時は我が滅ぶ時であろうな。セイバーがそのような我を見過ごすはずがない」

 少女が僅かに形の良い眉をひそめ、哀しげな笑みを浮かべる。それでも、彼女は再び剣を取り、改めてアーチャーに突きつけた。その瞳に、ためらいや迷いのかげりは見えない。

「しかし、それはあくまで仮定の話でしかない。今の我は士郎の敵を屠るためにある。記憶など戻らずとも良い……士郎は我が過去を取り戻すことを願っておるようだがな」

 10年前、2人が赤い世界の中で失ったもの。士郎は既に取り戻すことができないものばかりを失っていたが、弓美の記憶だけは取り戻せる可能性がある。だからこそ、赤い髪の弟は金の髪の姉にそれを取り戻してほしいのだろう――弓美はそう考えている。
 そんな弓美に対し、アーチャーはくっと唇の端を歪めて笑う。それはどちらかと言えば弓美をではなく士郎を――そして自分自身を嘲笑しているかのような表情。

「……あの大たわけには理解できんことだろうな、戻らない方が良い記憶もあるというのは。私もそうだ」
「そなたも?」
「む」

 少女の一言に青年は、一瞬だけしまったという顔をした。ぷいと背けた頬がほんの僅か赤らんでいるのに気づき、くすりと微笑む弓美。む、とばつの悪い顔になって、アーチャーは彼女と視線を合わせないまま口を開いた。頬を指先でこりこりと掻いている仕草に、弓美には一瞬青年と士郎が重なって見えた。

「……済まないが、聞かなかったことにしてくれないか。どうも君を前にすると、調子が狂う」
「よかろう。その鉄面皮を崩すのもなかなか楽しいものではあるがな」

 その光景がツボにもではまったのか、くっくっと喉を鳴らして笑いながら弓美が頷く。とんと屋根瓦を蹴り、音もなく庭に着地して、髪を軽く払ってから少女は屋根の上を振り返った。

「ああ、そうだ」
「?」
「たまには食事につき合え。そなたも生前はヒトであったものだろう、食事の楽しみを今一度思い出してもよかろうが」

 士郎がアーチャーを食事に誘おうとしたことを、この姉は感づいていたらしい。冬の深夜の暗さの中にあって彼女の顔は、夏の真昼に咲く向日葵のように明るく笑っている。その笑顔に、アーチャーは観念した顔で軽く首を振った。

「ふむ。考えておこう」
「うむ、前向きに考えておくがいい。それと、他人のことをよく知らずに馬鹿呼ばわりするのはやめておけ。そなたはともかく、使役者たる凛の品格が問われよう」

 どうしてこの少女は、敵になるかもしれない相手に対していちいち下らない忠告を与えてくるのだろう。その疑問の答えをアーチャーはすぐに思いつき、苦笑するしかなかった。

 ――弟が極端なお人よしならば、その姉もまた同じようにお人よしだ、ということか。まあ、たまにはこんな会話も悪くはない。あくまでたまには、だが。

「了解した。確かにマスターの品格が問われるのは、サーヴァントとしては避けたい」
「分かれば良い。では我は休む、後は頼むぞ」
「ああ、任せておけ」

 とん、とアーチャーが自らの胸板を軽く叩いてみせると、弓美は満足したように頷いて母屋へ戻ろうとする。が、その足がぴたりと止まったことに気づいて青年が首を僅かに傾げた。ふわりと豊かな髪が翻り、今一度屋根を見上げて少女はさらりと言ってのける。

「忘れておった。お休み、アーチャー」
「――あ、ああ。お休み」

 虚を突かれたような表情の青年にしてやったりという笑みを浮かべ、ひらひらと片手を閃かせながら弓美は屋根の中へと消えた。しばらく呆然としていたアーチャーだったが、弓美がサッシを閉めるぴしりという音に意識を覚まされたように目を瞬かせる。

「……参ったな、まったく」

 ぼそっと呟いて、短い髪をがりがりと掻きむしる。この髪がこの色になってしまったのはいつのことだろうか、と指先に引っかかった1本を見つめて、アーチャーはくくっと笑った。弓美の言葉を、口の中で繰り返す。

「他人のことを、よく知らずに……か。自分自身のことすら知らない者が、何を言うかと思えば」

 軽く右手を閃かせる。その手の中に、先ほど弓美が己に突きつけていたモノと寸分違わぬ剣が姿を現した。その刃を月の光にかざし、しばし見つめてからつまらなそうに剣を投げ放つ。とす、と音がするかしないかのうちに、剣は幻のように消え去った。

「主でもないのにグラムを使役する、金髪で赤目の、アーチャークラスサーヴァント……彼女が奴なのはまず間違いないだろう」

 誰に話しかけるでもなく、ただ1人言葉を紡ぐ弓の騎士。ふとその脳裏に浮かんだのは、教会を前にして訳もなく怯える少女の姿。

 ――あの教会には、入りたくない。入れない。

「放っておけば、セイバーや凛に危害を加える可能性は否定できん。早めに排除するに越したことはない」

 武器を持ちながら怯えていた彼女が消え、代わりに黒の狂戦士を前にして一歩も引き下がらない騎士の姿が浮かぶ。

 ――弟を守るは姉の役目だ。

「……何をためらっている。私は願いを叶え、凛を勝たせるためにここにいるのだろう。奴が相手ならば、私が負ける道理はない。私は奴の天敵なのだからな」

 騎士もまたかき消え、敵となるかも知れない者を相手に明るく笑ってみせる姉の姿が浮かび上がる。

 ――たまには食事につき合え。

「――やりにくいな、どうも」

 どれもこれも、自分には経験の無かった記憶。既に『座』には存在するはずのその記録を引き出すことが、凛の召喚が少々乱暴だったせいで未だ混乱が続くアーチャーにはできない。だが、もし記録の抽出が可能だったとしても、赤の弓騎士は同じ言葉を口にしただろう。
 相手は、衛宮士郎の姉なのだから。
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