Fate/gold knight 8.やまぶきいろのあさぼらけ
「…………おあよ……朝、早いのねぇ……」

 そろそろ出来上がった料理を食卓に並べ始めるって頃になって、背後から声を掛けられた。何やら地の底から響くような重低音、しかし声自体には聞き覚えがあるなあって遠坂の声か、これ。

「おう、遠坂……は?」
「お、はようござい、ます……あらら」

 桜がまあるく目を見開いている。多分俺も、同じような表情をしているんだろうな。
 何しろ、今目の前に存在している『穂群原学園のアイドル』遠坂凛は、その呼び名からはほど遠いとんでもなく不機嫌な表情を浮かべて、幽鬼のごときゆらゆらとした足取りで、危なっかしく室内を歩いているのだから。それでもきちんと制服に着替えているのはさすがというか、何というか。

「……牛乳、ある?」
「はい?」
「牛乳」

 わたしは今虫の居所がとっても悪いですよーという顔をして、遠坂は桜に尋ねた。一瞬ぽかーんとしていたけれど、すぐに桜は「あ、はい」と反応して、冷蔵庫のドアポケットから1リットル入りの紙パックを取り出す。ガラスコップに注いで手渡すと……何で牛乳って、腰に手を当てて一気飲みっていうイメージがあるのか知らないけれど、そのイメージ通りに遠坂は飲み干してみせた。ぷはー、とコップを置いたその時にはもう、彼女の顔はいつものそれになっている。

「ん、すっきりした。おはよう士郎、それから桜」
「目が覚めたか? 遠坂。朝食の準備はできてるから座ってくれ……お前、朝弱かったんだな。知らなかった」
「弓美さんよりはマシだと思うけど?」

 ぐ。それを言われると少々きつい。確かに今現在も弓ねえは、遠坂の部屋よりも母屋に近い自分の部屋で、ぐーっすりとお休みなのであるからして。ただな遠坂、弓ねえは部屋の外に出る時にはもう意識はしゃんとしてるぞ。

「……やっぱり、納得できません」

 その時、立ちすくんだままだった桜から、ぼそりと言葉が漏れた。俺も遠坂も、その言葉の意味を図りかねて彼女に視線を向ける。

「何かしら?」
「どうして、遠坂先輩が衛宮先輩の家に下宿しなくちゃならないんですか」
「どうしてって……」
「衛宮先輩は緊急の事情だとおっしゃっていましたけれど、遠坂先輩がうまいこと衛宮先輩を言いくるめたんじゃないんですか!?」

 吐き出される桜の言葉。さっき俺を問いつめた時よりはおとなしい口調だけど、その分何かを押し殺しているのがはっきりと分かる。異性である俺を相手にするより、同性の遠坂相手の方が本音を出せるんだな、やっぱり。

「あら、間桐さんはわたしがそんなことする人間だと思ってたんですか? これは心外ですね」

 一方、遠坂は普段どおりの優等生ちっくな態度で……というか、いつも以上にぶってる態度で返答。何で2人の間に火花が散っているように見えるのかは気にしないことにする。うん、きっと幻覚だ。

「衛宮くんの言葉どおりです。詳しい話は藤村先生がおいでになってからにしましょう。食事が冷めますから」
「……分かりました。その代わり、納得の行く説明をくださいね、遠坂先輩」

 藤ねえの名前を出されて、桜も渋々引き下がる。ああ、これは何が何でも弓ねえを叩き起こしてきて何とかしてもらわなくちゃ。

「……ええい、朝から騒がしいの。士郎、体調は良好のようだな」
「おはようございます。シロウ、凛」

 あ、噂をすれば影。ちょうどいいところに弓ねえと……セイバー!? しまったー、セイバーのことも説明しなくちゃいけないんだった!

「……どなたですか?」

 桜が、顔を伏せがちにして前髪の間からセイバーの顔を見つめた。あれ、何故か怖いからやめてほしいんだけどなあ。

「ふむ、桜にはまだ説明しておらなんだか。致し方あるまいの」

 対して弓ねえ、モヘアのセーターにスリムジーンズの姉上は相変わらずの傲岸不遜な態度を崩さず。我が家の最高権力者がこの金の姉上であるのは誰の目から見ても間違いはないだろう。ほら、セイバーも感心した顔で見てるし。ちなみにこちらは、白いブラウスに淡いブルーのカーディガンとそれより濃い色のスカートの組み合わせ。弓ねえプレゼンツだな、うん。

「まずはセイバーよ、これなるは間桐桜。士郎の学校の後輩での、以前より我が家に食事を作りに来てくれておる。これ桜、きちんと挨拶せぬか」
「へ? あ、は、はいっ。間桐桜、です」
「よい。ついで桜よ、これなるはセイバー。以前切嗣に世話になったことがあるそうでな、此度はその礼を兼ねて来訪したそうだ」
「……セイバーと申します。サクラ、どうぞよろしくお願い致します」

 姉上の言葉に釣られるかのように、自分の名を名乗って頭を下げる2人。何か、視線合わせたら笑ってたりするよ。
 ……すげー。
 弓ねえ、さらっと2人の顔合わせ終わらせちまった。後でまた何かこじれそうな気もするけれど、その時はその時だ。

「……弓美さん、さっすがあ」
「この程度仕切れなくては、大虎を御することなぞ出来ぬわ」

 感心してる遠坂に、額を抑えながら答える弓ねえ。それもそうか。あの大虎を制御するのは並大抵ではないからなあ。そういえば件の本人は……

「おっそくなっちゃったー! しろー、桜ちゃーん、ご飯出来てるーっ!?」

 ……あ、来た。どたどたと勢いよく駆け込んできた我が校の名物英語教師は、おはようの挨拶より先に居間へと飛び込んできて、ちまっと自分の指定席に座った。コンマ数秒の早業……藤ねえの食事の定義ってのは、準備されたモノをただ食らうだけなんだろうな。いいのかそれで。

「おはようございます、藤村先生。朝からお元気ですね」
「あら遠坂さん、おはよう。珍しいわね、こんな朝早くから士郎の家で会うなんて」

 にっこりと優等生モードの笑みを浮かべた遠坂と、平然と挨拶交わしてる。おかしいな、普通はそこで変だと気づくだろうが。
 ま、気づかないのが藤ねえか。

「あー、遠坂も座って座って。そろそろ食事にしよう、いろいろ話さなくちゃいけないこともあるしさ」

 ぽんぽんと手を叩いて、皆を促す。俺や弓ねえ、それに桜は普段座っている場所に座り、セイバーと遠坂には適当に座って……ってあの、セイバーさん。何でおひつの横ににこにこ笑いながら座ってらっしゃるのでしょうか。そのおひつは俺たち全員分のご飯が入っている訳ですが。

「そうしましょう……って、へ?」

 座ろうとした遠坂が、卓上に並べられた朝食を見てぽかんと口を開けた。今まで見てなかったのかよ、お前。

「……呆れた。あんたたち、朝からこんなに食べるの?」

 おい、猫剥がれてるぞ。というか、そんなに多いか? いや、確かに量自体は多いと思うけれど、これは人数が多いことに加えてセイバーがたくさん食べるからだし。

「衛宮の家ではこれが普通だが? 朝食は1日の活力源、食しておらぬとは愚かなことよ。そうか、故にその体型なのだな」

 ふふんと自慢げに胸を揺らし、弓ねえが答える。おいおい頼むよ、一応男がここに1人いるんだからそういうのは勘弁してくれ。だけど、朝食が1日の活力源っていうのは全くもってその通り。ダイエットをするにしたって、朝ごはんはしっかり食うべしとどっかで読んだような気がする。

「そうよー、遠坂さん。1日3食きちんと摂らなくちゃ。士郎のご飯は美味しいんだから」

 こちらは既に臨戦態勢の藤ねえ。こやつは学校で暴れまくるエネルギーをすべからくうちの食事で取りやがる厄介者である。またそのうち、藤村組に食費の徴収に行かないと駄目だな。教師の月給取り上げるぞ、マジで。

「……自宅では朝食を摂らない主義だったんですけど……せっかくですし、頂きますね」

 さすがは遠坂凛。即座に被り直した猫は完璧にフィットしている。にっこりと微笑んで、優雅に席に着く。よしよし、今日はこのままやり過ごせるか。

「……って」

 ――あ、拙い。
 いや、いくら何でも普段は4人で食べる朝食の席に6人いたらおかしいって気づくよな。そこまで鈍感じゃなかったよ、冬木の虎。よし、耳栓準備ー。

「何で遠坂さんや見たことのない金髪の女の子が私と一緒に平然と朝ご飯食べてやがりますか――――――っ!!」

 俺が耳に指で蓋をすると同時に、藤ねえが爆発した。俺以外は全員がその大音量に圧倒され……あれ遠坂、何で平気なんだ? それから弓ねえ、俺と同じくらい藤ねえの爆発を経験してるくせに何で食らうんだよ。

「落ち着いてください、藤村先生」
「……やっと気がついたか。遅いぞ藤ねえ」

 という訳で、圧倒されなかった遠坂と俺が同時に突っ込みを入れた。名前どおりの大虎になってしまった藤ねえは、俺を恨みがましく見つめてくる。いやだから、こっちにも事情があるんだってば。ちゃんとしたことは話せないけれど。

「ふむ、確かにあいさつがまだでした。わたしはセイバー、一昨日よりこの家に厄介になっている者です」

 そんな中、あっさりダメージから立ち直ったセイバーが姿勢を正し、頭を下げてきた。一瞬キョトンとしてから、藤ねえも慌てて頭を下げる。この辺、さすがは教師といったところか。

「あ、はいどうも。これはご丁寧に……じゃなくって! 士郎、自分のお家に女の子泊めるなんてどういう了見よーっ!」

 があーと叫ぶ相手は、当然ながら俺。弓ねえには勝てないと、藤ねえは身に染みて分かっているからなあ。とはいっても、既に金の姉上はこちらの陣営なわけで。

「女の子だけではないぞ、大河。アーチャーもおる」
「え、ちょっと弓美さん!?」

 ――うっかり属性持ちな姉上は、わざわざ出さなくてもいい名前を出してきてしまいました、まる。
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