Fate/gold knight 9.とうめいなゆがみ
 家を出て遠坂と2人、並んで学校へ続く道をゆっくり歩いていく。同じ制服を着た学生の視線が少し気になるけれど、まあそれは遠坂凛の本質を知らないからだろう。そういう人間にとっては、遠坂はツンと澄ました優等生なんだから。実際はあかいあくまなのになあ……女ってすごいな。弓ねえは裏表なんてない――要するにいつでも女王陛下――から、ああいう切り替えっていうのは感心する。

「ん? 何よ衛宮くん」

 あ、いかん。あまり女の子をじろじろ眺めてるもんじゃないな……って、『衛宮くん』?

「……外だと名字呼びなのか? 遠坂」

 昨日はいきなり『士郎』と呼んだ癖に。そう思って尋ねたら、遠坂は腕を組んで呆れ顔をしてみせた。何だ、俺、変なこと言ったのか?

「当然でしょう? いきなり名前呼んだりしたら、わたしたちの間に何かあったって邪推する奴も出てくるに決まってるんだから。変に注目集めることもないじゃない」
「そういうもんなのか」
「そういうものなの」

 遠坂の言っている意味はいまいち分からないけれど、彼女がそう断言するんだからきっとそうなんだろうな。俺だって、弓ねえのことを名前で呼んでみたり、遠坂のことをいきなり凛なんて呼んだら照れくさいに決まってるだろうし……あれ、何か違うかな?

「どうしたの? 顔赤いわよ、まだ傷治りきってないんじゃないの?」

 声がやたら近いのに気づいて視線を上げると、目の前に遠坂の顔があった。一瞬どきっとして、慌てて後ずさりする。あーびっくりした、お前はほんとに弓ねえと似てるなあ。行動パターンが。

「ちょっと、何逃げてんのよ」
「あ、いや、何でもない。傷は完全にふさがってるよ」

 ごまかすように、頭を振りながら答える。もっとも、傷が完全に治っているのは事実だからな。どうやらセイバーのおかげであるらしい、とんでもないまでの回復力で。セイバーにはものすごく迷惑をかけているんだよな、俺。
 ……ダメだな。巻き込まれたとはいえ戦うと決めたのは自分だ、決めたからにはきちんとマスターとしての責務を果たさないと。

「ふーん、そう。ならいいんだけど、ともかく気を付けてよね? うちの陣営で一番弱いの、アンタなんだから」

 その決意に水を差してくれる遠坂の台詞に、ちょっとだけ落ち込んだ。いや、確かに俺、セイバー、弓ねえ、遠坂、アーチャーの中で誰が一番弱いかって尋ねられたらぶっちぎりで俺なんだけど。

「分かってるよ。だから……すまん。いつも守られてばかりで」
「気にしないで。ご飯美味しいから」
「いやそこかっ!?」
「当然でしょう? 魔術使うと金も使うけど体力も使うの、栄養補給は重要な問題なんだから!」

 拳握って力説するなよな、遠坂。うん、でもまあ、俺の作った料理を美味しい、って言ってくれるのは嬉しい。こんなだから主夫とか言われるんだろうけど。

「あ、でも、衛宮くんって和食メインじゃない? 中華なら負けないわよ、わたし」
「お、そりゃいいな。うちのガスコンロ、それなりに出力高いから良かったら頼む」
「あらほんと? らっきー、任せなさい」

 俺は料理を覚える時、和食をメインで覚えた。理由は簡単で、西洋料理より簡単に出来るから。基本的には焼くだけだったり煮るだけだったりなので、あれやってーこれやってーとややこしい西洋料理より覚えやすい。そもそもは自分が栄養失調死しないための技能だったので、それでいいんだよ。それに……爺さんも弓ねえも藤ねえも、俺の食事に文句言わなかったし。言えるなら自分が作ってるだろうけどな、うん。

「ああ、任せる。正直言うと、和食も桜に追いつかれてきててやばいんだ。師匠としてはまだまだ追いつかれるわけにはいかないし」
「あら、そうなんだ。んーふふふ、それじゃあ今日の夕食はわたしかなー♪」

 目を細めてにんまりと笑う遠坂。その顔は実に自信に満ちあふれていて、『ふふふ士郎今夜はぎゃふんと言わせてやるわ覚悟しなさいよーああ食費はそっち持ちねよろしく♪』と黒マジックではっきり書いてある。……食費出してくれるんじゃなかったのか、おい。


 そんな会話を交わしているうちに、校門前にたどり着いていた。土曜日の深夜、ここを出る時は俺は血まみれで、胸に傷跡があって。ここまで弓ねえがアカツキで迎えに来てくれていて。
 ……何だかえらく時間が経っているような気がするけれど、あれからまだ2日と経ってないんだよな。時間の経過って、奇妙なもんだな。そう思いながら、校門を通り抜けたその、瞬間。

「――ぐっ」

 急に胸が苦しくなった。思わず制服の胸元を押さえ、何とか息を吸おうとするけれど苦しくて、俺は足元をふらつかせてしまった。そんな俺を支えてくれたのは、横にいた遠坂。

「っと。衛宮くん、大丈夫?」
「……あ、ああ……」
『ふん、軟弱者が』

 ……おい、遠坂についているアーチャー。こっそり含み笑いなんてするんじゃねえよ。バレてるぞ、俺に。

『無論、わざと知らせているのだがね。くくく』

 俺の心の声を読むんじゃねえ、この野郎。というか、わざと俺のこと怒らせてるだろ、お前。

「やめなさいアーチャー、意地が悪いわよ」
『おっと。これは失礼』

 遠坂のたしなめに、喉の奥でくくくと笑いながら返答する赤の弓騎士。うー、むかつく。アーチャーの奴、そんなにへっぽこな俺が嫌いか。悪かったなーこんちくしょー、と胸の中で悪態をついてから、息苦しさがなくなっているのに気が付いた。そうか、気の持ちようってことか。
 ……えーと、まさかアーチャー、俺を助けてくれたわけか? 何だ、敵か味方か分からないな。変な奴。

「それにしても、土曜日よりきつくなってるな。これ」

 ぼそりと呟く。あの日……いや、その少し前からだろうか、学校全体を覆っていた嫌な感じ。それがここに来て、はっきりとその実態を現し始めているのが分かった。これは……結界。朝、遠坂とアーチャーが口にした。

「あ、そういうのも分かるんだ?」
「分かるっていうか、何となく感じられるだけだ。学校の構造に妙なもんが混じってて、その歪みがひどくなってるなって」
「構造に混じってる? 変な言い方。でも、まああんたにはそう感じ取れるんでしょうね……あんた、わたしとはここら辺の感覚が違うみたいだし」

 遠坂の言葉に頷く。俺にはそうとしか感じられないってことを、遠坂は渋々だけど納得してくれたようだ。……ごめんな、出来損ないの弟子で。
 と俺がそう思った時、遠坂が何かを思い出したような顔をこちらに向けた。僅かに首をかしげつつ、彼女が口を開く。何だろう?

「じゃあ衛宮くん。もしかして、この前の放課後残ってたのは……それを調べてて?」
「いや、あれは慎二に弓道部室の掃除頼まれたから。ついつい隅々までやってたらあんな時間になっちまってさ」

 遠坂の疑問に、素直に返事する。そうだ、そういえばあの日、放課後にたまたま出会った慎二に掃除を押し付けられたんだった。あいつはこれから女の子引き連れて遊びに行く風だったけど。
 ――でも、良かった。俺が掃除を代わっていなければ、暗い校舎の中で心臓を貫かれていたのは慎二だったかもしれない。あ、でもあいつは掃除ならちゃっちゃっと済ませて早く帰宅してたかな。はは、俺って結構貧乏くじ引いてる?

「は? あんた、今部員じゃないでしょ? 何でわざわざやってやってんのよ」

 もっともな疑問を口にする遠坂。って、『今』部員じゃないって……俺が前に弓道部員だったこと、遠坂は知ってるのかな。大体俺が部員だったのは1年の夏までだぞ。まあそんなことはともかく、答えを返そう。とっても分かりやすい理由なので、遠坂も納得してくれるはずだし。

「『元』部員で保護者が顧問だからな。時々出入りしてるんだよ……虎の餌届けに行ったり」
「……藤村先生って、いつもああやって食事たかりに来てるの?」
「基本的に平日の食事は全部うちだな。弁当もうちで作ったの持ってってる」
「そう言えば、今朝もお弁当持っていったっけ……」

 そういうことだ。藤ねえの食事は実家ではなく、何故か俺の担当になってしまっている。もっとも、その分の食費はちゃんと藤村組からもらっているんだけど。ああ、今朝も考えたけど藤ねえは教師っていうちゃんとした職業に就いてるんだし、その給料から引くことにしてしまおう。ま、当然といえば当然の処置だ。
 ……弓道部の部室。
 そうだ、忘れてちゃいけないことがあった。
 後日調べようとして、放っておいた小さな異変。
 俺には原因が分からないけれど、遠坂にならそれが分かるかも知れないな……言ってみるか。

「……と。ああ、そういえばその部室に1つあったな。へんなところ」
「変なって、どんな?」
「うーん……説明しにくいんだけど、何か歪んでるって言うか、ともかく変なんだ。そうだ、さっき言ったろ、学校の構造に妙なもんが混じってるって。あれ」

 うわ、説明になってねえ。しかし、こういうのは言葉で説明しろと言われるとすごく困るもんなんだ。……それでも、遠坂は俺の言葉をちゃんと聞いてくれて、しばらく考え込むと1つ小さく頷いた。

「ふうん、そゆこと。気になるなら放課後でも見に行ってみる? 見学名目なら入れてもらえるでしょ」
「あ、ああ。それもそう……だな」

 びしす、と人差し指を立てる遠坂の勢いに飲まれたようにこくこくと頷く。ははは、まあ藤ねえには頭を下げるしかないかな、うん。
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