Fate/gold knight 9.とうめいなゆがみ
「おやあ? 衛宮、遠坂、おはよう」
「ふむ。衛宮、おはよう……遠坂、貴様衛宮を悪の道に引き込む気か?」
「あ。美綴、一成、おはよう」

 と、不意に声を掛けられた。聞き慣れた声なので、反射的に普通の返答をしてしまう。

「おはようございます、美綴さん、柳洞くん」

 平然と遠坂も挨拶を返す。そんな俺たち2人の前に現れたのは弓道部現主将の美綴綾子、そして我が親友である生徒会長・柳洞一成だった。
 武道を嗜み女丈夫と名高い美綴とは、性別と関わりなく友人としてつき合っている。何度か家に来たこともあり、弓ねえとも仲が良いんだなこれが。まあ、元々裏表が無くてきっぷの良い性格だから、あまりこいつを嫌ってる奴はいないはずだけど。あ、慎二とはそりが合わないらしくて時々口論してるな。
 柳洞寺の末っ子で、学園まで片道2時間の距離を歩いて登下校してしまうある意味超人な一成とは現在同じクラス。学園内の備品修理を一成の依頼で俺がせっせと手がけ、昼休みは生徒会室でのんびりと昼食を楽しむ。たまに互いの家を訪問したりもしていて……実はこちらも弓ねえと仲が良い。大和撫子タイプが一成の好みなはずだけど、金の姉上の場合は人の好みを超越した何かがあるんだろうな。

「なになに、何で穂群原1の優等生と穂群原のブラウニーが並んで登校してくるわけさ。衛宮ってば、優等生殿の下僕にでもなったのかな?」
「何と!? 遠坂、貴様そういう趣味でもあったと言うのかっ!?」

 けど、こういう時だけはどうも嫌いになってしまうな。まったく、こっちはあまり周囲に気取られたくない事情があるってのにさ。こら遠坂、何でにやにや笑いながらこっち見てるんだよ。自分で何とかしろってか。はあ。

「美綴、それならとうに俺は姉貴の下僕だ。一成、遠坂の本性はお前良く分かってるんじゃないのか?」

 仕方がないので、事実を端的に述べることにする。いや遠坂、美綴、お前ら揃って目を丸くするか? そんなにおかしいのかな……っていうか2人とも、事実はその両目で見て知っているだろうが。ちなみに一成はうんうんと深く頷いていた。やっぱりな。

「え、自覚症状あったのアンタ?」
「そのくらいなら自覚はとうにあるよ」

 溜息をつきながら遠坂の問いに答えると、2人は鏡のように腕を組み、ああ納得と顔を見合わせてうんうん頷いた。遠坂は制服で、美綴は弓道の胴着で……あれ、もうすぐ予鈴じゃないか?

「何だ美綴、まだ弓道着じゃないか。もうそろそろ着替えないとまずいだろ」
「うん、今から着替えるところ。どうもさ、しばらく部活自粛になるみたい」
「自粛?」

 それは初耳だ。藤ねえも桜も、今朝出る時は何も言ってなかったじゃないか。……朝出てきてから職員会議で議題に上がった、というのなら納得できるけれど。ま、多分そんなところだろうな。

「うむ、今朝方緊急会議で決定された。最近は物騒な事件が多いからな、生徒の安全のためだ」

 一成がくれた返答は大体予想通りだった。物騒な事件のある意味当事者としては、何とも耳の痛い話だ。「あらそう」などと平然と聞いている遠坂も、多分心の中では頭に来てるんだろうな。優しいから、こいつ。
 ――俺や弓ねえのような犠牲者は、もう出したくない。

「そうか。じゃあ、今日からみんな早上がり?」
「そうみたいね。つーわけで間桐妹も今日から早く帰れるから」

 ほら、やっぱり……いやそれは前半だけの話で。

「ちょっと待て美綴。何でそこで桜の話が出るんだよ」
「え、だって有名だよ? 衛宮家の通い妻ってさ。小姑にも評判いいって聞いてるけど」
「うむ。俺としては衛宮には間桐さんのような女性が寄り添うのがよい、と思っている。弓美さんもよい女性だが、何しろ姉上であるからな」
「あら、そうなの衛宮くん?」

 美綴と一成にそう言われて困惑する。ええい、遠坂までノッてくるんじゃない。確かに桜は弓ねえと仲良いけど……え、それってつまり美綴の言う通り……んなわけあるか! 桜は元々俺を手伝うために家に来てくれるようになったんであって、それ以外の何物でも……ないのか?
 ああいかんいかん、これじゃ泥沼だ。落ち着け衛宮士郎、うっかりテンション上げたらこのダブルあくま+一成の思うつぼだ。というか、何で弓ねえが桜と仲良いことを一成はともかく美綴が知ってるのか、となると……

「……あー、情報元は藤ねえだな? まったくあの馬鹿虎」
「ありゃ、つまんないの。情報源は正解だけど、もうちょっと噛みついてくると思ったんだけどな」
「衛宮くん、案外ノリが悪いのね。そんなことじゃ、立派な正義の味方にはなれないわよ?」

 何でノリが悪いと正義の味方になれないのさ。そこら辺問いつめたいところだが、あいにく学生の朝にそんな余裕はないのであった。

「あのなお前ら……って美綴、時間時間」
「あーそうだそうだ。そんじゃ着替えてくるわ〜……何なら衛宮も一緒に来る?」
「なんでさっ!」

 さっさと着替えてきやがれ、まったくもう。美綴の奴、弟がいるって聞いたけれど……この分じゃあそいつも苦労してるんだろうな、きっと。

「美綴、衛宮をからかうのはやめて欲しいものだ。さて、俺も先に戻る。遠坂の毒牙にはかかるなよ、衛宮」
「……分かった、努力する」

 けらけら笑い、手を振りつつ走っていく美綴と、溜息をついて遠坂を睨み付けた後早足で去っていく一成を見送りながら、遠坂がにんまりと笑みを浮かべた。む、その笑顔は何かを企んでいるのか?

「……そっか、部活自粛か。ならラッキーね、放課後は学校内ぐるっと点検して回るわよ」
「ああ、結界の?」

 そっちの企みか。確かに、部活が自粛になるのなら放課後は人がいなくなる。そちらの方が俺たちには好都合だ。――一昨日の俺みたいに、誰かを巻き込むわけにはもういかないのだから。

「そ。結界を張るにはその基になる点、つまり基点が必要なの。正直言うと、わたしでも基点の破壊は無理っぽいんだけど、そこから魔力を抜き取ることによって結界そのものの発動を遅らせることは十分可能だから」
「なるほど」

 遠坂と会話を交わしつつ校舎内に入る。靴を履き替えて、ふと遠坂が俺を見つめているのに気がついた。

「ん、何だ遠坂?」
「……ん。あんたね、1人で突っ走る傾向ありそうだから注意しとこうと思って」
「そうかな?」
「ええ。くれぐれも単独行動は慎むこと。セイバーは令呪で呼べるからいいとしても、あんたに何かあったら弓美さんや藤村先生が心配するでしょう? 無茶するなとは言わないけれど、お姉さんを心配させるようなことはしないで」

 遠坂。『無茶をするな』と『弓ねえや藤ねえを心配させるな』はほぼ同じ意味だ。
 ……でも、そうだな。俺は弓ねえを守りたくて、弓ねえの記憶の鍵があると信じて聖杯戦争に参戦するって決めたんだ。その弓ねえを置き去りにしてどうする、衛宮士郎。
 俺はセイバーのマスターとして、衛宮弓美の弟として、衛宮切嗣の息子として、進んで行かなくちゃならないんだから。

「ああ、分かった。姉貴に怒られるようなことはしない」
「おっけい。……ほんと衛宮くんって、シスコンよねえ」

 呆れてるのか楽しんでるのかよく分からない言葉を残して、遠坂はすたすたと歩き去っていく。ほんの一瞬、その後ろ姿にぶれるように重なった赤い外套の背中が、ちらりとこちらを伺ったように俺には思えた。


 自分にしてはゆっくりめの時間に教室に入る。くるりと室内を見回すと、ほとんどのクラスメートは既に来ているようだった。一成も自分の席からこちらに手を振っている。振り返しながら出席者を確認、いないのは……あ。

「慎二、まだなのか」

 俺とそんなに離れていない間桐慎二、即ち桜の兄貴に当たる奴の席が、まだ空いていた。あいつ、ここんところ部活もさぼり気味だそうだし、学校も来てるんだけど気がつくといなくなっていたり、午後から出てきたりとやる気がなさそうな感じだ。体調でも悪いのかな……ならしっかり休めばいいのにな。

「衛宮殿、本日はゆるりとした参上でござるな」

 と、妙に時代がかった台詞が耳に飛び込んでくる。この声は後藤君か……昨夜の大河ドラマでも見たのかな。相変わらず、前日に見たドラマの口調を真似るって癖は抜けないようだ。聞いてる分には楽しいからいいけれど。

「ああ、おはよう。……今日は慎二、まだ来てないのか?」
「むむ、間桐殿でござるか。確かに本日は未だ顔を見ておりませぬな」
「そっか」

 ありがとう、と礼を言って自分の席に着く。本当に慎二の奴どうしたんだろうと思う間もなく、予鈴が鳴った……あ、来た。青みがかったウェーブヘアの、女の子に囲まれている時以外は大抵不機嫌な顔をしているクラスメートが。
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