Fate/gold knight interlude-2.双振りの剣
「我がキャスターであるならば、それらを人質、生贄、もしくは手駒とするであろうな。キャスターとは即ち魔術師、己を守るべき盾はいくらあってもよかろうて」

 だから、続けて弓美が口にした言葉の意味は一瞬理解しがたいものであった。その内容に気づいたとき、セイバーは思わず彼女に殺意を抱いた……それが、凛曰くの甘い考えであるということに気づいたのはさらに一瞬置いて後、である。

「……っ!」
「そう殺気立つな。あくまで、我が今の奴の立場であると想定し、勝利を前提として策を練った場合の結論ぞ。つまりはキャスターの敵にとっては最悪のシナリオだな」

 一方、弓美の方はあくまでマイペースだった。袋を持ったままの片手を上げ、やんわりとセイバーを制する。細められた赤い瞳には瞼の影が重なり、どこか剣の少女が知らないはずの劫火を思わせる色に染まっていた。

「その最悪を起こさせぬためにもここは引くべきだ。弟を悲しませることは……姉はしてはならんのだ」

 自らをここで屠りかねないセイバーの視線にもたじろぐことなく、断言してみせる弓美。かさりと音がして、干からびた落葉が風と共にその足元に舞い落ちる。よく見ればそれは、自然にそうなったとは思えないような……具体的には縦半分にすっぱりと直線で切り裂かれているのだが、2人の少女がそれに気づくことはない。彼女たちはお互いから視線を外すことなく、じっと立ちつくしているからだ。

「――本当に、あなたは良い姉ですね」

 永遠とも一瞬とも思える沈黙を破ったのは、セイバーの小さな溜息だった。殺気は嘘のように消え失せ、少女は少女を見つめつつくすりと微笑む。

「そうなのか?」

 一方、そう言われた弓美の方はどこか戸惑っているようだ。セイバーの敵意があっさり薄れたことももちろんだが、自分が良い姉だというその台詞の意味を計りかねているらしい。無論、セイバーが世辞や皮肉を言っているのでないことは分かっているのだが。

「ああ、ユミ。わたしは本心からそう思っているだけです。その……わたしにも姉がいたのですが、まあいろいろありまして」
「ほう……まあ、古いことは聞かずにおこう」

 僅かに視線をそらしながらもごもごと口の中で言葉を紡ぐセイバーに、今度は弓美が微笑んだ。セイバーの方はどこかばつの悪い表情になり、耳まで赤くしながら頭を下げる。

「恩に着ます」
「気にするな。単純に我は、士郎の悲しむ顔はもう見たくないだけなのだ」

 ぼそりと呟いた弓美が、ビニール袋を持ち直す。がさりと音がして、中に入っているたい焼きが僅かに場所を移動させた。冷め始めてはいるがまだ出来たてに近いその匂いが、2人の少女の鼻孔をくすぐる。今まで沈黙を決め込んでいた嗅覚の発動により、彼女たちはああ、と意識を現実時間に戻す。

「さて。そろそろ士郎を迎えに行かねばならんか」
「そうですね。凛とアーチャーが一緒ですから、心配ないとは思いますが」

 あかいあくまと、赤の弓騎士。何故か2人が両側から士郎の腕をがっしと抱え込んでずるずる引っ張っていく、という少々訳の分からない映像を脳内に映し出し、セイバーは肩をすくめた。自分の想像力は、予想以上にあほんだらであるらしいことを確認して。

「そうだがな。士郎は弱い癖に、自分を守るという心構えができておらぬ部分があるからの」
「……はい」

 半ばあきらめ顔で呟いた弓美に、セイバーも深刻な表情を浮かべて頷く。共に思い出すのは、あの夜のこと。

 ――セイバー、弓ねえ!

 叫びながら、突進してくる赤毛の少年。2人の少女を突き飛ばした次の瞬間身体を巨大な刃で叩き斬られ、臓腑を飛び散らせて倒れた少年は、自らの服が汚れるのにも構わず抱き上げた姉の腕の中で意識を奈落の底に沈めた。英霊が3人がかりで向かっていっても勝てなかった巨大な黒い存在から、2人の少女を守ったために。
 弓美の言う通りだった。衛宮士郎という少年は、こと自分という存在を軽く見ている嫌いがある。そうでなければ、あの時のような絶対的な死から、自分より力を持つ少女2人を守ろうと飛び出す訳がない。

「次はあのような無様を晒さぬようにせんとな。互いに」
「はい。この身はシロウに召喚されたサーヴァント、わたしはシロウを守り聖杯戦争に勝利するためにいるのです……シロウに守られるためにいるのではない」

 青い瞳と紅い瞳が、決意をこめて光る。小さく頷き合い、そうして2人は元の話題に戻った。差し当たって気になるのは、2人が揃ってぶら下げている良い匂いの元であろう。この手の菓子というものは、それなりに重量があるものだ。

「ああ、セイバー。一度家に戻るぞ。さすがにこの大荷物は問題であろう」

 ひょいとビニール袋を持ち上げて弓美が苦笑した。セイバーもその意見には賛成だが、その前に問題が存在する。その解決策を、今ここで出しておかねばなるまい。

「タイガやサクラには何と言うつもりなのですか? それに、シロウを迎えに行くということも」
「事実をそのまま述べればよい。買うたはよいものの、少し多すぎた故先に持ち帰ったとな。ついでに1袋献上すれば2人とも黙る」

 ……確かに。
 この江戸前屋という屋台で売られているたい焼きを、ことのほか桜や大河は好いているという。出来たてに近いモノをさあどうぞと差し出せば少なくとも冬木の虎はそちらに夢中になるし、そもそも弓美が挙げた理由は全く持って事実なのだから腹を探られたところで痛くもかゆくもない。

「士郎の件ならば、夕食の買い出しに供をするわけだから異論もなかろう。桜が付いてこようとしたならば……」
「タイガの番を是非に頼むと、そういうことですね。なるほど、承知しました」

 そうして藤村大河をおとなしくした後は、間桐桜に全てを押しつけるというのが弓美の提示した解決策であった。桜には少々可哀想な気がしなくもない、とセイバーは心の中でだけ呟いたが、これも士郎のためである。彼女は衛宮家に通っている、何の変哲もない士郎の後輩なのだ。聖杯戦争などに間違えても巻き込むわけにはいかない……だから、同じく巻き込むわけにはいかず、そしてある意味セイバーたちにとって最強の敵である冬木の虎に対する抑止力になって貰うしかない。うむ、とこれまた心の中で頷くセイバーであった。

「その通りだ。衛宮の家の安全はそなたの両肩にかかっておると、そう言ってしまえば桜も留守を任されよう」

 弓美も同じようなことを考えていたらしく、にんまりと目を細めて笑った。その目が一瞬山門に向け、剣呑な視線を放ったことをセイバーはつい見逃していた。彼女らしくもない、失態。


 昼間ですら厚手のカーテンを締め切った室内は、夜になるとますます闇の間と化す。ほの明るい明かりが1つだけ置かれたその部屋には、2つ……いや、3つの影があった。
 1つは癖のある髪の少年。1人部屋の入口に佇み、ハードカバーの本を両手で弄びながらつまらなそうに室内を見つめている。
 1つは黒衣の妖艶な女性。床に着くまでに伸ばされた長い髪と、彼女の美しいであろう顔の上半分を覆い隠す無骨な眼帯が異様な室内の雰囲気に妙にマッチしている。
 最後の1つは学校……穂群原学園の制服を着用した少女。栗色の髪を肩より少し上で丁寧に揃えており、体格がしっかりしていることからスポーツをやっているらしいことが伺える。
 もっとも、少年を除く2つの影は1つ、と数え間違えても無理はなかった。女性は少女の身体を背後から抱え込み、首筋に舌を這わせているからだ。少女は全く抵抗することもなく、虚ろに開かれた形の良い唇から熱い溜息と喘ぐ声を漏らすばかり。投げ出されたすらりと長い脚には女性の髪が生きているかのように絡みつき、ほとんど音を立てぬようにこすり、なで上げている。

「ん……ふぁ、あ……」

 びくん、と少女が激しくけいれんした拍子に、首筋から女性の舌が離れた。そこには2つの何かが刺さったような痕と、流れ落ちる血の筋。赤い液体を勿体ないとでも言うかのように、女性はねっとりと首筋を舐め上げた。

「どうだ? ライダー。そいつの血は美味いか?」
「――はい、マスター」
「……ん、ふ……」
「はん、そりゃ良かった。そいつは存分に弄んでかまわないぞ。まあ死んだところで代わりはいくらでもいるし」
「……ご命令どおりに」

 くちゅり、と濡れた音がした。ライダーと呼ばれた女性の指が、少女の制服の中で蛇のごとく蠢いている。どうやら音は、そこから漏れだしているもののようだ。立てられる水音に調子を合わせるように、少女がぴくぴくと身体を震わせるのもその証明であろう。

「は、ぁ……はん……」
「ハ、偉そうに大口叩いてもこのザマかよ。気持ちよさそうに身体くねらせちゃってさ」

 顔を引きつらせるように笑わせて、いつの間にか歩み寄ってきていた少年は無造作に少女の胸を掴んだ。途端、少女がぐんと身体をのけぞらせ、はあと熱い息を虚空に吐き出す。それは痛みを感じたからではなく……快楽に身を委ねている証。

「まあいいよ、僕は優しいからね。どうせだから、もっとキモチヨクしてやるよ。どうだい美綴、自分がさんざん蔑んできたこの僕におもちゃにされる気分は?」

 くく、と少年の喉が鳴る。自らの名を呼ばれたことにも気づかず、美綴綾子はとろんとした目を虚空に彷徨わせていた。
PREV BACK NEXT