Fate/gold knight 13.あおのさそい
 放課後。クラスメートはほとんどが既に教室を出て、残っているのは俺だけになった。一成にも先に出てもらい、ことさらゆっくりと帰り支度をすませる。

「……さて、行くか」

 朝よりは軽くなったカバンを手にして立ち上がる。目を閉じて周囲の気配をたどるけれど、俺には何も感じることはできない。どこからか霊体化したアーチャーが見ていてくれるはずだけど、それを感じ取ることはへっぽこ魔術師見習いの俺にはとうてい無理な話で……というか、マスターである遠坂以外の人間には関知できないんだろうなあ。

「まあ、せいぜい頑張るよ」

 多分仏頂面で俺を睨んでいるだろうあいつに、わざと聞こえるように俺はそう言った。
 教室を出て、階段を下りる。できるだけ自然にしようと思っているけれど、やっぱりどこかぎくしゃくしてしまうのは拙い。俺の意図を気付かれてしまっては、元も子もないからだ。
 俺は、学校に潜むマスターをいぶり出すための囮を、買ってでてるんだから。


 靴を履き替え、俺は改めて周囲を見回す。結界の基点を処理した成果なのか、校舎内の空気が何となく軽くなっているのは分かった。

「……けど、根本的な解決にはなってないんだよな」

 結界を展開したサーヴァント、もしくはそのマスターを排除するなり術を解除させるなりしなければ、再び結界は力を蓄える。そうして発動した結界は、学園を赤い地獄に──
 ──そこまでを口にしてしまいそうになり、慌てて周囲を再確認する。他の……魔術師でない、一般の誰かに聞かれでもしたら拙いことこの上ない。俺のように、巻き込んでしまうから。
 まあ、幸い誰もいなかったようだけど。そりゃそうだ、教師からのお達しで今日はさっさと帰宅させられることになってるもんな。
 ──だから、俺の背後に湧き出したこの気配は人間のものじゃない。

「くっ!」

 反射的に振り回したカバンに、何かがぶつかった衝撃があった。とっさに床を蹴って距離を離し、そちらの方向に視線を走らせる。
 そこに、女がいた。

「サーヴァント!」

 しなやかな長髪。
 豊満な肉体と、その身体にぴったりフィットした露出度の高い黒衣。
 恐らくは端正であろうと思われる顔、その上半分を覆い隠す無骨な眼帯。
 長い手足。
 その手に握られた、長い鎖のついた釘のような剣。
 そして、全身から放たれる、人間とは違う威圧的な気配。

「……っ!」

 身を翻して走り出す。校舎の外に出れば、体格の大きな彼女にも有利になるけれど、俺を監視しているはずのアーチャーにも有利になるはずだ。あいつも身体でかいし。

「ああもう、こんちくしょう!」

 もう少しで外に出る、と思った瞬間、俺の腕に鎖が絡まった。そのままぐいと引き戻され、放り投げられて背中を床に打ち付けてしまう。衝撃でカバンが手から離れてしまい、床を滑っていくのが視界の端にちらりと映った。

「っ……!」

 何とか身体を起こした俺の目の前に、釘剣を構えた彼女がふわりと舞い降りた。眼帯の向こうから、俺を見つめる視線が感じられる。これは──魔眼封じ?

「そこをどけ!」

 眼帯を通してすら視線に含まれているらしい魔力のせいか、身体がずしんと重くなる。それを無理矢理動かして、俺は床を蹴った。無謀だとは分かっているけれど、体当たりでもかまして少しでいい、時間を稼がないと。アーチャーが来ないのは、近くにいるかもしれないこいつのマスターを捜しているのだと、俺は思っているから。
 元々、それが目的で俺は囮になったのだし。

「……っ!」

 囮っていうのは、あくまで目標をおびき出すための餌だ。だから、さほど実力を持っている必要なんてない。特に、今回の俺の場合は。
 だから、こうやっていとも簡単に弾き飛ばされ、組み敷かれてしまうのも仕方のないことだけれど……あ、でも悔しいなあちくしょう。思いっきり力負けしてるよ。っていうか、どんどん身体が重くなってくる。頭の中に何か重しが詰まったみたいに、ずるずると意識が遠ざかっていく。

「く、この、離せ……!」
「……」

 両腕を床に押しつけられて、ぴくりとも動かせない。下半身には彼女が自分の体重を乗せてきていて、いろんな意味で動かしづらい。いや、そんなこと言っている場合じゃないんだけど。大体、身体全体が──意識までが重くなってしまって、正直動きたくない。

「……」

 彼女は言葉を発しない。しゃべれないのかしゃべらないのか、それは分からないけれど。ただ、彼女は牙を持っていることだけは分かった。くわっと開かれた口の中に、はっきりと他の歯より長いそれが見えるから。

「吸血種か……っ!」

 そのくらいは、俺でも少しは知っている。人間の血を吸って、そこから精気を得て生きる種族。いろんな種類がいるらしいけれど、今目の前にいる彼女がどれなのかは考えても無駄なことだろう。どの種族であるにせよ、今俺が彼女に組み敷かれて襲われている最中だっていうのは曲げられない事実なんだし。ああやっぱり、俺は本当に1人じゃ何もできないんだな。

「……」

 首元に、彼女が顔を寄せる。全身が重くて動かせないまま、俺は覚悟を決めて目を閉じた。ちくしょうアーチャー、せめて遠坂にはこいつのこと、伝えておけよ。


「やめろ。ライダー」

 不意に掛けられた声。それに対応するかのように、身体の上から重さがなくなった。物理的な重量も、精神的な重圧も。
 自力で動けるようになったので、ゆっくりと身体を起こしてみる。うん、倒されたときに背中を軽く打ったけれど、特に怪我もないみたいだ。助かった。

「よう、衛宮」

 俺を窮地から救ってくれた主は、俺と同じ制服を着て、同じカバンを持って、いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべてそこに立っていた。
 自分の斜め後ろにあの女を控えさせ、腰に手を当てて、これもいつもの通り少しばかり自信過剰気味な態度で。

「……慎二」

 びっくりした。
 目の前に立っているのは、間桐慎二。桜の兄貴で、俺の友人。
 こいつが、いぶり出されたマスターだってことなのか。

「はは、悪かったね衛宮。うちのライダーのしつけがなってなくてさ」
「ライダー……ってことは、お前」

 ライダー。おそらくそれは、俺を襲ってきた彼女のことだろう。うちの、と言ったってことは、慎二は間違いなくマスターだってことだ。ライダーのサーヴァントを従える、7人の魔術師のうちの1人。

「ああ、マスターさ。お祖父様の言いつけでね……ったく、いくらうちが古い魔術師の家系だからって、イヤになるねえ」

 遠坂が言っていた、冬木市にあるもう1つの魔術師の家系。それが、間桐の家だということを口にして、慎二は眉をひそめた。つまらなさそうに青っぽい髪を掻き上げながらふと振り返り、無言のままじっと立っているライダーを見据える。そうして足を軽く振り……。
 がすっ、どすという鈍い音と共に、彼女の長身が床に投げ出された。量の多いストレートの髪が、まるで蛇か何かのようにのたうって散らばる。

「慎二!」

 いくら相手がサーヴァントでも、暴力を振るうのは……まして足蹴にするなんて、駄目だ。慌てて止めようとした俺を、慎二は軽く手で抑えた。ちらりと見えた横顔は、最近よく見せるようになった不満の表情。

「いいんだよ、このくらい。僕に断りもなく衛宮を襲ったんだからな」

 がん。
 すねを蹴られて、それでも彼女は無言のまま、抵抗することもない。慎二のサーヴァントだから、慎二には絶対服従ということなのだろうか? ……うーん、セイバーやアーチャーや弓ねえが特殊なのかなあ。

「反省しろ、ライダー。今後、僕の命令を無視したら令呪を行使するからな」
「………………申し訳ありません、マスター」

 低く頭を垂れ、謝罪の言葉を口にしてライダーが立ち上がる。「ふん、分かればいいんだよ」と鼻息荒く振り返った慎二は、俺の顔を見ると肩をすくめてみせた。俺、一体どんな顔していたんだろう。

「イヤになっちゃうよ、まったく。こいつは本当に、言うこと聞かないんだから」
「だからって、蹴ることないだろ」

 俺がたしなめたら、余計に慎二は機嫌を悪くしたようだ。まあ、自分が1番って考えのあるやつだから仕方ないけれど、でも友人なんだから言うべきことはちゃんと言っておかないとな。

「……ちぇ、分かったよ。衛宮の言うとおり、さすがに足蹴ってのはちょっと問題があったよな。これからはやめるさ」

 あ、珍しい。慎二が自分から引いた。何かあったんだろうか? だけど、俺の話を聞き入れてくれて良かった。

「そ、そうか。分かってくれればいいんだ」
「何だよ衛宮、その顔は。僕だって引き際くらいわきまえてるよ」
「ああ、分かってる」

 機嫌を損ねてしまった慎二だけど、でも俺を放っていかないところを見ると分かってはくれたらしい。それに、この状況を説明してもらわないと、こちらとしても困る。情報はちゃんと集めなくちゃな……そういえば、アーチャーのやつ何やってるんだろう。あいつが俺の身を案じるとは思えないし、様子見か?
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