Fate/gold knight interlude-3.双極の花
 頬に当たる風が、とびきり冷たく感じられる。
 ボリューム豊かな金の髪がその風に煽られ、深い夜の中を一瞬のうちに駆け抜けた。

 少女はおぼろげな意識のまま、人には到底出すことのできない速度で街を通り抜け、山を登っていく。本来は寝室で着用するのみの厚手のパジャマ姿だが、それをとがめる目撃者はこのところの事件──殺人事件然り、ガス中毒多発然り──に怯えているのか、まるで存在していない。それを良いことに、小柄な少女の身体はアスファルトの上を駆け抜け、瓦屋根を蹴り、音もなく疾走し続けた。
 人間の足ならば数十分はかかりそうな行程を、彼女はほんの数分でたどり着いた。既に周囲は街ではなく山道である。そうして少女の前に現れたのは、彼女には見慣れている長い石段。昼間でもさほど人の姿を見ることのない柳洞寺への道程が、彼女を闇へ導くかのように伸びている。
 とん、と少女は地面を蹴った。靴下も靴も履いていない足が、石段をあっという間に最上段まで駆け上がる。そのまま山門をくぐり抜けたところで、彼女はふわりと足を止めた。

 そこで初めて、彼女は顔を上げた。周囲を見渡すその表情は鋭く、それでいて何かを図りかねているようでもある。まるで彼女は、自分がどこにいるのか把握できていないようだ。が、それもほんの僅か。深夜とはいえ何度か訪れて見慣れた風景を、人の数倍の能力を持つ彼女の眼ははっきりと捉えていた。

「……柳洞寺、か。ふん、あちらからわざわざ呼び寄せてくれるとはな」

 自身の状況を把握すると、彼女はふて腐れた表情になった。もっとも、自分がまんまと誰かの罠にはめられたことに気付いて、上機嫌でいられる者はいないだろう。
 周囲に視線を走らせる。以前に訪れたときより、濃密な魔力が境内には集積されているのが分かる。その魔力に紛れ、自分と同じ存在がこの場に現れることを、彼女の意識は感じ取っていた。

「──こんばんは、お嬢さん。結構早かったわね」

 冷たい空気の中、女の声が響いた。自分を呼ばれたことに気付いた弓美は声の主を見つめ、苦虫を噛み潰したような表情で吐き出す。

「我に何用だ。キャスターのサーヴァント」


 暗い闇の中に沈むような、それでいてその存在をはっきりと感じさせる紫色のローブ。顔の半ばまでをフードで隠したその女性は、うっすらと笑みを浮かべながら石畳の上を滑るように歩み寄ってくる。豪奢な金の髪と薄い色のパジャマ姿の弓美が、闇を跳ね返すかのように己を誇示しているのとは対照的だ。

「あら。私がキャスターだなんて、誰が言ったのかしら?」

 薄く微笑んだ女性の口元から、言葉がこぼれる。これも対照的というのであろうか、実に不機嫌な表情の弓美はふて腐れたまま、返答を叩きつける。

「ふん、簡単な話だ。セイバー、ランサー、アーチャー、バーサーカーの4名とは既に会うておる。ライダーとは我が弟が今日まみえた」

 そこで一度、言葉が切れた。フードの女性が僅かに首をかしげるのを待っていたように、弓美はいつもの傲慢な笑みを浮かべる。状況を考えれば彼女は魔女に囚われた姫君であるはずだが、彼女の有り様は自ずから魔女の元を訪れた女王陛下であるようにしか見えない。

「……そなたはどう見ても魔術師で、暗殺者には見えぬからのう。そうじゃらじゃら着飾っておっては、こそこそ隠れ回って相手を殺すなどできぬだろうに」

 その弓美の言葉に、女性は口の端を引いた。冷たいその笑みは、しかし弓美に何の変化ももたらさない。これが例えば相手が士郎であったならば、その背筋に冷たいものを流し込んだかもしれないのだが。

「ふふ、そうかもしれないわね。だけど、毒を用いた暗殺だってあるわよ。私も経験があるし」

 女性は歌うように言葉を紡ぎ上げる。確かに、歴史において女性が謀殺を行う場合の手段は毒が多い。男性に比べると基本的に身体能力が劣るからか、男女を問わず暗殺対象に接近しやすいからか。
 だが、弓美は自分のペースを崩すことはなかった。一瞬つまらなそうな顔になったが、すぐに目を細めてみせる。意地悪を思いついた少女のようなその表情から、毒のある台詞が吐き出された。

「ふむ、そなたの言うことももっともだ。だが、年増女の暗殺者というのはいまいち用途が限られよう?」
「なっ!?」

 それまで平静を保っていた女性の顔に、一気に赤みが差した。怒りによる紅潮であることは、たった今まで笑みを浮かべていた口元が醜く歪んでいるところを見ても明らかだ。弓美も彼女を怒らせるつもりの発言であったらしく、続けざまに毒を解き放つ。

「せいぜい、男を色香に迷わせた上で毒を含ませるなり骨抜きにするなりして使い物にならなくする、と言うたところか。まっこと限定的な使い方であるのう、ははは。しかも幼女趣味などの相手には効かぬからなあ」

 ちらちらと女性の顔を伺う弓美の顔が、露骨に悪戯っ子のそれになっている。不利な状況に陥っているにもかかわらず悠然とした態度を取り、にまにまと薄笑いを浮かべながら自分を見る少女の表情に女性は、どんどん白い頬を真っ赤にしていった。

「な、な……」
「む、いかがした? ああそうか、本当のことを言われたから腹を立てているのだな、年増女」
「だ、誰が年増ですってこの小娘!」

 年増年増と連呼され、さすがにぶちぎれたか女性が声を張り上げる。弓美の言葉に比べれば短い叫びだったが、その中の単語にどうやら金の少女は反応したらしい。ぴくりと形の良い眉を片方つり上げ、女性に負けず劣らずの声で叫んだ。

「我に向かって小娘とか抜かすか、厚化粧女!」
「黙りなさい、文字通りの小娘!」
「は、悔しかったらその顔表に晒してみよ! 目尻にしわなど寄っておる故に晒せぬのだろうが!」
「日に当たったら肌が傷むでしょうが! あなたのような遊び人、どうせ大きな胸で頭の軽い男を引っかけて好き放題遊んでいるんでしょうが!」

 互いに相手に負けないよう、声を張り上げる弓美と女性。静かな柳洞寺の境内に、女性2人の高い声が響き渡る。推定サーヴァントである魔術師とサーヴァントの会話だったはずが、どう聞いても女性同士の口論になってしまっているのは置いておこう。しかし、これだけの大声を境内で張り上げられているというのに住職一家や修行僧がまるで出てこない、というのは奇妙である。そのことに、住職の一家と面識を持つ弓美は果たして気付いているのであろうか。

「は。さてはこの胸が羨ましいのだな?」

 ふん、と鼻息荒い弓美の胸が軽く震えた。睡眠中だったこともあり、パジャマの下に下着は着けていない。にもかかわらず形を保っている彼女の胸元を、女性はフードの下から常人ならば身も凍るような冷たい、しかし憎々しげな視線で一瞥した。

「そ、そんなわけないでしょう! 胸が大きい女は頭の中身が空だとこの国では言うそうだけど、本当にそのままね!」

 どこか焦ったような早口でまくし立てる女性に、弓美は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「ははは、隠さずともよい。そうであろうそうであろう、己に魅力がないと理解しておるからこそそなたは我に羨望を抱くのだ。それは当然のこと、化粧品の匂いがここまで漂ってくるほどの厚化粧もそのせいであろうな」

 どこまでも傲慢な態度を崩さない金色の少女に、紫色の魔女はばさりとマントを翻す。その様は少女が士郎と共によく見ていた特撮番組に登場する敵の女性幹部にも重なるようで、弓美はくすりと小さく笑った。その笑みがさらに、女性の怒りを煽る。

「う、羨ましくなんかあるものですか! あなたの弟さんはどうか知らないけれど、マスターは私が良いと言ってくださってるのですからね!」

 魔女の言葉に、弓美の眉がぴくりと動いた。
 マスター。
 聖杯戦争においてはサーヴァントを召喚し、聖杯を我が手とするために戦いに身を投じる魔術師を差す単語だ。
 もっとも、その単語が彼女の口から出てきたということよりは、そのマスターの好みが出てきたということの方が弓美にとっては問題だったらしい。うっすらと笑みを浮かべ、少女は口を開く。

「ふむ。年増女を良いと喜ぶ男がそなたのマスターか……一成でも零観でもなさそうだの。あの2人はそなたを好みとはしておらぬし」

 士郎の親友である柳洞一成、その兄で藤村大河の同級生でもある零観。義父切嗣の墓がこの寺にあるということもあり、弓美は住職を含めた柳洞一家とは既に顔なじみだ。大河や、その友人との交流を通して弓美は、一成や零観の女性の好みもある程度把握もしている。
 ──少なくとも、目の前にいる魔女はどちらの好みにも合わない。
 無論、目の前にいる魔女が呼んでいる『マスター』が差す対象がその他の人物……2人の父親である住職や、柳洞寺において修行を続けている僧の誰かということは考えられる。しかし、弓美のカンはその可能性を排除していた。
 理由と言えるほどの理由はない。強いて言えば……やはり、カンとしか言いようがない。しかし金の少女は、自分の第六感とでもいうべきその感覚を信じていた。だから、自信に満ちた言葉を放つことができる。

「ああ、魔力で骨を抜いておればそれもありか。もしくは……洗脳でもしてくれたか? は、モテない年増のやりそうなことだ」
「……こちらが大人しくしていれば、いい気になって……」

 ただし、相手の機嫌を損ねるということを弓美は、全くもって考えに入れていなかった。はっと気付いたとき、彼女の目の前に立っている魔女は、拳をぷるぷると震わせていた。唇が歪んでいるのは、悔しさに歯を噛みしめているからであろう。
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