Fate/gold knight interlude-3.双極の花
「そのうるさい口、黙らせてあげるわ!」

 怒りのままに、魔女が手を閃かせる。ほんの一言、その唇が紡ぎ出した言葉が魔術となり、見えない糸を伝わって少女の身体にまとわりついた。

「ん、ふぁっ!?」

 魔術によって弓美にもたらされたのは、女を黙らせ簡単に無力化する手段の1つであり、対象にとっては最も屈辱的なものだった。
 その肉体に快感を与え、抵抗する意識を失わせるという手口。

「は、ぁあっ!」

 弓美に掛けられたその魔術は、一瞬にして彼女の身体を弓なりに仰け反らせる強力なものだった。全身をくまなく責める甘い痺れが、それまで彼女が吐き出していた毒のある言葉をあっさりと封じ込める。女性の魔力に絡め取られ、自分の意思で指1本動かすこともできないまま弓美は全身をいたぶられ始めた。

「き、さま……」

 白い頬を紅潮させ、息を荒く吐きながらそれでもなお自分を睨み付ける少女の視線が、魔女の気に入ったのだろうか。彼女はゆっくりと歩み寄り、手を伸ばせば届くほどの距離から弓美をしげしげと眺める。
 がくんがくんと、見えない手で激しく揺さぶられる弓美の身体。人間を凌駕した能力を持つサーヴァントといえど女性である弓美の意識は、しかしまだ保たれていた。冷ややかな目で彼女を観察していた魔女は、薄い唇を僅かに引いて笑む。

「うふふ。あなた、処女じゃないのね。男を知っている身体でなければ、最初は苦痛にしか感じないでしょうからね」
「は、黙れ……女を、侮るで、ないぞ……ん、んんっ……くぅ……」

 あくまで強気な態度を崩さない弓美だが、一瞬身体を震わせるとぎゅっと唇を噛みしめた。自分の口から、意思とは関係なく漏れ出す声を押さえつけるためであろう。ただ、どうしても荒くなる吐息、それに紛れてこぼれる声を押しとどめることはできなかった。
 今のところ、彼女の身体を支配している感触はあくまで皮膚の表面を対象としているらしい。そのせいで弓美は焦らされている形になっている。皮膚全体を這い回る感触がおぞましく、心地よい。
 心地よい。そう感じた自分に、弓美はぞっとした。

 記憶を失い、衛宮家の長女となってから10年。その間、彼女は男に身を委ねたことは全くない。すぐそばに男性は2人いたが、1人は父でもう1人は弟であり、淫らな欲求の標的とはなり得なかった。彼女自身、そもそも性行為の存在を意識したこともまるでない。

 ──もし、魔力不足を認識できたら、僕に言いなさい。その……少しくらいなら、供給できると思うよ。

 養父から自分の正体を知らされたとき、切嗣はそう言って弓美の顔を覗き込んだ。その意味を、何故か弓美は説明される前に認識することができた。
 他人同士の魔力の融通手段として最も効率が良いのは、体液の供給。中でも子を成すために分泌されるものが、その中に魔力を多量に含んでいる。
 つまり、切嗣は弓美の維持手段として自分が彼女を抱くという方法を提示したのだ。

 ──士郎に知られぬならば、良い。

 弓美はそう答えた。答えてから、自分の顔や耳が真っ赤になっているのが自覚できた。記憶が消える前の自分はこんな性格だったのだろうか、という疑問は心の隅に押し込めて。

 ──うん、分かった。でも、僕がいなくなってから問題が起きたら、どうするんだい?
 ──……我は、士郎にだけは、知られたくない。
 ──そっか。だけど、自分の身体はちゃんといたわるんだよ。君は女の子だからね。

 そんなやりとりを、まだ幼い士郎が眠っているその枕元で交わしたのは今考えてもどうかと思う。切嗣もそれにすぐ気がついて、士郎が起きていたらどうしようかと困ったように笑っていたことを、弓美は覚えている。
 結果的に切嗣の危惧したような事態に陥ることはなく、弓美は少なくとも『衛宮弓美』として存在しているこの10年間一度も魔力不足を感じたことはない。正直、男と粘膜接触だの体液交換だのという話は自分に関係ないものだと思いこむようになっていた。

 それなのに、分かってしまった。
 恐らくは消え去った記憶の中に、男に足を開いて快楽に耽っている自分がいるのだと。
 腰を振り、甘い声を上げ、他人の体液を己の中に流し込まれることに悦びを感じている自分が、存在していたのだと。

「……だから、思い出したくなかったの、だろうな……」

 そんなことが分かってしまうから、弓美は過去の記憶などどうでもいいと思っている。
 可愛い弟と、喧しいけれど自分たちのことを思ってくれる姉妹と、今の生活があればそれでいいのだから。

「お馬鹿さん。男に抱かれるのが好きなら、はっきり言えば良いのに」

 弓美の呟きが聞こえなかったかのように、魔女が手を伸ばす。無造作にパジャマの上から少女の右胸を鷲掴みにし、その手に力をこめた。軽く捻ると、少女の顔が苦痛に歪む。『捻る』だけの余裕がある乳房は弾力もあり、魔女はそれを捏ね回しながら冷たい笑みを浮かべた。

「んんっ!」
「あら、痛いの? 嘘おっしゃい、こうされるのも好きなんじゃないのかしら? お嬢さん」

 整った口元から流れ出る言葉は、少女を嘲る口調。この魔女は、弓美を嘲り罵りながら辱めることを心の底から楽しんでいるように見える。その感情を露わにした視線が自分に突き刺さることに、弓美はぎりと歯を噛みしめながら耐え続けた。

 この状況で、助けが入るとは弓美は全く思っていない。士郎、セイバー、凛、アーチャー……4人の内誰かが自分の不在に気付くことはあるだろうが、その現在地を特定することは自分の後を追って来ていない限り不可能だろう。実体化しているサーヴァントの居場所は、ある程度の距離までならばサーヴァント同士把握することができる。しかしこの柳洞寺は既にキャスターの支配下にあると見ていい。故に、濃密すぎる魔力に弓美の存在が紛れてしまうという可能性もあった。第一他のサーヴァントと異なり、弓美は10年前の時点で肉体を得た存在だ。今回聖杯により召喚された彼らとは、認識のされ方が異なっているかもしれない。そもそも士郎を殺しに来たランサーは、セイバーがアーチャーと呼ぶまで弓美をサーヴァントだとは気付かなかったではないか。
 だから、弓美は自力で耐え続ける覚悟だけはできていた。事の次第は分からないが自分は罠にはまり、下衆な女の手に落ちた。助けの手が伸びてくる当てがないのならば、相手があきらめるまで耐えきるしか逃れる道はないのだから。
 しかし。

「うふふ、本当に男好きする身体なのね。分かったわ、たっぷりと歓迎してあげましょう」

 寝衣ごしに自分に触れているキャスターの手のひらから、魔力が注ぎ込まれる。途端、少女の身体を甘い束縛が戒めた。既に我慢の限界を迎えていた弓美はもう声を抑えられず、その口からは悲鳴がほとばしった。

「あ、ん、やああああっ! なに、なにを……っ!」
「ご住職もその息子さんたちも、きっとあなたを可愛がってくれるわよ。快楽に溺れて、私のお人形になりなさい」

 弓美を掴んでいた手を、まるで汚いものを持っていたかのように軽く払いながら離れた魔女が、楽しそうに笑う。無意識のうちに身体を震わせながら弓美は、魔女の言葉の意味を必死で読み取る。
 つまり、柳洞の一家は。

「……きさ、ま……やはり、皆を、あやつ──あ、はんっ!」

 形のない魔力の愛撫が弓美のツボを捉えたのか、びくりとひときわ激しく少女が震えた瞬間……ぷつり、と切れる音がした。と同時に弓美の身体が、がくりと膝から砕けて落ちる。全くの無防備な彼女をキャスターの手が捉えるより早く、2人の間に人型の障壁が生じた。

「──っ!」
「ふん。様子を見ているだけのつもりだったが、私も大概人が良いらしいな」

 ふわりと弓美の目の前に降り立ったのは、黒白の双剣を両手に構えた赤い衣の青年だった。白化した髪が、雲の隙間から差し込む月の光に映える。聞き慣れた声で叩かれる悪態が、弓美の耳にはいっそすがすがしい。

「……アー、チャー」
「無事か? 魔力の糸は断ち切った。奴の支配からは逃れているはずだ」

 ちらりと肩越しに視線を投げられ、慌てて身体を動かしてみる。指先、手のひら、腕、脚。動かそうという己の意思に従い、弓美の身体はあっさりと動いた。たった今まで何もできず、弄ばれ続けていたのが嘘のようだ。

「うむ……そのよう、だの。済まぬ、はぁ……手間を、掛けた」

 全身に残る気怠い快感を押し止め、今度は自分の意思で立ち上がった弓美。その右手に、愛用の剣がしっかりと握られているのを視界の端で確認して、アーチャーは薄く微笑んだ。弓美からは見えないように。

「全くだ。何で私が、君の面倒まで見なければならないのかね? 弟を持つ身ならば、もう少ししっかりしていただきたいものだが」
「やかましい。……んっ……説教は、後で聞く。それよりも……優先事項があろうが」

 乱れた髪を掻き上げ、弓美は油断なく剣を構えながらアーチャーに寄り添う。白い肌は赤く染まり汗に濡れ、アーチャーは思わず目をそらした。その表情に一瞬士郎の顔が重なって、弓美は奇妙な表情を浮かべる。
 互いに視線を交わさないまま、2人は共通の敵に相対する。赤い瞳と灰色に灼けた瞳が見つめるのは、紫の衣をまとう魔女だ。

「そうだな。確認させてもらおう……キャスターと見たが、間違いないか?」

 魔女はその問いに、くくっと喉を鳴らした。軽く広げられた両手が、ふわりと淡い光を点す。

「ふふ。隠すつもりもなかったのだけれどね……そう、私はキャスターのサーヴァント。アーチャー、そしてお嬢さん、私の陣地へようこそ」

 両手の光が、柳洞寺の境内を柔らかくしかし冷たく照らし出す。その光が収まっていくと同時に、地面の土がぼこぼこと盛り上がり始めた。とっさに背中合わせになり剣を構える2人のアーチャーを取り囲むように出現したのは、全身が骨で構成された兵士だった。数は十数体ほどであろうか、その手には剣を構えている。

「たった2人で、この状況を突破できるかしら? もし生き延びられたら、お嬢ちゃんは今度こそ私のお人形さんにしてあげる」

 兵士たちの向こうから、キャスターがからからと場にそぐわないほどの明るい笑い声を上げる。その声を聞き流しながら、アーチャーと弓美は冷静に周囲を見つめていた。恐らくはキャスターの命令と共に、一斉に攻め込んで来るであろう骨の兵士たちを。


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