Fate/gold knight interlude-3.双極の花
「ふむ。これは……竜牙兵か」

 僅かに目を細め、アーチャーが呟いた。その言葉の意味を、弓美は自分の記憶の中から引きずり出す。義父切嗣が2人に買い与えた、いくつかの神話に関する本の中に確か、その単語が存在したはずだ。

「竜牙兵、魔女……毒を用いた暗殺。なるほど、関連を考えるとキャスターは……コルキスの王女か」

 弓美も目を細める。ギリシア神話の本に描かれていた、ある船に関する物語。その話を、彼女は思い出したのだ。

 王位を手にするため、宝物を入手すべくコルキスの国を訪れた王子イアソン。コルキスの王女メディアはイアソンに一目惚れし、彼が目的を達成するためにその魔力を以て助力した。竜牙兵は直接彼女が関わったわけではないが、イアソンに対する障壁として登場する。そうして……紆余曲折の果て、捨てられたメディアはイアソンと結婚しようとしたある国の王女とその父親を、毒を以て殺害した。

「っ!」
「コルキスのメディアか……なるほど。魔術の能力も申し分なかろう」

 息を飲んだキャスターに、弓美は自分の推測が正しいことを確信した。アーチャーもほう、と感心したかのように目を見開いている。彼も、その名前には覚えがあったようだ。

「ああ、なれば前言は撤回しようぞ。そなたならば暗殺者にも相応しかろうよ。それとも、意に介さぬ相手は八つ裂きにして茹で上げるか?」

 が、続く弓美の台詞が彼の顔を引きつらせた。正気を取り戻した弓美がこのような発言をすることはアーチャーも予想できたはずだったのだが、直前までの彼女が頭にあった彼はついその可能性を失念していたのだろう。
 しかしどう考えてもこの台詞、キャスターを挑発しているようにしか聞こえない。そして事実、キャスターは顔を真っ赤にして叫んだ。

「! 馬鹿にしないで、私の気も知らないで! じっくりいたぶってあげようと思ったけれど、気が変わったわ!」
「どちらにしろ、最初から我らを逃す気なぞさらさらなかろうに。大げさな」
「……だからといって、怒らせるのはどうかと思うが……」

 逆上したキャスターに対し、アーチャーと弓美は冷静さを失っていない。というか、弓美はようよう常態復帰したばかりで、アーチャーは弓美の台詞に言葉を失っているだけなのだが。思わず頭を抱えそうになり、両手の剣に気付き慌てて構え直すアーチャー。弓美のボリュームのある髪が彼の背中に触れたと思った瞬間、キャスターがひときわ声を張り上げた。

「竜牙兵、その2人を殺しなさい!」

 がしゃがしゃ、と骨同士がこすれ合う音が一斉に響いた。わっと群がってくる竜牙兵を、3つの刃が同時に叩き斬ろうとする。だが、肉のない骨だけで構成されたそのボディにがきりと押し止められた。それに気づき、アーチャーは黒の剣を消すと弓美の手を掴んで横っ飛びに逃れる。たった今まで弓美の頭があった空間を、竜牙兵のなまくら刀が横薙ぎに振り抜けた。

「む、済まぬなアーチャー」
「気にするな。しかし、さすがに拙いな」
「相手が骨だ、剣で調理しにくいのは致し方あるまい」
「確かにな」

 起き上がりざまに1体を蹴り飛ばし、関節部分を剣で狙いながら体勢を立て直す弓美。一瞬顔をしかめたのは、先ほどの快楽の残滓がまだ残っている証拠であろう。アーチャーは再び具現化させた黒の剣と元から持っていた白の剣を巧みに操り、竜牙兵の刃をいなしながら1体、また1体と破壊していく。
 そんな中、ちらりと弓美に視線を投げ、赤の弓兵は口の中だけでぼそりと呟いた。

「これがあいつだったなら、心おきなく巻き込んでやったものを」
「あいつ? 士郎のことか?」

 即座に問うてきた弓美に、アーチャーは思わず肩をすくめる。この少女の前で、迂闊に士郎のことを口にはできないなと悟ったらしい。そうでなくとも、彼女が過剰なまでに弟思いであることは思い知らされているはずなのだが。

「そうだ……ああ、済まない。非難は後でいくらでも受けよう」
「当たり前だ、馬鹿者」

 吐き捨てるように答えた弓美の右手が、無造作に剣を放した。すっと伸ばされた手にふわりと布がまとわりつき、その隙間から彼女には少し大きすぎるサイズの籠手がかいま見える。そうして、弓美がもう一度握り直したのは剣の柄ではなく……彼女には大きすぎるほどのハンマーの、短い柄だった。

「行けぇい!」

 どこから出現したのか分からないそれを、弓美は当たり前のように勢いをつけて投擲する。ブォン、と唸りを上げ回転しながら飛び回るハンマーは、次々に竜牙兵を打ち砕いていった。

「弓美! あまり無理をするな!」
「あいにく、そう言われて引っ込むように我はできておらぬ! ……くっ」

 アーチャーの叫びに答えつつ、戻ってきたハンマーを受け止めた弓美の顔が歪む。元々サイズからして彼女には大きすぎる武器を、投擲してさらに受け止めるのはサーヴァントである彼女にすら過度の負担を強いるものであるらしい。右手を包む籠手のおかげで、その負担はかなり軽減されてはいるようだが。
 がくりと片膝をついた弓美を見て、竜牙兵2体に自らを護衛させているキャスターは楽しそうに微笑んだ。突然出現した武器には一瞬驚いた表情を見せたものの、それを扱う少女が耐えきれないことに気付いたからだろう。

「あらあら、面白い武器を持っているようね。だけど、いつまで耐えられるかしら?」

 彼女の声と共に、再び十数体の竜牙兵が地面から生える。砕けた同種の欠片を乗り越えるように歩み寄ってくるその姿に、弓美は眉をひそめた。

「そう言えば、かの竜牙兵は地を耕して牙を蒔けば勝手に生えてきおったな」
「さすがに放り投げられるような岩もないな。なかなか厳しい状況のようだ」

 態勢を立て直し、ハンマーを構える弓美。右手に絡まった布をそのまま腕に巻き付け、動きの邪魔をしないようにまとめる。
 再び弓美と背中を合わせ、双剣を消すアーチャー。次なる手があるのか、彼が苦み走った笑みを浮かべ呟きを始めた、その時。

「……ん?」

 ふと、アーチャーが顔を上げた。つられて弓美も、視線を空へと移す。
 次の瞬間、アーチャーは腕の中に弓美を抱え、地面にうずくまった。と同時に。

 ドガガガガガッ!

「な……!」

 雨あられのごとく、槍が降り注いだ。鋭い雨は竜牙兵をことごとく刺し貫き、地面に縫いつけることでその動きを止める。意外な方向からの攻撃に、一瞬キャスターの反応が鈍る。
 その隙を見逃す、アーチャーではない。おあつらえ向きに、正門に至る道には槍が降っていない。

「……っ! しっかりつかまっていろ!」
「え!? きゃ、きゃあっ!」

 腕の中にいる小柄な少女をがばりと横抱きにし、低い姿勢から地面を蹴る。思わず悲鳴を上げてしがみついた弓美をしっかりと抱えたまま、あっという間に赤の弓兵は正門から外へと飛び出した。かなりの速度が出ているから、そのまま石段を飛び降りるつもりだろう。

「な、待ちなさい! くっ!」

 降り注ぐ槍を避けるために魔力で見えない盾を作り出す、それがキャスターには精一杯できることだった。
 十数秒降り続けた槍の雨は、始まったとき同様唐突に終了した。一面に突き刺さっていたはずの槍も、一瞬吹いた風に流されるように消えていく。そうして後に残されたのはキャスターと、砕けた骨と、無数の穴が空いた地面だけだった。

「……くっ。逃げたわね……」

 骨を1つ、爪先で悔し紛れに蹴り飛ばす。からんという音すらなく、白い塊はさあっと粉状に崩れて消えた。

「もう少しで、可愛いお人形が手に入ったものを」

 フードの下の顔が歪む。元々端整な顔立ちであろう女の顔が憎悪に歪む様は、その姿を写し取ったものである般若の面そのままであった。
 わざと竜牙兵の残骸を踏みつけながら、キャスターは広い空間の中央まで歩み出た。雲の隙間から顔を覗かせている月を睨み付け、それから正門に視線を移す。微かに聞こえていた喧噪も既になく、敵が撤退したということはわざわざ探知の魔術を使うまでもなく彼女には把握できた。

「それにしても、頭に来るわね……偵察しかさせてもらえない、飼い犬の分際で」

 だから、彼女には分かった。
 せっかくの好機をフイにしてくれた、もう1人の存在も。
 もっとも、彼女にはそれをどうしようというつもりは毛頭なかった。いつでも排除できると、そう彼女は考えていたから。


「ちっ、やかましいってんだ」

 森の中。
 手元に戻ってきた愛用の赤い槍を空気の中に溶け込ませ、青の槍騎士はわざとらしく舌打ちをする。つまらなそうな表情で、吐き捨てるように呟いた。

「……これでいいんだろ、マスター?」

 その場には、ランサー以外の気配はない。遠隔地にいるであろう主の声に耳を傾け、青い髪を軽く掻きながら僅かに首を捻る。そうしてランサーは、言葉を続けた。

「つーか、何であの嬢ちゃんにてこ入れすんだ? 本来、今回の参加者じゃねえんだろ」

 不思議そうな顔をして、ランサーは視線をゆっくりと動かす。その視界に写るのは、アーチャーに庇われるように山門を飛び出してきた弓美。
 しばらく金の少女を目で追っていたランサーだったが、一瞬むっと顔をしかめ肩をすくめた。どうやら、マスターの言葉があまり気にくわないものであったらしい。

「あーはいはい、もう聞かねーよ。分かったから青筋たてんな、こっからでも分かるぜ。マスター?」

 自分自身が青筋を立てながら、げんなりした顔になるランサー。表情が豊かなのは良いが、見ている人物が誰もいないのがもったいない。凛や弓美が見ていようものなら百面相だと笑われていただろうに。
 ややあって、ランサーは顔を上げた。既に百面相もどきの表情は影を潜め、鋭い狼のごとき視線が周囲を伺う。

「わーったよ。今夜はここまで、引き上げだ」
 ぼそりと呟かれた言葉が消える頃には、青の姿は跡形もなく消え去っていた。
PREV BACK NEXT