Fate/gold knight 15.ぐんじょうのやいば
 きぃん、と金属同士がぶつかった音が鳴り響く。一瞬バランスを崩しかけ、青の騎士は自身の重心を低くすることで己が弾かれ、姿勢を崩されるのを防いだ。

「くっ」

 セイバーが石段を踏みしめ、態勢を立て直そうとする。そこに降り注ぐのは、月の光にも似た刃。非常識と思える長さの日本刀は優男の手によって易々と振り回され、雨あられのごとくセイバーを襲う。あくまで狙いはセイバーに限られ、その背後にいる俺と遠坂までは届かないのは奴の腕か、上手く防いでくれている彼女のおかげか。

「そらそら、防ぐだけでは先には進めぬぞセイバーよ」
「黙れ!」

 ひときわ大きく剣を振るい、その勢いに乗って一歩先へと進むセイバー。石段が伸びる先を見上げる彼女の視線、その先にはセイバーとは僅かに違う色彩の、青の剣士が立っている。長い刀を軽々と片手で、両手で操り、セイバーと俺たちの進路を塞ぐ奴は、楽しそうに笑った。無邪気に、やっと焦がれた時が来たとでも言うように。

「今宵は実に気分が良い。異国の剣士と、こうやって心ゆくまで刃を交えることができるのだから」

 そう、夜の空によく通る声で呟いて、奴──アサシンは再び刀を舞わせた。


 少しだけ、時間をさかのぼってみる。
 弓ねえの気配を追いかけるアーチャー、奴の背中を見送るのもそこそこに、俺は土蔵を飛び出した。アーチャーの後を1人で追うなら簡単……いや簡単というわけでもないけれど、自分の脚を強化して追えばいい。だけど、そういうわけにもいかなかった。
 アーチャーは、弓ねえが出て行ったと俺に告げたとき異様に緊張していた。サーヴァントであるあいつの緊張……つまるところ、何らかの危機。そして、冬木市の夜に起こる危機というものの原因は、そのほとんどが1つところから出てくるものだろう。
 聖杯戦争。
 そもそもサーヴァントは、その戦争を戦い抜くために召喚される存在。そのサーヴァントが緊張するような危機といえば、恐らくは敵対するサーヴァントの動向であるはずだ。即ち、弓ねえを走らせているモノこそが敵対勢力のサーヴァント、ということになる。少なくとも可能性は高い、と俺は思う。
 それはつまり、アーチャーが弓ねえに追いついたとしてその場には敵のサーヴァントがいる可能性が高い、ということだ。俺が単独でのこのこ出て行ったりしたら、すぐさま死体なり人形なりに変化してしまうのが関の山。いや、形が残っているだけましなのかもな。下手したら肉塊だったり血痕だったり──
 ──黒こげの、死体。
 赤い世界にごろごろと転がるもの。
 焼けた家と区別がつかないくらい、真っ黒に焼けたほんの少し前まで生きていた、ナニカ。
 しっかりと目を開いて見なければ、焼けた木との区別もつかないだろう、ナニカ。

「う……」

 一瞬、胃の中のものを戻しそうになって口を押さえる。ええい、あんな風景思い出している場合じゃない。
 確かにあの世界は俺から何もかもを奪ったけれど……弓ねえからも全て奪ったけれど。
 俺は、何もかもを置き去りにして生き延びたけれど。

「セイバー! 遠坂! 悪い、起きてくれ!」

 それでも、手に入れた家族をもう失いたくはなかったから、俺は自分にできる精一杯のことをする。
 1人でできないことならば、誰かの手を借りるしかないんだから。

「何でしょうか、シロウ!」

 母屋に駆け込んだ俺の声で、セイバーが即座に部屋から飛び出してきてくれた。既に青のドレス、その上に銀の鎧というサーヴァントとしての正装だ。

「何よ……ったくもう」

 離れの部屋にいた遠坂はというと、少し遅れて不機嫌な表情でだけど飛んできてくれる。猫柄のパジャマの上に厚手のカーディガンを羽織って……悪い、寝てたかな。普段はツインテールになってる黒髪がすとんと落ちているのは、結構新鮮だ。

「……あれ、アーチャーがいない」

 ぼんやりとした顔で、きょろきょろと周囲を見回す遠坂。既にアーチャーは弓ねえを追っているから、この家にいないのは当然といえば当然なんだけど。その辺も、俺がきちんと説明しなくちゃならないよな。

「簡潔に言う。弓ねえが外に出た。アーチャーは弓ねえを追っかけてる」
「……は?」

 だからとりあえず端的に事実だけを述べたら、2人は目を丸くして俺を見つめた。う、言葉が足りなかったかな。けど遠坂、この説明方法はどっちかと言えばお前のやり方だぞ。

「何で弓美さんが外出しただけで、わたしのアーチャーが追いかけるような事態になるのよ?」

 ずずいと詰め寄ってきたのは遠坂。胸ぐらを掴むのはやめてくれ、それと反対側の手を光らせるのも。今はそんなことしている場合じゃないんだから、と心の中だけで呟きながら俺は、ゆっくり遠坂の手を外した。それから、セイバーと遠坂を見比べながら、自分でもぞっとするほど冷静に、事情を説明する。

「弓ねえは寝るのが大好きなんだよ。よほどの用事がない限り夜中に、しかも勝手に外には出ない。それに、アーチャーが言うにはどうやら、全速力で突っ走ってってるらしい。あいつも何だか緊張してた」
「……臭いますね」

 俺の説明で、セイバーは納得してくれたようだ。まあ、弓ねえが藤ねえも呆れるほどブラコンなのは数日見ていれば分かるだろうからなあ。好かれる俺も悪く思っていないから、余計に。

「なるほど。何かある、ってことね」

 遠坂も、軽く首を捻りながらも頷いてくれた。自分のサーヴァントが、マスターである自分に一言も無しで飛び出していくような事情だしな。
 ……だからって、俺をジト目で睨み付けないでくれるか?

「けど士郎、勝手にわたしのサーヴァント使わないでくれる?」
「そりゃアーチャーに言ってくれ。俺はセイバーに頼もうと思ったんだけど、あいつが勝手に追いかけてったんだからな」

 誰が勝手に使うか。
 冗談じゃない、そんなことをしたら即制裁を受けるのは目に見えている。それに、あいつは何となく……そう、何となくだけど感じるモノがある。
 俺が使うモノじゃない、俺がそんなことをして良いモノじゃない。
 あれは、俺にとっては越える壁。
 ほんの一瞬だけ、俺の脳裏にそんな言葉がよぎった。

「あら……あーいーつーめー、同じアーチャーだからってー!」

 遠坂は拳をぐっと握りしめ、今にも月に向かって吠えそうだ。俺、遠坂には猫っぽいイメージがあるんだけど、遠吠えをするのは基本的に犬系だよなあ。いや、そうじゃなくって。

「遠坂、文句は後で聞くから。それでセイバー」
「分かりました。わたしはアーチャーの気配を追えばいいのですね」

 壁に向かって正拳突きの真似事をしている遠坂は置いておいて、セイバーに視線を移す。彼女は自分のすべきことをきちんと心得て、こくりと頷いてくれた。アーチャーは実体化したまま弓ねえを追うって言ってたから、セイバーなら気配を追いかけていけると思う。もっとも、セイバーよりもよりはっきりとアーチャーの動向を把握できる人間はここにいるけれど。

「うん、そういうことなんだけど……遠坂、アーチャーがどっちに行ってるか分かるか?」
「え?」

 該当者、つまりアーチャーのマスターである遠坂は、俺に言われてやっとそのことに気付いたらしい。俺の声が届かなければ、今頃柱の1本も折れていただろう。

「あ……あー、そうね。ちょっと待って」

 一瞬ぽかんと俺を見つめた後、遠坂が慌てて耳元に手を当てた。パスがつながっているアーチャーの気配を追いかけているのだろうか。

「そうか、凛ならば分かりますね」
「そうだな。そうなると……セイバーには護衛を頼むことになるか。向こうのサーヴァントに攻撃される可能性があるからな」

 弓ねえとアーチャーがいない今、俺と遠坂がサーヴァントと相対した場合に頼れるのはセイバーだけだ。俺も遠坂も、サーヴァント相手にまともに戦って勝てるとは考えない方がいい。何しろ俺、10年も一緒に暮らしていて弓ねえに勝てないからな。いやあ、間近に見本があるといいなあ。自分の弱さがはっきり分かって情けない限り。
 ……姉を守るのが、弟の役目なのに。
 俺は一体、何をやっているんだろう。

「お任せを。わたしはシロウの剣、あなたの指示に従います」

 真剣なまなざしで俺を見つめ、そう言ってくれるセイバーに、俺は頷くことしかできなかった。女の子に守られ、女の子に救われ、かろうじて生きながらえている俺は──それしかすることがない。

「んー……あ、アーチャー。士郎から話は聞い……え、柳洞寺?」

 一瞬だけ気まずくなった場の雰囲気を引き戻したのは、遠坂の声だった。まるで携帯電話で会話しているかのように、耳に手を当てたままここにはいない奴の声を聞き取り、口にする。機器異常や電波障害があっても届くんだから、ある意味携帯より便利かもな。
 だけど、遠坂が口にした最後の言葉に、俺はぞっとした。

「柳洞寺……」

 一成とその家族が住んでいる寺。切嗣が眠っている寺。そして、恐らくはキャスターであろうサーヴァントが根城としているらしい、その場所。
 アーチャーが向かっているってことは、つまり弓ねえはそこにいる。それはつまり……

「推定キャスターが、魔術で呼び寄せた?」
「多分ね」

 俺の単純な推測を、遠坂は頷いて肯定する。この場合何故だ、と理由を聞くのは意味がない。理由なんてものは、弓ねえが無事に戻ってきてから考えればいいことだ。
 だけど、魔術で呼び寄せるなんてことができるんだろうか。うちには親父が生前に構築した結界が存在していて、さすがに敵の排除はできないけれど敵意のある存在を関知することはできるんだし。
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