Fate/gold knight 15.ぐんじょうのやいば
「相手がキャスターなら、魔術の専門家よ。先に糸張るなり何なりして、うまく結界をすり抜けることくらいできるでしょ。だいたいこの結界、敵意がなければ反応しないんでしょう?」
「ああ、それは……そうか」

 遠坂の説明に、何となく納得がいった。
 前もって弓ねえと自分との間に、魔力か何かでラインを結んでおく。それを使って呼び寄せれば、弓ねえは引っ張られるように柳洞寺に向かうってことか。魔力自体に敵意とか悪意とかがこもるわけじゃないから、結界は反応しない。物理的に糸が存在するわけじゃないから、触っても分からない。
 そうやって、柳洞寺にいる誰かは、弓ねえを連れ出した。
 俺がふがいないばっかりに。

「はい、自分を責めるのはやめる。悪いのは推定キャスター、この際あんたのへっぽこぶりは関係ないの」

 歯がみしていた俺を慰めたいのか追い打ち掛けたいのかはたまた笑いたいのか、遠坂はそんなことを言ってきた。確かに、凹んでいる場合じゃないんだけどな。凹むだけなら後でもできる。
 と、ふと遠坂の姿に気がついた。そうだ、彼女は寝ていたんだからパジャマ姿じゃないか。いくら何でもそのままで出て行くわけにはいかないよな。弓ねえみたいに、そのままで外に出られるものじゃないんだし。

「あ」

 遠坂自身も自分の姿に気付いた。というか、多分俺の視線が気になったんだろう。慌ててカーディガンの前を掻き合わせる仕草は、ちゃんと女の子の仕草だなあ。これが弓ねえだと、「何じゃ気になるのか?」なんて言いながらふんっと胸を張ってみせるから。いくら姉弟だからって、俺も男なんだから少しは気にしてほしいもんだ。

「ちょっと待ってて。着替えてくる」
「了解。俺も着替えるつもりだし。セイバー、先行するか?」

 今は2月で、時刻は深夜。室内着だけではすぐに身体を冷やしてしまうことが分かっているから、遠坂はあえてそう口にしたんだろう。俺も、小さく頷いて答える。そうして、既に戦闘準備完了しているもう1人の彼女へと視線を移した。彼女1人なら、先に出ることができる。きっとアーチャーにもすぐ追いつけるだろう、とそう思っただけなのだけど。

「……いえ、待ちます。わたしが先行した場合、シロウと凛はわたしに追いつけないでしょうし……別のサーヴァントに襲われた場合に守れません」
「それもそうか」

 だから、セイバーにそう指摘されて納得した。確かにキャスターだけが敵というわけじゃない。ランサーやバーサーカーに襲われたら、恐らく次の朝日は拝めなくなる。

「分かった。すぐ支度するから待っていてくれ」

 そう言い置いて、俺は自分の部屋に飛び込んだ。手早く着替えるだけだから、5分もあれば終わるはずだ。遠坂がどうかは知らないけれど。


 雲の間から月の光が差し込んでくる。ほんの一瞬俺の顔を照らした月は、あっという間に雲の向こうに姿を消した。
 冬の夜の空を、俺たちは普通の人間にはちょっと出せないような速度で滑空していく。
 こんな時間の空気はただでさえ冷たいのに、移動速度の早さからよけいに気温が低く感じられる。ほんの少し家を出るのが遅れたとはいえ、きちんと外出用の服に着替えてきて良かった、と俺は思った。一緒にいる遠坂も気持ちは同じだろう……とはいえ、俺が小脇に抱えている姉用のコートには眉をひそめられてしまったわけだが。いいじゃないか、どうやら弓ねえ、パジャマのままで出かけてしまったみたいだし。

「はー、さすがに夜中は冷えるわねえ」
「今日は一段と寒いよな……風のせいか?」
「多分ね」

 遠坂の返事に頷こうとして、ぐっと歯を噛みしめた。着地の衝撃で舌を噛みそうになったからなので、これはまあ仕方がない。一蹴りで数十メートルの距離を移動するのだ、当然衝撃は大きなものになる。その衝撃を上手く殺せないのも、これはまあ仕方のないことで。
 ちなみに、遠坂の準備時間は15分ジャストだった。髪をまとめるのに少し時間が掛かった、とは彼女の弁だ。むしろ、そんな短時間でおねぼけモードからいつものモードに切り替えられるあたりが俺としては驚異だ。女って凄い。

「シロウ、凛。大丈夫ですか?」

 平然と滑空を続けるセイバーが、俺たちを覗き込むようにして気遣ってくれる。月夜の空に、淡い金の髪がよく映えるなあと思いながら、俺は小さく頷いてそれに答えた。

「ああ、何とか。迷惑掛けるな、セイバー」
「わたしも大丈夫よ。気にしないで」

 セイバーを挟んだ向こう側から、遠坂のよく通る声が聞こえた。セイバーは「そうですか」と僅かに微笑んで、再び屋根を蹴る。住民の人には驚かせちゃったなら悪いなとは思うけれど、俺自身はそれどころじゃないので知らないことにする。そうして、ぎゅっと目を閉じた。自分を支えてくれている腕にしがみついて、コートを落とさないように握りしめ、呼吸を整える。一番手っ取り早い方法とはいえ、どうも手持ちぶさたというか、心許ないというか。
 夜更けの深山町を柳洞寺のある円蔵山に向け、俺と遠坂はセイバーの両脇に抱えられて空中を移動中だ。いや、いろんな条件を考えてもこれが一番早い移動方法なんだろうけど、何だかなあ。

「士郎!」

 何度目かの空中で、遠坂が俺の名前を呼んできた。「何だ?」と答えたら、意地悪そうな目つきでこっちを睨んでる。いや違った、あれは面白がってるって顔だぞ。弓ねえが俺に意地悪言うときとかにするのと同じ表情だし。ちくしょう、俺はそういうタイプの女性から離れられない運命なんだろうか。

「アーチャーから連絡。弓美さん発見、何とかして保護するから安心しろへっぽこ、ですって」
「……そっか」

 だけど、その口から漏れた言葉……アーチャーからの伝言にほっと息をつく。あいつはどこか気にくわないところがあるけれど、きっと言ったことはちゃんとやってのける奴だと思うから。思うんだけど、何だよその言いぐさは。

「へっぽこは余計だ。姉貴に傷つけたら許さないぞって返信頼む、遠坂」
「了解〜。どこまでシスコンなんだか」

 少しむかつきつつ、遠坂に伝言を頼む。確かに俺がシスコン気味なのは認めるけど、先行を申し出たのはあいつの方だ。俺が少しくらい強く出たっていいじゃないか。遠坂、何でそんなに楽しそうなんだよ。俺の弱点見つけたとか、そんなこと思っているんじゃないだろうな。俺は弱点だらけなんだから、1つ押さえたところで意味はないぞ。
 ……自分でそう思ったことに気がついて、俺自身苦笑を浮かべた。
 確かに俺は、弱点だらけだ。人より秀でたところなんて、取り立てて思い当たらない。せいぜい、自分に備わった解析能力を生かして機械の修理ができるくらいだ。他には──他人とは違う投影、くらいか。あ、あるものだなあ。

「姉弟仲が良いのはいいことではありませんか、凛」

 俺たち2人を両脇に抱えたまま平然と跳躍を続けるセイバーが、苦笑の声と共にそんな言葉を漏らした。その言葉に遠坂があ、と吐く息に紛れるような小声を上げたのを、俺の耳はちゃんと拾っていた。遠坂は1人っ子みたいだから、きょうだいのこととかって分からないんだろうか。だけど、桜と並んだところはまるで姉妹みたいだったけどなあ。

「苦労するんですよ、姉と仲が良くないのは」
「えっ?」
「あらセイバー、あなたお姉さんいたの?」

 セイバーの溜息混じりの言葉には、遠坂だけじゃなく俺も思わず反応してしまう。身じろぎを、自分の腕を通して感じ取ったセイバー……あ、少し腕に力が入った。うっかり口にしてしまったけれど、あまり思い出したくないことだったのかな。

「……え、ええ、まあ」

 口ごもったセイバーの足が止まる。顔を上げると、そこには見慣れた石段の下の端。いつの間にか、目的地に到着していたようだ。

「あ、ついたわね」
「だな。ありがとうセイバー、明日は少し奮発する」

 ゆっくり足を地面につけてから、俺と遠坂をここまで運んできてくれた少女に礼を言う。そうしたら彼女は、白い頬をぽっと赤らめた。あれ、俺なんか変なこと言ったかな?

「え、あ、はい。それは大変にありがたい。シロウの手になる食事は大変に美味しい。期待しています」

 真面目な顔してそんな台詞。これは本気で頑張らないと、明日の食卓は俺の説教会場バイセイバーになりそうだ。……ちゃんと帰ることができれば、の話だが。うん、大丈夫だ。きっと帰れる。

「まるでご飯に釣られたみたいよ、セイバー」
「そ、そんなことはありません。わたしはシロウの剣だ、ご飯があろうとなかろうと……いえその、ご飯があった方がやる気が出るのは事実なのですがええとその」

 遠坂のからかいの対象にされて、セイバーはしどろもどろ。こんなことをしている場合じゃないんだけど、俺は吹き出してしまった。多分、弓ねえの方にはアーチャーが行ってくれているってのが分かってるからなんだろう。あいつはきっと、弓ねえを助けてくれるから。

「ともかく急ごう。遠坂、上にいるんだな?」

 石段の上を見上げる。長いその向こうには正門が立っていて、その向こう側が柳洞寺の境内、ということになる。いつもはここを登っていって門をくぐった途端、どこかすがすがしい空気になるものだけど今は何か違った。
 門を見ただけで分かる、おどろおどろしい空気。
 重苦しいまでの魔力の集まりが、鈍い俺にでも分かるくらいあの中に凝り固まっている。
 弓ねえ曰くの『魔術を弄するしか手のないキャスターが、冬木の市民からこそこそくすねた魔力』が、あれだけ集積されている。

「ええ、間違いない。弓美さんは分からないけれど、アーチャーは確実にいるわ……しっかしよく溜め込んだもんねぇ。少しわたしによこせって言いたくなる」

 石段に足を踏み出しながら、遠坂も顔をしかめている。確かに、俺でもはっきりと分かるくらいに魔力を集めていたなんてな。それも、冬木市の住民が意識不明になるくらい吸い上げて。しかし、自分によこせってのは実に遠坂らしい。俺なら吸い上げた被害者に返せ、って考えるから。もっとも、被害者たちは酷くて昏睡状態、ただし生命に別状無しとか新聞やニュースで言っていたから、しばらく休息を取れば回復するはずなのだけれど。
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