Fate/gold knight 16.にじいろあさげ
 夢を見ている。

 いつも遊んでいる公園に突然出現した、傲慢でやんちゃな女の子。彼女と対立して、ある意味全面戦争みたいな喧嘩になったことがあった。その年代は男女とはいえ体力に極端な差があるわけでもなく、おまけに相手はやたらと頭の回転が速かったことを覚えている。対して俺は中央突破をしたがる悪い癖と、だけどどういう訳か相手の攻撃をかわすだけのカンを持ち合わせていた。
 で、自分の周囲の状況を把握しながら次々とトラップやらフェイントやらを駆使して仕掛けてくる女の子と、真っ正面から突っ込んでいく割に罠や攻撃は寸前でかわしまくる俺との戦いは結局、日没時間切れ引き分けという結果に終わった。
 まあ、互いに覚えていろ、というあまり褒められたものではないセリフを吐きながらぷいと背中を向け合うハメになってしまったわけだけどな。もっともその後、彼女と再会する機会はついに訪れなかったけど。あの女の子、今はどうしているんだろ。

「お帰り士郎……あれ、どうしちゃったんだい? それ」

 それはともかく、罠に掛かることはなかったものの直前でかわした余波やら何やらで傷だらけになりどうにかこうにか家まで帰ってきた俺を、切嗣は目を丸くして見ているだけだった。

「早う来い。父はこういうときはあてにならぬの、まったくもって」

 そして、呆れた声を上げつつ俺の手を引いてくれたのは金色の姉だった。もっともその治療は傷を水で洗って消毒液ぶっかけて絆創膏ベタベタ、という乱雑なものではあったけれど。
 そうして消毒液臭くなった弟の頭を撫でながら、姉は俺の語る武勇伝……というよりは子供同士の下らない諍いの顛末をじっと聞いていてくれた。

「……なるほど。士郎の馬鹿さ加減がなければ勝てていたかもしれぬな」
「う……俺、馬鹿か?」
「当たり前だ。向こうを上回る知恵をもってすれば、小娘なぞ物の数ではないわ。それができぬのは士郎、そなたが馬鹿だからだ」
「……」

 当時小学生だったはずの弟にも手厳しかったなあ、この姉上は。自分のことを棚に上げているのは、この際置いておこう。

「ま、そこが士郎の欠点でもあり長所でもあるわけだがの。正面切って掛かっていくというのは、我は嫌いではないぞ?」
「あ、うん」

 また撫でられた。
 弓ねえにそんなことを言われるのは、俺は嫌いじゃない。自分を認めてもらえたようで、思わず知らず顔がほころぶ。

「何、今回は子供同士の戯れ事で済んだから良いとしよう。だがな士郎よ」

 俺の赤い髪をくしゃりと軽く掴むようにしてから手を離し、弓ねえは俺の目を覗き込んだ。血の色の瞳に自分が映り込んでいるようで、照れくさくて視線をずらしたいけれどずらせない。姉の視線は、何よりも強力だ。
 そうして視線に吸い込まれた俺の目をじっと見つめながら、金色の姉は自信満々の笑みを浮かべてこう言ってくれた。

「まことの戦となれば我を呼べ。我を頼れ。姉は弟を守るために存在する者ぞ」
「…………うん」

 弓ねえの口癖。それを聞くと、実のところ俺はいつも『男は女を守るもんだぞ』と反論したくなる。もっとも腕力や脚力で俺はまったく弓ねえに敵わないから、その反論は実力をもって潰されるのがオチだった。一度身をもって経験したから、よく分かる。いやあ詐欺だ詐欺。今の遠坂じゃないけれど。
 で、俺とは別の方向に異議を申し立てる人物がこの家には存在した。というかずっと見てたのかよ、親父。

「弓美だって割と正面からぶつかるタチじゃないか。力で押しつぶすのは君、得意技だよ?」
「だ、黙れっ切嗣」

 ……改めて親父に言われるまでもなく、姉貴も俺と同じタイプなのは分かっている。そうでなければ『実力で』潰されてるわけがない。親父はそこそこ口車うまいんだけどなあ。何でそれが伝染しなかったんだろう……俺にも、弓ねえにも。

「いや、このくらいは口を出させて貰うよ。一応僕は君たちの父親なんだからね」

 その親父がやんわりと、俺と弓ねえの間に割り込んでくる。その、笑ってるんだけどどこか冷えた視線に、俺たちはぞくりと身を震わせた。我が子にはめったに見せない、そんな表情──もしかしたら、弓ねえの失われた記憶のどこかには存在しているのかもしれないけれど。

「弓美はさあ、よく士郎のこと力ずくでねじ伏せて言うこと聞かせてるじゃないか。士郎が口で言っても聞かない場合に限られるけどね」
「うむ、その通りだ。我は口で済むことを腕で為そうとは思わぬ」

 親父のセリフを肯定しながら、腕を曲げてみせる姉上。ほっそりしたその腕ががしりと固くなり、子供の俺1人くらいなら余裕でぶら下げられることは知っている。その腕をぺん、と軽く叩いて親父は、どこか力のない笑みを浮かべながら俺たちを交互に見返す。後から思えば、このとき既に親父の寿命はカウントダウンに入っていたんだろう。もっとも、この頃の俺と弓ねえがそれに気づくことはなかったのだけれど。

「だけど、例えば口で言うことは聞かないけれど、その間になにがしかの罠を仕掛けているような相手が挑んできたらどうするね? 君も士郎も、正面から突っ込んで罠に掛かるのがオチじゃないかな。士郎と今日喧嘩した相手の子はそういうタイプなんじゃないかい?」
「ぐっ」
「むっ」

 思わず2人して息を飲んだ。確かに、あの女の子はそういうタイプだった。いつの間にか草が結ばれてたり、浅いけれど落とし穴が掘ってあったりしたからな……本当にいつの間にか、まるで魔術でも使ったみたいに。

「弓美も士郎もね、本当ならそういった罠や企みを見抜く目を持ってると僕は思うんだ。だから、どっちかが先頭に立ってどっちかがそのフォローをするようにすればいいんじゃないかなあ」

 親父の意見に、もう一度俺の喉が鳴る。
 ……俺に、罠や企みを見抜く目がある?
 自慢じゃないけれど、そういう頭を使うようなことはあまり得意じゃない自覚があるのに。
 ちらりと横を見たら、弓ねえもぽかんとした顔だった。姉貴も俺と同じ事を考えているんだろうな。

「2人とも、僕の言葉が信じられないって顔してるねー。ちょっとショックだなあ」

 そんな俺たちを見比べて、親父は苦笑する。それから両手を伸ばして、俺たちの頭を同時にくしゃくしゃと撫でた。これは多分、親父なりの愛情表現だったのだろう。親父、何だかんだで結構不器用だったからなあ。

「でも、これだけは信じてくれ。君たちはお互いを力ずくでねじ伏せるんじゃなくて、互いの良いところを引き出して助け合う事ができれば最高のパートナーだと、僕は思っているんだよ」
「できればも何も、我らは最高の姉弟ぞ。そして、そなたの子だ」

 ふん、と僅かに横を見ながら顔を赤らめていた姉貴の返事に、親父は満足そうに頷いた。

 ……夢だ。
 目を覚ましてやっと、それを自覚した。
 それまでの過去を失い、新しい名字と家族を得てから少し後の話。
 まだ俺は弓ねえの秘密を知らず、ただガイジンさんの姉貴ができちゃったなあとぼんやり考えていただけで。
 弓ねえは記憶のないまま、俺を弟として構ってくれていた、あの頃。
 当時はこんな風に、同じ布団で姉貴と一緒に寝たことも──

「はい?」

 ──目の前にあったのは、大変に熟睡中の我が姉上のとっても幸せそうな寝顔でした、まる。


「〜〜〜〜〜!!」

 思わず絶叫しそうになった自分の口を、力任せに押さえ込む。一瞬息苦しくなって、花畑の向こうから親父が手を振っている光景が見えたということは抜群に秘密だ。まあ、叫び声を口の外に漏らさないという目的はきちんと達成できたから良しとしよう。
 それにしても、何だかこんな光景、初めてじゃないような気がする。

「……はて、何だっけ」

 姉貴を起こさないようにそーっと身体を起こしながら、ぼそりと呟いてから思い出した。
 俺が姉貴とセイバーを庇ってバーサーカーに斬られた、その翌朝。あの時は確か、俺が大怪我をしたので弓ねえが付き添ってくれていて……そのまま俺の布団に潜り込んだんだっけか。
 室内を見回していると、その時とは状況が逆らしいということがはっきりした。家の離れの一室、つまりは洋室。クローゼットやカラーボックスには姉貴が暇に飽かせて集めまくった雑多のコレクションがかなり適当に並べられていて、その中心たるベッドの上に俺と、弓ねえが寝ていたわけだ。厳密に言うと、姉貴のベッドに俺が潜り込んで添い寝していた、ということになる。なんでさ。

「…………あ、そういえば……」

 働かなかった頭が動き始めると共に、昨夜遅くに起こった事態の記憶が甦ってきた。

 キャスターに拉致られた弓ねえはアーチャーのおかげで助け出され、柳洞寺を脱出してきた。アーチャーは自分の腕に抱えていた姉上を俺に渡して、自分は俺たちの先導を買って出た。そこから家までの道程は何だか妙に長く感じられて、そのせいか身体が冷え切ってしまったことを覚えている。そりゃまあ、真冬の夜中だからなあ。ちゃんと寒くないような服を着てはいたけれど、足元からじわじわと迫ってくる冷えには敵わなかった。
 皆で帰ってきた家はどこか寒くて、だけどやはり落ち着ける場所なのだと実感させられた。身体を温めるために、とアーチャーが淹れてくれた日本茶が全員に一杯ずつ配られる。セイバーもアーチャーも遠坂も、そして弓ねえも一言もしゃべらずにただ、緑色の液体を喉の奥へと流し込んだ。
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