Fate/gold knight 16.にじいろあさげ
 で、問題はその後。

『士郎……済まぬ、1人では眠れぬ』

 お茶を飲んでいる間も俺の膝の上にいた──しがみついたまま離れなかったんだから仕方がないじゃないか──姉上は、いざ寝る段になってそう言い出した。寒かったのか鼻をぐすぐすさせながら、皆に顔を見せたくないように俺の腕の中で縮こまっている。いやだから遠坂、セイバー、そんな白い目で見ないでくれ。頼むから。

『駄目です、シロウ! 男女6歳にして席を同じゅう……とは言いませんが、いくら姉とはいえ同衾などもってのほかですっ!』

 我が家の風紀委員を自称するセイバーが、夜中にもかかわらずがあーと吠えた。遠坂はというと、ちゃぶ台に肘を突いてにやにやいじめっ子みたいな顔でこっちを見てる。アーチャーの奴は湯飲みを片付けていたけれど、こちらから見えるその背中が微かに震えているのが分かった。この野郎、笑いを堪えてるだろう。見なくても分かるぞこんちくしょう。
 まあ、それはさておき。
 サーヴァントであるということを除くと、今の弓ねえは『悪人に誘拐されて危ないところを助け出された女の子』だ。その彼女が1人じゃ眠れない、と言うのはおかしくないと説得した。んで、姉貴が俺から離れない以上、俺がついているしかないわけで。そういうことでセイバーも矛を収めてくれた。
 そうしてアーチャーは見張りに、他一同は眠りについて……現在、朝の6時。

 目が覚めてみたら、この状況だったわけだ。何となく、屋根の上もしくは台所であのヤロウがにやにやしている様子が目に浮かぶぞ。この時間なら多分台所だろう……きっと今日も、俺や桜がよく作っているような和風の朝食をいそいそと準備しているに違いない。何故か、断言できる。
 ともかく、一晩弓ねえと同じベッドで眠っていたのは今更取り返しようもない事実だ。セイバーに知られたら……まっぷたつかなあ、縦に。

「……あー、考えていても仕方ないけど……やっちまった〜」

 この後のフォローを考えて、頭を抱えたくなってしまった。この前は姉貴が潜り込んできたことを怒った自分が、舌の根も乾かぬうちに同じ事をしてるわけだからな。はあ、説教は覚悟しておこう。

「んん……」
「弓ねえ?」

 がさり、と布団の山が動いた。もそ、とその中から顔を覗かせたのは、どこか不安げな表情の金色の姉。元々肌の色は白いけれど、今朝はそれを通り越して青白い。

「士郎……」
「起きたか? 弓ねえ。おはよう」
「……おはよう」

 それでも、この姉はきっと俺を心配させまいと思ったんだろう。
 朝のあいさつを口にした姉貴の表情は、いつものふんわりした笑顔だった。
 そんな笑顔を無事に見られたことは、俺にとって小さいけれど何物にも代え難い幸せで……

「いつまで疑似新婚夫婦をやっている。起きたのならば朝食の支度を手伝え、衛宮士郎」
「見てたならもっと早く声を掛けてくれよな、アーチャー?」
「ただの姉弟水入らずのひとときではないか。少しは空気を読め、馬鹿者」

 ……いやほんと、空気読んでくれ。


 弓ねえの着替えを脇で見ているわけにもいかないので、俺は先に台所へ移動した。何かあったら大声を出すんだぞ、としっかり言い聞かせておいたから大丈夫だと思うけど……うーん。叫び声が聞こえて飛び込んだら下着姿の姉上、なんてことになったらただじゃ済まない。セイバーの再生能力に身を委ねることになってしまう。
 いかん、早く朝食を揃えないとそのセイバーと、もしかしたら藤ねえが怒る。主に空腹で。

「菜飯にアスパラガスのベーコン巻き、豚汁に温野菜サラダに温泉卵?」
「正解だ。まあ、このくらいは見て分からんとな」

 台所に並んでる作りかけの朝食をくるりと見回して、メニュー当てクイズ。アーチャーの言うとおり、このくらいは見て分からないと姉上専属シェフの名が廃る。というか、豚汁はさすがに匂いが漂ってきているし、これが分からなくてどうするか。

「ではベーコン巻きを任せる、どうせ後は焼くだけだからな。多めに作ってあるから、弁当にも入れるが良い」
「イヤミったらしく言うなよなー。素直に任されるからさ、……そのエプロン着けてくれたんだな、ありがとう」

 にっこり笑って礼を言ったら、奴は驚いたような顔をしてそっぽを向いた。むう、あれは照れていると取っていいんだろうな。機嫌が悪いわけではなさそうだし。昨日買ってきた赤と黒のシャープなデザインのエプロンは、奴にきっちり似合っているし。
 既にベーコンを巻かれているアスパラを、充分に温めて油を馴染ませたフライパンに放り込む。じゅうっといい音と匂いが俺の鼻を突き、それに呼応したのか胃袋がぐうと鳴った。

「臓腑で言葉をしゃべるな」
「悪かったな、豚汁が良い匂いしてるからだろ」
「褒め言葉として受け取っておこう」

 ものすごく言葉の少なく、そうしてきちんとした言葉のやりとりになっているとは言い難い会話。互いに顔を見るわけでもなく、視線はおのおの好きな方向を向いている。なのに俺はアーチャーの、アーチャーは多分俺の言いたいことを理解できている。
 本気でアーチャーの正体は、俺の前世だったりするんだろうかなあ。そう言われても本当の名前が分かるとかいうわけじゃないんだが。それに、俺の前世があんなイヤミ男なんていうのは何か嫌だ。何処がというのではなく、生理的に。
 そんなことを考えつつも、フライパンから皿に中身を移す。ベーコンの良い香りがこれまた俺の鼻と胃袋を刺激してくれる。くう、と鳴る胃袋の音が、大変に暢気だ。はあ、平和で良かった。

「士郎」
「おはようございます、シロウ、アーチャー」

 そんなことを考えていたら、弓ねえがセイバーを伴ってお出ましになった。ブラウンのフリースセーターと白のジーパンの姉貴、ブルーのショートGジャンに黒の綿パンのセイバー……選び方が違うのか気が合ってるのか、対照的な感じで面白いなあ。

「おはよう。すぐに朝食だ、座っていてくれ」
「分かりました」

 アーチャーとセイバーの会話に、俺は何となく違和感というか何というか、奇妙な感覚を覚えた。何だろう……アーチャーが、セイバーに掛ける台詞が、優しい感じがするような。

「そこ、ぼうっとしていないでご飯をよそえ」
「あ、おっとっと。了解」

 そのアーチャーに指摘されて、慌ててしゃもじを手に取る。奴の向こう側に、白米を今か今かと待っているセイバーのわくわくした表情が見えた。何だかサーヴァントを餌付けしているようで、さっきとは別の意味で奇妙な感じだ。
 セイバーの分をドンブリに盛り、続けて手に取ったのは弓ねえ用の茶碗。さて、一晩置いたとはいえあんな事があった後だ。今朝は姉貴、どのくらい食べられるんだろう。

「弓ねえ、ご飯どれくらい?」
「少なめで頼む。その分をセイバーに」
「本当ですか!? ありがとうございます、ユミ」

 やっぱりあまり食欲がないようだ。小さく溜息をついているその姿が、何だか辛そうに見える。……同じ視界に入っているセイバーが妙にはしゃいでいるせいもあるんだろうけどな……藤ねえの上を行く大食漢は空気読んでくれてないし。

「了解。セイバー、あまりはしゃぐんじゃない。まるで俺が何も食わせてないみたいじゃないか」
「はっ。し、失礼しました、シロウ」

 俺がたしなめたら、急にしゅんとしぼんでしまったセイバー。何だろう、この子犬を怒ったような感覚は……ま、虎が吠えるよりはよほどましか。
 ん、虎?

「しろーおっはよぉ! ごはんごはん〜」
「おはようございますっ! 遅くなりました、ごめんなさい!」

 通いの家族2人の声が玄関から届いたのは、ちょうどその時だった。遅いのはあと1人……

「……ぎゅーにゅー……」

 お、出てきた出てきた。遠坂、ゆうべは変な時間にたたき起こして悪かったな。しかし、制服はきちんと完璧に着こなしているのに何でああも意識が虚ろなんだろうな。無意識のうちに着替えてるんだろうか、器用にも。
 それはともかく。やれやれ、これでみんな揃った。いつもの朝だ。


「それじゃ、いただきます」
『いただきまーす!』

 そんなわけで、まるで何事もなかったかのように平和な朝食が始まった。俺も、まるで昨夜の話は夢じゃなかったかなと思ってしまいそうになるくらいの、平和。

「しろー、おかわりー!」
「シロウ、申し訳ありませんがお代わりをいただけませんか」

 何しろ、ほぼ同時にドンブリが2つ差し出されるような状況だからな。過ぎた危機より目前の危機、だ。はははあんたら、うちの冷蔵庫を自分たちの食料庫だと思ってるだろ。ま、美味しそうに食べてくれるからそれで少しは負けてるけどさ。

「はいはい。豚汁は?」

 ドンブリを受け取りながら尋ねてみる。悔しいことにアーチャーの豚汁は大変に美味く、一口飲んだ弓ねえがその顔をほんわかと緩ませたくらいだ。ちくしょう負けないぞこのガングロ。

「あるのでしたら、それもお願いします」
「セイバー、朝からほんとによく入るわねえ……藤村先生も」
「あら、だって美味しいご飯は一杯食べたいじゃないの。ねえ、セイバーちゃん?」
「おっしゃるとおりです。タイガ、あなたとはこの点では気が合う、私は嬉しいです」
「では豚汁は私が預かろう」

 茶々を入れる遠坂と、食事時はとんでもなく気が合う大食漢2名……そして、自分の手になる料理が大変好評なことに満足げな笑みを浮かべるアーチャー。俺をちらりと見てふふん、と鼻で笑った顔は一生忘れないぞ。いつか俺はお前を越える、ってなんでさ。
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