Fate/gold knight 16.にじいろあさげ
「セイバー、藤ねえ、はいお代わり……藤ねえ、時間大丈夫か?」

 自分の分のサラダを手に取りながら藤ねえに尋ねる。部活は自粛中だから、生徒である桜は俺や遠坂と一緒に出ればいい。だけど、これでも一応教職についているところの1名はそういうわけにもいかないだろう。
 朝食を手伝っている間に仕上げた弁当包みを、家に残るセイバーと弓ねえの分以外居間に持ち出してくることにする。どうせ、後片付けが終わればみんな登校するわけだしな。しかし、アスパラのベーコン包み以外きっちり揃えてしまっていたあたり、アーチャーという男なかなか侮れないのであった。本当に越えないと、何だか悔しいな。

「ん、そうねー。そろそろ出るわ。これでも教師は忙しいのだ」

 えっへんと胸を張る藤ねえに対し、遠坂と桜は互いの顔を見合わせる。そのタイミングと動きが絶妙で、何だかおかしい。俺とアーチャーじゃないけれど、動きのシンクロ率がかなり高いんだよな、この2人。

「藤村先生を見ていると、とてもそうは思えませんけどね」
「葛木先生でも、あまり忙しそうには見えないのよね。もっともあの人、暇そうにも見えないけれど」

 うんうんそうよねえと頷き合う2人。それを横目に見ながら少しあきれ顔の弓ねえにお茶を出し、そろそろ2杯目が空になるセイバーのドンブリを回収すべきか考えながら、俺は手早く机の場所を空けて弁当を並べた。

「藤ねえは普段が普段だからしょうがないよな。はいお弁当、みんなの分も」
「ありがとー、士郎。それじゃいってきまーす」

 その中で一番大きな包みを鷲掴みにして、虎の姉上は勢いよく居間を飛び出していった。きっと、獲物に飛びかかる虎ってあんな感じなんだろうなあと思いながら見送る。

「行ってらっしゃい、タイガ」
「うっかり坂で転ぶでないぞ」
「弓美ちゃんひどーい、わたしそこまで鈍くないわよー!」

 言いたいことは、セイバーと弓ねえがばっちり口にしてくれてるからな。そうして案の定、玄関のあたりでがんがらがっしゃんとけたたましい音が聞こえた。あれは靴を突っかけただけで出ようとしてつまずいた音だな。まあ、玄関扉が破壊されてなければいいや。破壊されていたら、しばらく出入り禁止措置が取られることになるだけだし。

「あ、そうだ。先輩、ちょっといいですか?」

 どたどたという激しい足音が遠ざかっていくのを待っていたかのように、桜が俺を振り返った。その目はどこか不安げで、俺は首をかしげる。はて、何かあるのだろうか。

「何だ? 桜」

 どこか改まった態度の桜に、こちらもきちんと向き合わなければならない。少し膝をずらして、彼女と正面から向き合う。

「ええと……その、今夜からしばらく、こちらには来られなくなります。済みません、いつもお世話になっているのに」
「え?」
「桜。何かあったのですか?」
「あら、どうしたの?」
「慎二に何ぞ言われたか?」
「……どうした?」

 神妙な桜の表情とその言葉に、まだ家にいる全員がぞろぞろと集まってきた。ってアーチャー、お前まで来るとは正直思ってなかったぞ。
 全員に取り囲まれる形になってしまった桜は一瞬ぽかんとして、周囲を見回してから慌てたようにうつむいた。まるで俺たちと視線を合わせたくないかのように……自分の顔を見られたくないかのように。

「いえ、その……お祖父様の加減が優れなくて。兄さんがああいう性格ですから、わたしがお世話をしないと」
「お祖父様?」

 その言葉に、俺と弓ねえは顔を見合わせる。何度か桜の家……つまり慎二の家に遊びに行ったことはあるけれど、お爺さんなんて会ったことはない。いつも慎二と桜の2人しか、あの家にはいなかった。多分お手伝いさんなんかもいるんだろうけれど、そういった人にも俺は会ったことがない。

「そなた、2人暮らしではなかったのか?」

 一度だけ遊びに行ったことのある弓ねえも首をかしげた。そもそも、間桐の家の話に今まで『祖父』なんて単語が出てきた試しはないからな。もっとも、俺も弓ねえも入ったことのある部屋は食堂、居間、そして慎二の私室くらいのものだから、その他の部屋にいたのだと言われればそれまでなんだけど。

「ええ、ほとんど表に出てこられませんから。そもそも、かなりお年を召されてますし」

 桜の声は小さくて、うっかりすると聞き逃しそうになった。けれどその声は、ちゃんと俺たちの耳に届いている。その証拠にほら、遠坂が桜の肩を軽く、優しく叩いたから。

「ふぅん……大変ね、桜」
「もう慣れてますから。それであの、そういう訳なので……」
「そうか、ならしょうがないな」

 俺は、親父や姉貴がそうしてくれたように桜の頭をゆっくり撫でた。……あのな、みんな。桜も含めて、何そんなぽかんとした顔してるんだよ。そんなに俺の行動が変か? 変なんだな、アーチャー?

「くくく……まあ、衛宮士郎のことだから、自分がされて嬉しかったことなのだろう。……容態が良くなるといいな」
「…………はい」

 ん。何だろう、今の優しい表情。
 どこか親父に似た、ほんわかした笑顔。
 見たことがあるのか、ないのか分からないけれど、何となくこの家には馴染んでいる表情のような気がする。
 まあ、桜が小さくだけど頷いてくれたから、それはそれで良しとしよう。

「無理しちゃ駄目よ、桜」
「凛の言うとおりです、桜」
「……はい」

 続けて声を掛けた遠坂とセイバーにも、同じように桜は頷いた。うーん、だけど何だろうなあ。桜はまるで、遠坂に何か遠慮しているように見える。俺の思い過ごしなら、それでいいんだけど。

「桜」
「は、はい」

 最後に残った弓ねえは……腕を組んで、不機嫌そうに桜を見下ろしていた。今朝方のはかなげな姉上は何処へやら、すっかりいつもの傍若無人傲慢姉に戻っているあたりはさすがというべきか。

「救いを求めるならば、自ら声を上げよ。内に籠もるな。我らは、そなたの味方ぞ」
「……………………は、はい。ありがとう、ございます」

 不機嫌な声で放たれた言葉は、けれど桜のことを思いやっているのだと俺にはすぐに分かった。セイバーも遠坂もアーチャーも、そして桜自身にもそれは分かっただろう。だって、姉貴の言葉を聞いた桜はほんの少しだけ、笑ったんだから。
 もっとも、姉貴が何でそんなことを言ったのかは、俺には分からないけれど。前に慎二が桜に暴力を振るっていたことがあったから、その延長なのかな。
 と、慌てたように桜が立ち上がった。自分の分の弁当とカバンを引っ掴み、俺たちから逃げるように後ずさりする。……本当に逃げているのかもしれないな。

「あ、さ、先に行きますね? それじゃあ」
「ああ、分かった。転ぶなよ、桜」
「藤村先生と一緒にしないでくださいっ!」

 ぱたぱたぱた。藤ねえと違って軽い足音が、途中で何かの破壊音を伴うこともなく遠ざかっていく。からからと玄関の戸を閉める音を聞いてから、俺は弓ねえに向き直った。それは彼女以外の誰もが考えていただろう疑問を、彼女にぶつけるため。

「姉貴……何であんなこと言ったんだ?」
「む……何故と言われてもな」

 形のいい眉をひそめて口ごもる弓ねえ。……こういうときは大概、『何となく』が理由だ。つまり、きちんとした理由はないが、弓ねえのカンがそうすればいい、と言っているわけだ。
 多分、それは正しいのだろう。サーヴァントだ何だはさておいて、俺は自分の姉のカンを信じる。この際シスコンがどうした、戸籍上2人っきりの姉弟なんだからいいじゃないか。

「何となくだ。強いて言えば、今まで存在も知らなんだ老人と……後は桜の性格が気になったからだが」
「……だな。桜、自分の悩みとか聞かせてくれたことないもんなあ」
「ああ、何となく分かるわ。自分の中にしまい込んじゃうって感じよね」

 姉貴の指摘に俺と遠坂は頷き合う。遠坂も弓ねえもさすが女の子同士というか、桜の性分は分かってるみたいだな。もっとも弓ねえの場合、桜がついに自分からは口にしなかった慎二の暴力を何とか聞き出して、ぶちぎれて叩きのめしたこともあるし。

「凛の言うとおりだ。桜はどうも内に籠もる性分であるからの」
「そうだな……だけど、お爺さんかあ。俺知らなかったぞ」

 もう1つ気になる、桜が俺たちに知らせることのなかった祖父の存在。確かに教える必要はないのだろうけど、普通孫のところに友人が遊びに来たらあいさつを交わすものじゃないだろうか。

「祖父か……ふむ。セイバー、どう思う?」

 あごに手を当ててしばし思考に耽っていたアーチャーが、ふと顔を上げる。視線はセイバーに一直線で、どこか期待をこめたものになっていた。お前、俺たちとの同盟嫌がってたよなあ。何でこう、うちに馴染んでるんだろう。

「そうですね……桜の家、つまり間桐は魔術師の家系と聞きました。ならば、その祖父という人物はよもや……」

 対するセイバーの方もその視線に応えよう、と真剣に考えたことを口にする。それは今まで遠坂から聞かされたことと、そこから導き出される推論。
 答えを知っているのは、ここにいる中では恐らく1人だろう。
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